昭和52年自営を始めた頃より日記を付けていました。日記と言ってもごく簡単な大学ノートに5~6行から10行程度、主に仕事の内容。それが月末に請求書などの製作に重要なものだったから長く続いた。今、日記は付けていませんが、ノートは残っています。時には見ることがありますが休日もなく働いた事など、記憶を重ねて、とても、懐かしく思い出されます。
戦後徳島で、ラジオ商殺しと言う事件がありました。ラジオ商を営む主人を、殺した後、従業員に口止めしていたと言う事件で、一番では従業員が口止めがあったと言い、二番では取り調べ官の厳しさからと逆転。最後は無罪でしたが、被告人が亡くなってまで裁判が長く続いた事件でした。
この裁判の主役を務めた方と裁判当時からの知り合いで、高齢ですが、現在も元気に過ごされていますが、事件前夫婦が口喧嘩をしていたと言う事で、奥さんが不利な立場になったようで。口喧嘩はありがちな会話と、当時私は簡単でも日記を付けていましたから、思った事ですが。
ご夫婦どちらかでも日記を付けていれば結果は別としても、あれほど長く苦しまなくても良かったのではないかと思った事でした。いろんな意味で、場所でも、証拠としても日記はとても大切なものだと思っています。
明治時代以後、主に女性達の書き留めた日記を読み解き、現在何が学べるか、を探ろうとしているグループ。千葉県に在住する島利栄子さんの主宰する(女性の日記から学ぶ会) 夫の転勤先の各地で、戦前戦中の苦労話など聞き、個々の女性の人生に興味を持つようになったと言う。
さらにおばあちゃん達が亡くなった後、遺族から彼女達が書き連ねた日記の扱いに困っていることを聞き、生きた証を捨てることはもったいないと思い、預かっていたら、百三十人から二千五百冊程になっているらしい。これを読み解く作業だから、読みにくい手書き文字と格闘しているとの事。
このほか昭和30年代の家計簿日記や、戦前の家父長制度下の育児日記、義理の父親の日記を読み解いている人などもいるそうです。会の設立から十一年、日記は資料館のような所に保存する計画も持ち上がったそうですが、島さんは、日記の活用こそが大事と考えている、紙に残った涙の跡。
古い紙の香り、挟まれたしおり、それを手にしたり生の字をを見ると、先人の辛さや、喜びへの共感が立ち上がってくるい言っています。一つでも多く残していただきたいものです。心から応援をしております。
![日記@BlogRanking]()
戦後徳島で、ラジオ商殺しと言う事件がありました。ラジオ商を営む主人を、殺した後、従業員に口止めしていたと言う事件で、一番では従業員が口止めがあったと言い、二番では取り調べ官の厳しさからと逆転。最後は無罪でしたが、被告人が亡くなってまで裁判が長く続いた事件でした。
この裁判の主役を務めた方と裁判当時からの知り合いで、高齢ですが、現在も元気に過ごされていますが、事件前夫婦が口喧嘩をしていたと言う事で、奥さんが不利な立場になったようで。口喧嘩はありがちな会話と、当時私は簡単でも日記を付けていましたから、思った事ですが。
ご夫婦どちらかでも日記を付けていれば結果は別としても、あれほど長く苦しまなくても良かったのではないかと思った事でした。いろんな意味で、場所でも、証拠としても日記はとても大切なものだと思っています。
明治時代以後、主に女性達の書き留めた日記を読み解き、現在何が学べるか、を探ろうとしているグループ。千葉県に在住する島利栄子さんの主宰する(女性の日記から学ぶ会) 夫の転勤先の各地で、戦前戦中の苦労話など聞き、個々の女性の人生に興味を持つようになったと言う。
さらにおばあちゃん達が亡くなった後、遺族から彼女達が書き連ねた日記の扱いに困っていることを聞き、生きた証を捨てることはもったいないと思い、預かっていたら、百三十人から二千五百冊程になっているらしい。これを読み解く作業だから、読みにくい手書き文字と格闘しているとの事。
このほか昭和30年代の家計簿日記や、戦前の家父長制度下の育児日記、義理の父親の日記を読み解いている人などもいるそうです。会の設立から十一年、日記は資料館のような所に保存する計画も持ち上がったそうですが、島さんは、日記の活用こそが大事と考えている、紙に残った涙の跡。
古い紙の香り、挟まれたしおり、それを手にしたり生の字をを見ると、先人の辛さや、喜びへの共感が立ち上がってくるい言っています。一つでも多く残していただきたいものです。心から応援をしております。
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