日本国憲法が1947年5月3日に施行されてから、67年になります。戦前の日本がアジアなどでの侵略戦争に敗れ、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(前文)と決意し新しい憲法をつくりました。67年目の今日、これまでの保守政権とくらべても異常な「右翼タカ派」ぶりをあらわにしている安倍晋三政権のもとで、憲法問題をめぐる政権と国民の対決は緊迫したものとなっています。安倍政権が進める「戦争する国」づくりの策動を国民は許しません。憲法を守り生かしていくたたかいが重要です。
「解釈」でも「明文」でも
安倍政権が進める、政府の憲法解釈を変更して海外での戦争に参加しようという「解釈改憲」の動きも、憲法そのものを変えて「戦争する国」になろうという「明文改憲」の動きも、戦争の反省から国民が実現した憲法の原則を破壊する、“壊憲”の動きです。
一昨年末に政権復帰したあと、安倍政権はまず、「明文改憲」のために、国会が改憲案を発議する「3分の2」以上の賛成を引き下げる、96条の改定を持ち出しました。憲法で権力を縛る立憲主義の原則を破壊することになるとの国民の反対をあび、その企ては挫折しています。その後も安倍政権は、改憲のための手続き法(国民投票法)の改定を推進するなど、「明文改憲」の企てを捨てていません。
同時にここへ来て緊迫しているのは、政府の憲法解釈を変えて憲法の原則を破壊する「解釈改憲」の動きです。安倍政権が連休明けにも進めようとしている憲法解釈の変更は、「集団的自衛権」の行使容認によって同盟国・アメリカといっしょに海外で戦争するものです。「多国籍軍」への参加も可能になります。戦後の憲法の下で一度もなかった自衛隊の実戦参加に道が開かれることになります。
憲法解釈の変更で日本が海外での戦争に参加すれば、いくら憲法9条で「戦争の放棄」「戦力は持たない」と決めていても、その意味は失われます。「解釈改憲」による「戦争する国」づくりの策動は、文字通り憲法を「憲法でなくする」、“壊憲”の暴走です。
日本国憲法が国民主権や基本的人権の尊重とともに平和主義を原則にしているのは、なによりアジア・太平洋戦争で310万人以上の日本国民と2000万人を超すアジアの人びとを犠牲にした反省からです。戦後の憲法下で、「戦力」ではないと大うそをついた自衛隊創設や日米軍事同盟強化などの企てはありましたが、日本が起こした戦争で犠牲者を出したことはありませんでした。その原則と歴史を踏みにじる「戦争する国」の企ては、「明文」であれ「解釈」であれ許されることではありません。
「憲法守れ」の広がり
安倍政権のもとで“壊憲”の企てが強まるなか、国民のなかでは逆に9条をはじめ憲法を守り生かそうという動きが増えています。
世論調査で憲法9条を「変えない方がいい」という意見は、「朝日」では昨年の52%からことしは64%に、「東京」でも58%から62%に増えました。秘密保護法制定や憲法解釈の変更に、「保守」の人びとを含め反対の声が広がっています。
いまこそ国民の力で、あらゆる“壊憲”の動きを許さず憲法を守り生かそうではありませんか。憲法にとってまさに正念場です。