『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

11 円覚寺

2023-05-24 | 三重県

第47番 円覚寺

 

明治の文学者たちを癒した寺

 

 

 

東京駅から横須賀線で約1時間弱で、円覚寺のある北鎌倉駅に着く。まだ若かりし頃、この北鎌倉で暮らしたことがあり大変懐かしい場所でもある。北鎌倉の駅は山の間に挟まれ、どこか山奥の街にある駅のようだ。円覚寺は、駅からすぐ近く参拝するにも便利なお寺で、鎌倉巡りはこの北鎌倉の円覚寺からスタートする人も多い。先ずは国道21号線の鎌倉街道に出て、横須賀線の踏切を渡る参道を円覚寺の入り口に進む。

円覚寺は、鎌倉時代の弘安5年(1282)に鎌倉幕府8代執権・北条時宗が国家鎮護と元寇の役と言われた文永の役の戦没者追悼のため中国僧の無学租元を招いて創建した。鎌倉時代の北条家の二代目義時以降の9代目までの北条得宗の祈禱寺となるなど北条家に保護された。時宗の時代、当時の鎌倉には、父の時頼が創建した禅寺の建長寺があった、官寺としての性格が強い同寺に対して、当初の円覚寺は北条氏の私的な寺でもあった。また、帰国をしようとしていた無学租元を引き留めようとする事情もあったようである。

 

参拝日     平成29年(2017)2月2日(水)天候晴れ

 

所在地     神奈川県鎌倉市山ノ内409

山 号     端鹿山                                                        宗 旨     臨済宗                                                          宗 派     円覚寺派                                                       寺 格     大本山 鎌倉五山二位                                                 本 尊     宝冠釈迦如来                                                      創 建     弘安5年(1282)                                                   開 祖     北条時宗                                                        文化財     国宝・舎利殿、国宝・梵鐘

 

 

北鎌倉駅のホームから見た民家の梅の花

 

 

 

 

北鎌倉駅前

 

 

 

北鎌倉駅の前の通り  国道21号線の鎌倉街道。

 

 

 

円覚寺の参道 途中に横須賀線の踏切を渡る

 

 

 

境内の案内図

 

 

 

踏切のある参道を抜けて円覚寺の境内に・・・

 

 

 

総門 円覚寺の入り口。

 

 

 

総門の扁額は「瑞鹿山」  開山した無学租元の創建開堂にあたっての法話に、山中から白鹿が出てきて、これに連なったことからこの名が付けられたという。

 

 

 

境内は鎌倉の特有の谷戸を利用したもので両側を山に囲まれなだらかな傾斜地に堂宇が建てられた。

 

 

 

山門(神奈川県重要文化財) 現在の山門は、天明年間(1781~89)に第189世誠拙周樗によって再建されたもの。 

 

 

 

扁額は「円覚興聖禅寺」と書かれ伏見上皇の勅筆と伝えられている。

 

 

 

正面の桁行3間、奥行き2間の二重門。 建長寺の山門に似ているが、ほぼ80%の大きさ。

 

 

 

 

 

 

 

軒先の詳細  屋根の鼻先は反り上がり、垂木が扇状に組まれている扇垂木が特徴。

 

 

 

1階側の軒先  軒先の反りは2階の軒先と同じであるが、垂木は平行。

 

 

 

広い境内から三門を見る。

 

 

仏殿  大光明宝殿が正式名称で、昭和39年(1964)に再建された鉄筋コンクリートの建物。 元の仏殿は大正12年(1923)の関東大震災の際に倒壊してしまった。

 

 

 

仏殿の内部   正面にご本尊「宝冠釈迦如来坐像」は、廬舎那仏といわれ頭の部分だけが鎌倉時代につくられたもの。 

 

 

 

仏殿の天井画「白龍の図」  絵は前田青邨監修の守屋多々志の筆による。

 

 

 

仏殿脇の境内様子

 

 

 

大方丈の唐門

 

 

 

 

 

 

 

松嶺院  円覚寺の塔頭。  墓地には佐田啓二、田中絹代、坂本弁護士(オウム事件)の墓がある。

 

 

 

選仏場   仏を選び出す場所という意味の修行僧の座禅道場。 仏殿の東側に位置し茅葺屋根の堂。

 

 

 

 

 

 

 

居士林 斉蔭庵と呼ばれ在家の禅道場。 禅道場は柳生流の禅道場を移築したもので、柳生徹心居士が寄進した。

 

 

 

境内は広く、坂と階段のお寺という印象。

 

 

 

仏殿を過ぎて大方丈を右手にその奥にある池。夢窓疎石の作庭。昭和53年(1978)に江戸時代の元図に基づいた大改修を行い、岩盤を景観の中心として復元された。

 

 

 

 

 

 

 

