老後の日々

果物に野菜作り等、
今では趣味にして気間々にやっています。

結婚線NO.12

2007年04月06日 | Weblog

     

               結婚相手に恵まれない相

              どんな人が現れても満足しない、

              一生、独身で過ごす傾向があり、

              家庭的ではなさそうです。

              結婚線にはまだまだ悪い暗示のあるものなど、

              沢山の例がありますが結婚線はこれで終了します。

              


花冷え

2007年04月05日 | Weblog

                         

先週末天気が良くて桜もほぼ満開とあって各所で賑わったようでしたが、毎年の事ながらこの時期、花冷えなどと言って寒い日と重なるのですが、この週末場所によっては花も終わりになりそうなので天気を期待したものですね、 国花、さくら 日本古謡とされ、作者は不詳。

江戸時代には、「さいた桜」と言う題名で歌われ、歌詞は桜の花見から、紅葉狩り、松まで入れられていた歌たったようです。明治になって学制が敷かれ、唱歌の時間が出来たときに、詩が改正され「さくら」の題名になったとの事です。それにしても日本人、お花見が好きだが、なぜ、こう言う習慣が出来たのか? 

昔、お風呂がまだ普及していなかった頃、人々は春を待って川で水浴びをした。そこであかをおとし、神に今年一年の健康や豊作を願った。その後集まって酒を飲んだり、食べたりした風習がお花見の原型とされる。もともと桜の語源は、{さ}が田んぼの神、穀物の霊、{くら}は神が宿ると言う意味があり、だから神社には桜のあるところが多い。                    

さくら さくら

のやまも さとも

みわたす かぎり

かすみか くもか

あさひに におう

さくら さくら 

は な ざ か り 、 、 、 、

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吉凶を導くきっかけ

2007年04月04日 | Weblog
縁起がよいとか、縁起をかつぐなど、何か物を起こす時縁起にこだわる事があります。その縁起の意味が、社寺などの起源、由来・吉凶を導くきっかけ、となっている。縁起、と言うとどこか迷信めいた感じがしますが、本来は仏教用語なのでですから、縁起には縁起としての合理的な由来や結びつきが有るはずです。

そこで生活に直接結びつくかどうかは別として、これも先人達の残した知恵の一つとして参考にしていけば良いのでは、、、縁起物の代表に招き猫があります。この招き猫本当に縁起が良いのか? 由来を調べてみても諸説があってハッキリしない。つまり猫がよくやる、手で顔をふく動作を客を招くという意味にとって、商売繁盛の縁起物にしたのではないか???

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欲に絡んで転ぶ

2007年04月03日 | Weblog
商売には多少なりとも駆け引きは付く、面白くなくてもお客さんを見れば笑顔を見せる。あれこれと知恵を働かす、当たれば商売繁盛となる。皆んな努力をしながらこうして商売をしても、うまくいく事ばかりではない、なのに、結果が解っているような事、紛らわしい事などにお金を入れて被害に遭う。人の心理は難しい。だからその心理をうまく突く人間も後を絶たない。

小さなお金をケチる人に被害者が多いと言う例もある。心にある欲がそうさせるのかも知れない。私の所にも大きな綺麗封筒が届けられている、中を見ると風水を誰にでも解るようにしたものだと言う。なるぼどと思ったのは広告を発行しているのはカタログ販売の会社だったからだ。商売だから人の心を掴む宣伝でなければ効果がない、良い悪い等私が言う事ではない。

ただ風水を学んでいるものだから、消費者にも知っていて貰わなくてはいけないと思う事。簡単にしか書けないが参考にして頂きたい。まず九星と言うものがある一白水星、二黒土星、三壁木星、四禄木星、五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星、である、其処に五行の有るのお分りと思う。水、土、木、金、火この説明は省く。

