私たち子供の頃は、食べるものも十分には与えられなかった。特にお百性さんでなければ畑もない、そこで年貢を納めてお百性さんから畑を借りるのだが、お金のいる事、広くは借りれない、主に芋などの保存食を作る、そんなこともあって、自由に働くようになってからは畑もでき、今では果物から四季折々の野菜は我が畑で間に合っている。
タマネギ、ジャガイモの収穫も終え、今はキュウリ、ナス、スイカと周囲の人よりは少し早くから収穫を楽しむことができ感謝の毎日。今、30年、40年先などと言うと、遙か未来の事のように思っているのではないか?、と感じる事さえあるのですが、逆に振り返ってみてください。
私が住む徳島を例にとってみても、周囲には山が沢山あります。この山にはどちらに向かってもゆけるように、今では軽自動車が通れるようになった道があります。その道の左右を気を付けて見ると、大きく茂った木の中に綺麗に残っている石垣あるいは荒れ果てた中に少し残る石垣。
石を積み上げて作った畑、幅は1200~1500と言った所が多かっただろう。可能な限り畑を作り食物を作つた。山の中にわずかな畑を作るためにどれ程の重動労を重ねてきただろう。その畑を補修しながら作物を作っていた時代からまだ60年しか過ぎていないのだ。
この時代は日本の自給率は100%それが戦後暫くすると、そこで作物を作るより働きに出た収入が良くなり、その畑に木を植えた。木は20年もすると大きくなり当時の姿はだんだん亡くなって来た。それだけで収まれば良かった。綺麗な田までもどんどん埋め立てられ住宅に変わっていく、
今、日本の自給率25%切れるのではないか、それでもまだあちらこちらで田が失われている。先進国のなかでも自給率が桁違いに低い日本、一番贅沢をしている国と指摘されている。今から100年前日本では明治時代、全世界の人口は15億ほど、それが現在66億とも言われ、
今後50年後には100億に達するだろうと国連が発表している。発展途上国のなかでも人口13億とも言われている中国、広い国土の一部とはいえ、すざましい勢いで発展している。この人達がお金を贅沢を望んでいる。 世界で生産される食料には限界がある。
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