日本政府 沖縄少女暴行の怒りに背
1995年に沖縄県で起きた米兵3人による少女暴行事件を契機に、日米両政府が着手した米軍普天間基地(同県宜野湾市)の返還交渉で、日本政府が米軍の沖縄駐留の継続を希望していたことが分かりました。93~96年に駐日米国大使を務めていたウォルター・モンデール氏(元副大統領)が、米国務省系研究機関の外交研究・研修協会のインタビューに当時の経過を証言しています。
モンデール氏は当初から、沖縄県民の激しい怒りをかわして沖縄の駐留兵力を維持することを前提に日本政府との交渉に臨みました。これに関連して同氏は、「日本政府はわれわれが出した(普天間基地の移設という)結論を望んでいた」「何の疑問も出なかった」とも述べ、米側の提案を何の抵抗もなく受け入れたことも示しています。
さらに、「非公式協議」の場での日本側代表とのやりとりにふれ、「彼らはわれわれ(=米軍)を沖縄から追い出したがらなかった」と述べ、日本側も駐留継続を望んでいたと証言しました。
交渉の結果、96年に日米両政府は普天間基地の「移設条件」付き返還などを決めたSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意を発表。現在の辺野古新基地問題の出発点になりました。
自国民が陵辱された怒りを一切ぶつけることなく、進んで米国の軍事戦略につき従う日本政府の屈辱的な姿勢を浮き彫りにするものです。