十干と言うもの、甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸これ10コ、インドで数字が出来るまで古代中国では物を数えるのに使用していたもの、後十支干は皆さんご存じの子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥、12コ、これは動物とはまったく関係有りません、分りやすくしたものです。例えば最後の「亥」等も(核)のきへんを取ったもの、「卯」等も(芽)ばえるの象形文字です。

動物の猪、兎、そこで甲子生まれの人がいて、11年目は十干がなくなっているから繰り返し甲戌生まれとなり、甲子の年が回って来るのが60年目、ですから60歳になると生まれ変わる、赤坊になると言う事から赤い帽子を作ってもらい還暦を祝う習わし。又、先ほどの九星を重ねると一白水星の甲子生まれと言う人が現れるのが180年目なのです。

それでは同じ年に生まれ成人式を向えるものだけは同じのように思いがちだが、大きく分けて七つ学校、八つ学校と有るように、甲子と乙丑と言う二種類の人がいます。一人一人姓名が違います。血液型も違います。育てられた親や環境が違えば持つ運命も違っています。つまり100年ほどの現在の人に同じ人は居ない事になります。

ここで話は戻しますが占いでも、風水でも、簡単な事で皆んが良くなる事を願いたいですが、無理ではないでしょうか。ですから、こんな事をして良くなったとか。こんな事でこう変わったと言う体験談が乗せられますが、これは有って当たり前だと思います。あっている人が利用すればそれほど効果の有るものです。凶作用になることも知っておいてください。

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佐賀のがばいばあちゃん

2007年04月02日 | Weblog
昭和30年代に、佐賀県の祖母の家に預けられ、子供時代を過ごした漫才コンビBエンドBの島田洋七さんの自伝を映画にしたものらしい。映画はまだ見ていないがテレビで島田さんからこの話を聞いたことがある。漫才師ですからとても面白可笑しく話すのですが、これが又映画になる切っ掛けかも知れません。島田洋七(明広)さんが{ばあちゃん腹減った]と言っても気のせいだと笑い飛ばす。悲しい話は夜するな。どんなに辛い話でも、昼すると大したことはない。

そんな人生哲学も待ち合わせている。貧しい生活の中で身に付けた、生きる知恵、また運動会の日、両親と楽しそうに昼食を囲む同級生から離れて、教室で1人、日の丸弁当を食べる明広、その気持ちを察した教師が、「お腹壊しているから、これと換えてくれ」と豪華な弁当を差し出すシーンなども有るそうで、面白いと言うより、当時、現実にこういう大人が多かったことを今、自分達に照らし合わせて見たい。

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開運の指針

2007年04月01日 | Weblog
淘宮で教えている、「今ここ」を信条としたい。時間的には「今」空間的には「ここ」を、ただ其れのみに関心を払い努力をして、それ以外は後も先も、右も左も全て切り捨て忘れ去るのである。此の宮の人はこまかく柔らかいが、切れず折れずに長く後を引くものであるから、過去のこと未来のことが思われて、心の安まる時がない。したがつて、些細なことに悩み、病気にも弱くて、少しでも痛んだりすると、すぐもうこれで死ぬのではないかと気にする。

とにかく死とか失敗とか貧乏とかの予感が、この性格の人をいつもおびやかすのである。だから「今ここ」だけを問題にして、勇気を持って前後左右を切り捨て忘れ、後は野になれ山となれの太っ腹になるのがよい。信仰を持つことである。我を離れることは信仰による以外にはない。小我を捨てて、神仏のふところに帰するほど安心なことはない。

本当の人生観、世界観は、信仰が無ければえられない。科学でも哲学でもだめである。信仰には神道、仏教、キリスト教など、さまざまの宗教があるがあるが、是非然るべき信仰を持つことをすすめたい。この宮の人は信仰に入りやすいが、決断にともしいため、いろいろに迷い案じ、古きしきたりにしたがっているだけで一生を終わるのは気の毒である。決して、迷信にはまり込まないようにしたい。     

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