「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

風立ちぬ

2013年09月30日 | 映画の感想
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「永遠の0」を読んで、


今度は、当時世界最高の単座式戦闘機と謳われた、


ゼロ戦を作った堀越二郎に興味が出て、


もともと見たかったこの映画を、なんとしても観たいと思い、


ようやく、ようやく見ることができました!


感想はひと言…


大好きです!


ジブリなので映像の美しさは、いわずもがな。


今回は、台詞の美しさが秀逸でした。


この映画で語られている言葉は、


もはや、絶滅の危機に瀕していると言ってもいい、美しい日本語です。


それは、


日本語だけにとどまらない、


美しい所作や礼儀が随所に丁寧に描かれているので、一層引き立っています。


4歳くらいの妹が、怪我をしている小学生の兄に、


「まぁ、怪我をなさっています!赤チンを塗ってさしあげます!」というシーンが、


この時代の子供たちの、聡明さと礼儀正しさをよく表していると思いました。


この二人の、大人になってから久しぶりに会った時に、


きちんと座布団をおりて、二人で真の礼(もっとも深い礼)をしてあいさつをするシーンも、


素晴らしかったです。


次郎の、座布団から離れる時の立ち振る舞いは、


彼らの育ちの良さを実に良く描いてあります。


母親が、本を読みながら勉強部屋の畳で寝ている次郎に、


「ニ郎さん、お床でおやすみなさい」


という言葉がまた、母親の温かい愛情と品のよさがとてもよく表れています。


最初の10分程度のシーンで、


この時代の日本の、全ての美しさを濃縮したようなものを感じました。







二郎が愛する、


奈緒子がまたステキでした。


二郎の母親もそうですが、


この時代の育ちの良い女性の、


美しい所作や言葉を観るだけでも、心が洗われます。


奈緒子を見ていると、


名作「カリオストロの城」のクラリスを思い出しました。


髪型も似ていましたけど(笑)


クラリスよりは、溌剌とした感じで、


似ているというわけではないのですが、


なんとなく、クラリスを彷彿とさせました。












今回、ジブリでは珍しく、


ノンフィクションの要素が入っている作品ですが、


それだけでなく、


「大人でないとわからない」作品を宮崎駿が作ったことが、


一番驚きました。


この話は、二郎が9試単座式戦闘機の開発に成功するまでを縦軸に、


主人公次郎と奈緒子の恋愛が横軸で描かれています。


かつ、


堀越二郎という人物は、


完全なノンフィクションではなく、


作家の堀辰雄の人格も入っているので、


ゼロ戦ができるまでをメインで考えている人が見ると、


けっこうがっかりすると思います。


その辺を割り切って、


美しい恋愛ファンタジーを見ていると思うと、


最高に素晴らしい作品でした。


個人的には、


二郎と奈緒子の二人が、愛を深めていくところが、大好きです。







奈緒子は、結核を患い、東京の実家で暮らしており、


片や二郎は、飛行機の開発設計を任され、名古屋で仕事に没頭する日々。


現在でもなかなかの遠距離恋愛ですが、


この時代の遠距離恋愛は、今以上に距離を感じるものです。


電話がある家の方が珍しく、


電報か手紙が主な通信手段ですから、


当然、二人は手紙のやり取りで互いの思いを伝え合います。


この、


互いが、相手からの手紙を受け取って読む瞬間の、


少しでも早く読みたい!という気持ちがよく描かれています。


手紙は、現代においてはやり取りする方はなかなか少ないと思いますが、


自分の正直な気持ちを、


一番まっすぐに伝えてくれてるのが手紙ではないかと、私は感じます。


相手を想って選んだ、便箋と封筒に、


ペンや万年筆を走らせると、


実際に会うとなかなか言えないこと、


メールでは伝わらないことを、


自分の文字はきちんと相手に届けてくれます。


そして、人によっては、切手までも相手を想って選んで貼ってくれる…


随所に、相手への想いが込められている美しい行為が、


手紙を書く、ということのように思います。


二人が手紙をやり取りするシーンは、いろんな思いがこみあげてきました。





また、


奈緒子が、二郎とわずかな時間だけ新婚生活を送るシーンが好きです。


ジブリでは珍しく、初夜の場面があるのですが、


「初夜」という場面を、あんなにも切なく美しく、清々しく描けるあたり、


宮崎駿が天才たる所以だと感じます。


宮崎駿は、なんといっても生活動作を丁寧に丁寧に描くことで、


その人物の性格や性質を、余すところなく表現することができる天才です。


その真骨頂が、奈緒子と二郎が二人で過ごしている場面ではないでしょうか。


そばにいても、


二郎は仕事忙しく帰りも遅いので、それほど一緒にいられるわけでないけど、


帰ってきた、二郎の着替えを手伝い、


夜遅くまで部屋で仕事をする二郎を見つめ、


朝起きると、そこに二郎がいて、


仕事に行く二郎とそっと口づけを交わして、


いってらっしゃい、といって見送る…


そんな、


なんでもないことが、奈緒子にとって、


どれほど大きな幸せなことだったかということを、


気づいた人は、いったいどれほどいたでしょう…


最愛の男性に、たったこれだけのことができるということが、


どれほど、女性にとって幸せかということが、


わかった人はどれほどいたでしょうか…


それをしたいと望んでも、それを当たり前にできない女性にとって、


その時間がわずかでも与えられるということが、


どれほどありがたい、最大の幸福の時間なのかということが…


この二人の愛は、


限られた時間のものです。


それを知っていた二人は、精一杯互いを愛し、思いやりました。


宮崎駿自身が、


「この時代の人は、潔さがある。そこが美しいのだ」


と言っていました。


まさにそうだと思います。


この二人に、何かへの執着は一切ありません。


互いにすら、執着心がありません。


二人でいる時間の一瞬一瞬を大切にして、


二人は真摯に愛し合い、


「今」を生きていました。


だからこそ、この二人の愛は、強烈に清々しく美しかったのです。






宮崎駿は、この映画を最後に引退すると言っていますが、


そう思った気持ちが、わからないでもないです。


ずっと、


「アニメは子供向けにつくるべきだ」と言い続け、


最後にそれを覆し、


最高に練熟した、清々しく美しい純文学のような、大人の恋愛を描き切ったこの作品は、


天才の最後にふさわしい作品だと、私は感じました。