初物観たさでした、音楽はプロコ節?・・パーカッション、木管の旋律、弦群のウネリ
音型が独特ですね、けして綺麗、美しい旋律では無いのですが・・繰り返し、繰り返しの旋律に惹きこまれますね
1、2幕・・3,4幕約50分程でしたが、音楽が途切れる事無く、声楽と合唱の流れ楽しいオペラでした。
ホヴァーンシチナ共、オケの合奏力が素晴らしいですね、音楽に強い風圧を感じます・・歌手人も良く歌い込みしてますね・・
プロコフィエフは米への亡命を決意へ、日本滞在後米国へ・・青年期の精神状態は・・国に絶望し心の反映を音楽に??・・当時、山田耕作がニューヨークで出会い「皮肉なユーモアと純粋な美」とプロコフィエフの音楽を評したと・・その翌年28歳頃シカゴ・オペラの依頼で書き上げた、3つのオレンジへの恋・・日本を呼吸し、米国を呼吸し外からロシアを観・・その時期の精神・音楽創造がオペラにも反映されているかの様ですね・・
亡命と日本滞在(1918年)
1918年(27歳)「古典交響曲」の初演を果たした直後、プロコフィエフは米への亡命を決意し、5月7日、シベリア鉄道にてモスクワを発つ。31日、敦賀港に上陸し・・8月になるまで日本に滞在してから北米へ向かうことにする。11日までは東京、横浜周辺に滞在。12〜18日、京都市に滞在し、琵琶湖疏水、祇園などを散策。13日には大阪市を訪れている。19〜28日、奈良市に滞在し・・米国へ1919年山田耕作が米国でプロコと出会いその音楽を「皮肉なユーモアと純粋な美」と評した・・其の頃にシカゴ・オペラの依頼で作曲された・・・
文化会館・4FL3-13・22,000円・妥当な額
マリインスキー・オペラ
プロコフィエフ「3つのオレンジへの恋」
1月28日(月)19:00開演終演21時20分
指揮 ワレリー・ゲルギエフ マリインスキー劇場管弦楽団
『三つのオレンジへの恋』(みっつのおれんじへのこい、l'amore delle melarance)は、カルロ・ゴッツィによって書かれた寓話劇。1761年に初演。1921年にセルゲイ・プロコフィエフによってオペラ化された。
原書のあらすじ
ハートの王は極度のうつ病にかかった王子のことで悩んでいる。家臣のパンタローネは王子を笑うことによって治すために道化師トルファルディーノを呼び寄せることを提案する。王子の病気が治ると王位をとることができなくなってしまう姪のクラリーチェと大臣のレアンドロはこの計画に反対する。レアンドロは魔女モルガーナに相談する。そして、宴会の日が来るがトルファルディーノは王子を笑わせることが出来ない。ところが王子は邪悪な魔女ファタ・モルガーナが転んだのを見て笑い、怒ったモルガーナに三つのオレンジに恋をするという呪いをかけられてしまう。王子はトルファルディーノをつれて三つのオレンジがあるクレオンタの城へ旅に出る。
セルゲイ・セルゲイェヴィチ・プロコフィエフ(ロシア語:Сергей Сергеевич Прокофьевスィルギェーイ・スィルギェーイェヴィチュ・プラコーフィイェフ;ラテン文字転写の例:Sergei Sergeevich Prokofiev、1891年4月23日 - 1953年3月5日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。
現在のウクライナ、ドネーツィク州(当時はロシア帝国領)ソンツォフカ(Сонцовка)生まれのロシア人。
帝政期のロシアに生を受け、サンクトペテルブルク音楽院で作曲・ピアノを学ぶ。革命後、シベリア・日本を経由してアメリカへ渡り、さらにパリに居を移す。20年近い海外生活の後、1930年代後半に社会主義のソヴィエトへ帰国。作風は、こうした外的な環境に応じて大きく3つの時期に区分できる。
ソヴィエト時代には、ショスタコーヴィッチやハチャトゥリアン、カバレフスキーらと共に、社会主義国ソヴィエトを代表する作曲家とみなされたが、ジダーノフ批判を受けるなど、必ずしも総て順風であった訳ではない。
トレーフ王 (B) ゲンナジー・ベズズベンコフ(28日)
アレクセイ・タノヴィツキー (29日)
王子 (T) ダニール・シトーダ(28日)
アンドレイ・イリュシニコフ(29日)
クラリーチェ (王の姪/MS) ナデージダ・セルデューク(両日)
レアンドル (大臣/B) ワディム・クラーヴェツ(両日)
トルファルディーノ (T)・セルゲイ・セミーシクル
クラリーチェ (王の姪/ ナデージダ・セルデューク(両日)
レアンドル (大臣/B) ワディム・クラーヴェツ
ファタ・モルガーナ (魔女/S) エカテリーナ・シマノヴィチ (両日)
リネッタ姫 (MS) アンナ・キクナーゼ(両日)
ニコレッタ姫 (S エカテリーナ・セルゲーエワ(両日)
ニネッタ姫 (S)アナスタシア・カラーギナ(両日)
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亡命と日本滞在(1918年)
1918年(27歳)「古典交響曲」の初演を果たした直後、プロコフィエフは米への亡命を決意し、5月7日、シベリア鉄道にてモスクワを発つ。31日、敦賀港に上陸し、6月1日、東京に到着。冬シーズン中の南米行きの船便を探すが出航した直後で、次便ではシーズン終了後になることから、8月になるまで日本に滞在してから北米へ向かうことにする。11日までは東京、横浜周辺に滞在。12〜18日、京都市に滞在し、琵琶湖疏水、祇園などを散策。13日には大阪市を訪れている。19〜28日、奈良市に滞在し、奈良ホテルに宿泊。奈良公園周辺を散策している。この奈良市滞在中に、ピアノ協奏曲第3番等の原型となった白鍵四重奏曲の構想を練っている。29日に東京に戻り、以後離日まで東京、横浜周辺に滞在するが、7月19〜21日には軽井沢を、28日には箱根を訪れている。更に7月6日、7日には東京で9日には横浜で自作を含むピアノ・リサイタルを開催した。8月2日、離日。このプロコフィエフの日本滞在は、ヨーロッパの大作曲家の最初の日本訪問と言うことができ、評論家大田黒元雄などとの交流により、日本の音楽界に少なからず影響を与えたといわれる。プロコフィエフはサンフランシスコに上陸し、9月にはニューヨークへ到着した。
遍歴:アメリカとパリ(1918年 - 1932年)
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2月のオペラ・演奏会予定
2月 2日 マリインスキー・オペラ イーゴリ公 NHK
2月 3日 新国立 サロメ 初台
2月 8日 ノリトン シュトゥッガルト 川崎
2月14日 ハーディング 東フィル 東京オペラシティ
2月15日 〃 〃 サントリー
2月17日 〃 〃 渋谷
2月23日 飯守指揮 ワルキューレ 上野・文化会館
2月24日 〃 〃 〃
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12月に4日間連続演奏会とは、大変な企画ですね・・
2日(火)、3日(水)、4日(木)、5日(金)
ロンドン交響楽団≪プロコフィエフ・ツィクルス≫
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
◎カジモト・イープラス 0570-06-9960
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