昨日は緊急入院というか、いきなり入院で
(正直、1時間は準備時間くれと思った。
そのせいで、後が大変だよ)、
今日、必要備品を持参する、
早い方がいいかと聞いたら、
14時を指定されたが、まだその時刻でよかった。
母は自分の物は自分で管理していて、
具合が急変した後は聞き出すどころではなく、
あちこち探して(という程、広くないが)、
油性ペンで名前を入れて、家になかった
上履きと、簡単な袋(100円ショップである)を
買いに行ったら、お昼をゆっくり食べる間もなく、
食欲も減退していたので簡単に済ませ、
相当の大荷物になり、出掛ける頃、雪もチラつき、
すごい恰好で行ってきた。
担当の看護師に母の様子を聞いたら
(面会予約でないと、面会はできない)、
話はするが寝たきりでかったるそうで、
トイレには行かれずおむつだって。
病院の後、ゆっくり街をとふらついたが
(速く歩けなかった)、
だんだん悲しくなってきて、涙ぐんでしまった。
母はまだ生きているが、もう家には戻らない、
口からは食べられないかも、
この頃何度も食べたいと言っていた、
カレーライス、肉じゃが、カニを、
作ってあげなかった…
カニは高いのもあるが、私の腕では料理できない
のは母もわかっていたから仕方がないとして、
カレーと肉じゃがは作ればよかった。
安い白菜メイン鍋ばかり食べさせて、
北海道野菜が高いからって…
そして、ここには書けない、書ききれない、
長年の様々なこと、ひとりのこどもが私で、
最期まで看るだけいい方だとは思うが、
いいって程ではなかったと思う。
母が重くてたまらない、いつまで生きているの、
と思っていたが、この喪失感は、
初めて家から居なくなるまで、わからなかった。
大晦日らしいことはちょっと書けませんが、
NHKの紅白を見ながら打っている。
そうでもしないと、ね。
喪失感…。
はかりしれない…ですが…。
NHK紅白で、minami-himeさんの気持ちが少しでも紛れたらいいなと思います。
A、C、Tにいろいろあったとしても、
彼ら皆、もう亡くなっているのよね。
私たちが生まれた時も、もうこの世には居なかった。
そう思うと、なんていうか、ね…
紅白出ているジャニーズにそれぞれ物語があるのよ。
KAT-TUNなんて、6人が3人に。
感慨深いです。
人生最大の登場人物だから、
複雑な思いはあっても、いなくなると
その喪失感はちょっと言葉じゃ言い表せないです。
特に私たちのような独身子なしだと尚更だとおもう。
みなみさんが少しでも長くお母さんといられるよう祈ります。
わたしも同じ気持ちで帰省しています。
いつが一緒に過ごせる最後のお正月になるかわからない。つらいですね
コメントやり取りができないんでね。
母と私は、全く違うキャラ・考え方で、お互い苦手なタイプ。
でも親子で、長年一緒で、家に居ないということが
こんなにもツラいのか、と感じています。
母はがん末期で大変苦しいので、早く逝きたがっているし、
そうなってほしいです。
ところで、従兄さんの為に大枚はたいて立派です。
読んでいてわかるわ~と思います。
実はTさんも未だにフォローしていますが、すごいことになっています。
コメント、諸事情により閉じてます。
あの従兄は、はっきり言って名前と年しか知らない。
みなみさんもご自身の入院時、いとこさんに頼んだそうですが、
そのいとこさんの気持ちがちょっとわかったというか。
かなり仲良くしてないと親戚も他人と同じですよ。
お金は家族の誰か(たぶん伯父か伯母)が死ぬまで返してもらえないとおもう。
むしろいま死んだら、まだ若いのに、ってみんなに同情してもらえる、妻も若いから再婚できるかも、
子供も奨学金もらえる、遺族年金もらえる、団信でマイホームのローンなくなる、
保険金でる、などなど(死ぬ以外は)いいことだらけのような。
みなみさんのコメントで、彼女のブログ、最後のコメント以来はじめて訪れてみました。
なんか、フツーになってた。負の爆発エネルギーが薄まってた気がする。
つまらなくなってた。でもまた職を得たようでよかったですね。
日当は払ったといっても、気が重く嫌だったと思います。
あの後、私も気を使い、一言で言うと、関係改善しまして、
そのいとこ、昨年クリスマスイブに、新潟の親元に戻りました。
年末年始ということではなく、東京を引き払って。
その前後に、連絡を取り合いました。
でもその従兄さん、死にたくないですよ(当り前ですが)。
手術の成功と回復をお祈りします、
貸した金は早く返してもらわないと困りますね(お察しします)。