前回の記事から半月経ちました。
「母の最期の七日間」について、概略だけ書くと思いますが
(詳しくは書けない…)、それはまだ先になります…
この半月にあったこと…
母が亡くなって一週間後の17日(水)に仕事復帰した。
昔からの同僚で、親を亡くした事のあるふたりには、
私の気持ちがよくわかった様子で、
「ひとりでよく、頑張った」と言われたり…
所属の担当の役員さんに、
「母を亡くした時、遺品をなかなか捨てられなくて、
10年掛かった」と言われたり…
かと思うと、定年後嘱託のおじさんは、
自分の親を亡くした時もあまり感慨がなかったようで、
私の気持ちを全くわからない様子だった。
ほんと、人って、いろいろですよ。
また、20日(土)に、3年2ヶ月間、家の真ん中に置かれていた、
介護ベッドが撤収された。
介護保険でのレンタルだが、組み立て式で設置も撤収も大掛かり、
入院中は、また家に戻り使う可能性がある為、撤収しない。
母を優先したら、家の真ん中(居間続きの和室)の設置になり、
介護するには一番いいが、生活するには何かと不便だった。
それが撤収され、広々となった部屋を見た時に、
ああ、本当に母はもう帰ってこないんだと、実感した。
そしてあさって、訪問看護の担当看護師さんに来てもらい、
余った紙おむつを引き取ってもらう(「寄付」という形)。
…かなりある。買えば、安売りで15,000円分位かな…
ずっと履いていたパンツ式のおむつが、
完全寝たきりになりテープ式おむつに変わり、
おむつの中に敷く尿取りパッドも、
だんだん吸水量の多い物に変わっていった。
効率良く買えば、こんなに余らなかったのだが、
ちょうど物価が高騰し、紙類が不足するかもという時期で、
安売りの時に多く買い、それを使い切る前に病状が進み、
合わなくなり、大量に残されてしまった。
資源の無駄にもならずに済んで、よかったです。
母の遺骨のある部屋で寝ていますが、成仏しているので大丈夫です。
心の栄養、そうですね!
いきなり英国は大変ですが、近くに鎌倉がありました。
鎌倉殿を見ながら、行きたかったんですよー。
まず、そこから。
みなみさんの部屋には父上母上の遺骨があるそうですが、そばに遺骨がある、その感覚、私は精神が乱れます。
認知症の母を久々に見た時、一気に鬱が深まりました。私は現実に向き合う心が欠如している。まだまだだと思いました。
人それぞれ心の目盛りが違います。自分の目盛りが乱されてしまうと心が安定せず、鬱が深まる感じがします。
みなみさんは強くしっかりとした心の目盛りをお持ちの様ですが、気が張り詰めている状態から暫く立ち、心が緩み立ち止まった時に一気に狂いだすみたいです。その時が一番危険らしいです。
これからは心の栄養を採ってください。仕事の充実も大事ですが、旅行とか、趣味とか楽しみを増やして下さい。
それがみなみさんには一番の薬に思えます。小さくても良いので幸せを増やしてください。
ようやく緊張が解けてきたと思います。
そうですね、遺品の整理もゆっくりで、いいですよね。
介護保険でレンタルしていた介護ベッドが撤去されただけで、
部屋は広々としたし…
残った紙おむつもかなりがさばっていますが、明日寄付したら、
また部屋が広くなります。
こどもたちには勿論、何の非もありません。
が、理屈ではなく、罪悪感を持ってしまったのはわかります。
私も、在宅の時も入院時も、もっと…と思う所がありますが、
あれはあれで、仕方がなかったんだと思います。
そう、諦められた時に、癒えてくると思います。
(突然死は、あっけなかったけど、不安な時間は少なかったので…。)
食欲は戻りましたか?
なかなか、お母様が亡くなられたことに慣れないと思うのですが…。
ゆっくり、過ごして下さい。
必要がないと、遺品の整理もしないですよね。
うちはまだ、実家に母のものが残ったままです。
家を取り壊すまで、そのままかな。
3年半前、私も母を病院へ連れて行こうと迎えに行ったら玄関で亡くなった状態で発見してしまい、親を孤独死させてしまった罪悪感で不眠症に陥りました。兄も妹も眠れないと嘆いてました。葬儀の日には視界に黒いゴミが見えて眼科で飛蚊症と言われましてストレスによる一過性のものと言われ翌日には治ってます。
みなみさんもこれからの楽しいことを考えて過ごしてみてはいかがでしょうか♪
ずっと神経が高ぶっていましたが、ようやく、緩んできました。
そうですね、介護(というか、看護)は早い年齢で終わった方です。
後は自分の事のみ…健康に留意しないといけませんね。
自由にできる時間も増えるので、くりまんじゅうさんのblogも
参考にして、手作りを…できるかなあ?(笑)
私の母とは正反対の突然死でしたよね。
それもツラいですよ…
しばらく掛かりますよね…
そうですよね家の真ん中にはいつもお母様が この前までいましたもの ぽっかりと開いた空間は広いです。
私の母が逝ってから5ヵ月です。生きていたら来月母ちゃんは96才になっていたねと ぼんやり思います。
晩ご飯を食べるとき 冷蔵庫から缶ビールを出しながら 今日は夫の番だったと 今でも思う事があります。
特養から いつ呼び出しがかかるか分からない日が1年続きましたので いつでも運転できるように
交代で晩酌をしていましたから。
母の納骨が終わり ぽっかりと台の上が空いたとき ああ母ちゃんはもういないんだと
この時になって私は実感しました。
一人で介護した大変だった日々も やがてひとつひとつが お母様に繋がるなつかしい思い出になるでしょう。
みなみさんのお母様ですから うちの母よりはるかにお若かったと思います。
これからのみなみさんが身体を大切にして 心身ともに元気を取り戻すことが いちばんのお母様へのご供養になると思います。
健康だけが自慢だったので、こんな事があるんだ…と、俯瞰して見てました。
辛い時間かと思いますが、お母様とのお別れの時をご自愛しながらお過ごし下さい。
お母様は、みなみさんに側にいて尽くして貰って、幸せだったと思います。
亡くなった後も続き、吐き気もあり、あまり食べられなくなり、
介護ベッド撤去で少し気持ちの整理がついてきて、
ようやく睡眠も取れるように、そうすれば食べられるようにもなり、
blogも書いてみるかという気になりました。
まだ波はあるでしょうが、最悪の落ち込みは脱したと思います。
気持のほうも少し落ち着いてきましたか?
生活上のものは次々と片付けることが出来ても気持ちは整理しようと思えば思うほど複雑な思いがよぎったり澱んだりするのではないでしょうか。
広く使いやすくなった部屋はより一層お母さんを思いだす場所となっていることと思います。
みなみさんの心や現在の気持ちを理解しようと思っても私たちには到底できないと思いますが、みなみさんがお元気で、お母さんとの楽しい思い出に浸れる日が続くことを祈り、願っています。