虎頭岩  虎の顔が池面に浮かび上がるといわれる。 光と陰でよくわからない・・・・。

 

 

 

国宝舎利殿の前の参道

 

 

 

開基廟  

 

 

佛日庵御霊屋とも呼ばれ、円覚寺大檀那である鎌倉幕府8代執権・北条時宗とその子9代執権貞時、孫の14代執権高時を祀っている。二度にわたる蒙古襲来という国難に向かった時宗は、この場に庵を結び、禅の修行に没頭し、精神鍛錬に励んだと伝えられている。現在の開基廟は、江戸時代の文化8年(18119に改築されたもの。石積みの基壇の上に間口3間ほどの堂。

 

 

屋根は寄棟の茅葺。屋根の上には箱棟がのる。正面の扉は桟唐戸、脇間は曲線をあしらった花頭窓。内部の天井は中央に板を敷いた鏡天井。その周り               は扇垂木を並べた化粧屋根裏の禅宗様。土間は高床を張り、柱の継ぎ目は長押を用い、壁は和様の横板張り、側面の扉も昔の日本家屋によく見られた舞良戸仕上げ。禅宗と和様を合わせた折衷様式の建物。

 

 

 

国宝舎利殿へ

 

 

 

 

 

 

 

 

舎利殿の唐門   舎利殿は

 

 

 

舎利殿【国宝】 源頼朝が宗の能仁寺から請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られている。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物といわれる。屋根の勾配や軒の反りの美しさが特徴。   (ネットから) 中に入れないためネットから舎利殿全景写真を引用。

 

 

屋根の軒下から出ている上の段の垂木は、扇垂木と呼び扇子の骨のように広がっている。これが、屋根を一層大きく建物全体は小さいながらも総代に見せている。

 

 

 

花頭窓にも特徴があり、窓の外枠は縦の線が真っ直ぐで、その質素な形は鎌倉時代後期の特徴。

 

 

 

鎌倉は四方を山に囲まれ切通しが多く、その片鱗を子の円覚寺でも見せている。

 

 

 

白鹿洞  円覚寺境内の一番上の方にある小さな洞。円覚寺の創建にあたって無学租元の法話を聞くために、山中から白鹿が出てきたという言い伝えに連なったという個所。

 

 

 

弁天堂への石段 70段くらいあったような気がした

 

 

 

登りきると弁天堂  北条時貞が「江の島弁財天」「洪鐘大弁財功孝徳尊天」と尊称し、円覚寺の鎮守として御祀りし建立したもの。

 

 

 

梵鐘【国宝】  「おおがね」と呼ばれる梵鐘。正安3年(1301)に執権・北条貞時が鋳物師・物部国光に命じて鋳造したもの。 梵鐘の高さは約2.6mで大きさで、鎌倉で最大の大きさを誇る。 円覚寺六世・西澗子曇の銘「皇帝萬歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安」が刻まれている。また、北条貞時が見た江の島弁財天の夢のお告げに従い円覚寺正統院裏にかってあった「宿龍池」より引き上げられた竜頭形の金銅塊を鋳造したものと言われている。

 

 

 

鐘楼

 

 

 

弁天堂で一休みができ、お茶と甘味処としている。特にこの地からの眺めは素晴らしく北鎌倉の街並みと富士山が眺望できる。

 

 

 

すばらしい富士山の眺望。

 

 

 

ながながと続く境内の道。

 

 

 

境内に咲く紅梅

 

 

 

案内図

 

 

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」から---『出勤前の一時間で座禅すれば、その日一日の仕事も上手くいくのではないだろうか。座禅によって、からだの心棒のようなものが整うのではないかと思うのだ。世知辛いこの世の中では、からだや心からのシグナルを感じても、気付かないふりをする人が少なくない。浮世の義理や自信過剰から、つい無視してしまうのだ。しかし、それはやはりまずい。たとえば、食事するときに食べたくないものは食べない。というのも大事なことかもしれない。自然に生きる動物は本能に従って食べたいものだけを食べている。人間も動物としての自己防衛本能を働かせて、からだによくないものに対して、食べたくないと感じることが大切だ。自分を守るためのセンサーをきちんと働かせるためには、内面のバランスを整える必要がある。そのために、座禅はとくに有効なのではないだろうか』

 

 

 

 

御朱印

 

                                                                                第47番円覚寺 終了

 


1 専修寺

2023-01-26 | 三重県

 

