母方の祖父とは存命中は馴染みがなかった。
思い出と言えば、子供の頃騒いでいたら、うるさかったらしく怖い顔で叱られたことくらいである。
祖父は明治37年の生まれで、職業は高校などの教師だったらしい。
郷土の歴史研究も好きで、色々書き物を残している。
なんでも メモするのが趣味だったらしく、文章にして残してあるので、死後30年以上経った今、孫の私がその記録を読み、なるほどと頷いている。
その祖父が幸福の条件について昭和34年に書いてある。
健康であること
適当な収入があること
心が平和なこと
とても簡素。
でも、この三つが揃わないと幸福ではないのだろうか?と思うとなかなか贅沢でもある。
健康で適当な収入があって、心が平和ならば 最大級の幸福な気もする。
私の中の幸福論は
不幸ではないと思えるなら幸せ
である。
祖父よりかなり幸福を感じる指標が低いのかもしれない。
それを思うと祖父のほうが指標が高い。
祖父は健康であることと、適度な収入がないと、心の平和は得られないと書いてある。
でも、今の世の中、健康で適度な収入があっても、心の平和を感じられない人が多いのではないだろうか?
思い出と言えば、子供の頃騒いでいたら、うるさかったらしく怖い顔で叱られたことくらいである。
祖父は明治37年の生まれで、職業は高校などの教師だったらしい。
郷土の歴史研究も好きで、色々書き物を残している。
なんでも メモするのが趣味だったらしく、文章にして残してあるので、死後30年以上経った今、孫の私がその記録を読み、なるほどと頷いている。
その祖父が幸福の条件について昭和34年に書いてある。
健康であること
適当な収入があること
心が平和なこと
とても簡素。
でも、この三つが揃わないと幸福ではないのだろうか?と思うとなかなか贅沢でもある。
健康で適当な収入があって、心が平和ならば 最大級の幸福な気もする。
私の中の幸福論は
不幸ではないと思えるなら幸せ
である。
祖父よりかなり幸福を感じる指標が低いのかもしれない。
それを思うと祖父のほうが指標が高い。
祖父は健康であることと、適度な収入がないと、心の平和は得られないと書いてある。
でも、今の世の中、健康で適度な収入があっても、心の平和を感じられない人が多いのではないだろうか?