「百寺巡礼」第39番 専修寺  念仏する心という原点

津からJR紀勢線で一つ目の駅が、無人駅の一身田駅である。

朝は、この専修寺が経営する高田中・高等学校があるため乗客は、ほぼ生徒で埋められ一般の客は筆者だけだった。この駅から徒歩で4分のところに専修寺がある。

専修寺は、関東に浄土真宗を広めた真宗高田派の本山 建保2年(12149念仏を関東に広げるために配流先の越後から関東へ入り、約20年にわたって活動した親鸞が、嘉禄2年(1226)1月に、明星天子の夢告によって、現在の栃木県芳賀郡二宮町高田に一寺を建立し、高田専修寺としたことに始まる。親鸞54歳のとき。

親鸞は60歳で帰洛し、その後は親鸞24輩と呼ばれる親鸞の門弟24名の1人、真仏が二世として関東の門徒を指導し勢力を伸ばす。その勢力をさらに拡大させたのが10世の真慧(しんけい)で、東海、北陸にまで教化を広め、朝廷からの崇敬を得て、専修寺は皇室の御祈祷所にもなってさらに隆盛に向かう。その真慧が寛正6年(1465)に三重県の一身田に寺院を建立。その後関東の専修寺が火災に遭うなどしたことから、以降は歴代の上人が一身田の専修寺に居住するようになり、一身田の専修寺が本山となった。関東の高田の専修寺は別院となる。

 

 

専修寺の伽藍配置図

 

 

山門の通り 右側は門前町となる一身田寺内町は、東西500、南北450mの周囲を濠や掘、川を引き込み土塁で囲う事で自治地区を形成し寺内町として発展、町には3箇所の門があり番所を設けて出入りを管理したとされる。

 

 

山門(国指定重要文化財)御影堂の真正面に位置し、専修寺伽藍の総門。五間三戸二階二重門の形式となっているのは、山門として最高の格式を誇る。瓦に宝永元年(1704)の銘があり、これが建築年時とされている。

 

 

斜め横から(専修寺HPより)

 

 

三門を境内から見る

 

 

向かって左側如来堂。右側御影堂 親鸞の血脈が継承する本願寺派が台頭するまでは、この専修寺こそが浄土真宗の信仰の中心であった。そうした歴史を示すように、境内には豪壮な木造建築が建ち並んでいる。

 

 

御影堂(国宝) 親鸞聖人を安置するお堂で、間口43m、奥行き34mの規模を誇り、日本の現存する木造建築では5番目の大きさを誇る。建立は寛文6年(1666)に上棟し、延宝元年(1679)に落慶法要が行われた。

 

 

御影堂の妻側 破風錺と懸魚が豪華で美しい

 

 

妻飾りは銅板で破風板は金色に耀く五七桐紋の金具を貼り付けてある。 懸魚は三花懸魚。よく見えないが標準的な二重紅梁組で

 

 

御影堂の内部  堂内は780畳の広さ。 天井高は約8m。

 

 


須弥壇の上には親鸞像とともに、歴代上人の画像も安置され親鸞の教えの正統を受け継ぐ派としての矜持を見せつけている。 

 

内陣、中陣は彩色が豊かで極楽浄土をイメージして造られた。中陣を横から見る。金蘭巻の柱や彫刻が施された梁、天井には多彩な絵が描かれ色彩豊かである。

 

 

御影堂内部須弥壇廻り 

 

 

須弥壇廻りの装飾

 

 

通天橋(国指定重要文化財) 御影堂から如来堂への渡り廊下。

 

 

通天橋と名のつく渡り廊下を見る

 

 

 

如来堂(国宝) 阿弥陀如来の仏殿で、規模は御影堂の約半分。棟の高さは御影堂の揃えている。上棟は延享元年(1744)に行い落成遷仏は寛延元年(1748)と伝えられている。昭和58年(1983)から7年半かけて大規模修繕を行い平成2年(1990)に工事が完成した。

 

 

 

屋根の下にもこしと呼ばれる庇があり二階建てのように見える。

 

 

如来堂の軒先周り  尾垂木の組み物は莫、龍、象などの彫刻が彫られ様々な表情をみせる

 

鐘楼

 

専修寺第15世住持堯朝上人の夫人高松院が堯朝の7回忌を迎えるにあたって、慶安5年(1652)は辻越後守重種と一族の氏種に鋳造させたもの。高松院は、津初代藩主藤堂高虎の長女。

 

唐門(国指定重要文化財) 如来堂の正面に建つ門で、天保15年ン(1820)に棟上げされた。屋根は檜皮葺で正面と背面の軒に大きな唐破風があることから唐門と呼ばれる。控え柱4本が腰長押から下で斜めに外に踏み出しsた形になっている。造作はすべて欅材とした品位の高い造り。扉、小壁、欄間には菊、牡丹の透かし彫りが施され、ほかにも親子の獅子や力士の彫刻が見られる。全体に華麗で複雑な構造をした門である。

 

 

庭園   雲幽園 池泉回遊式の庭園。一面に杉苔、竹木の間が路地となり茶室「安楽庵」にすすむ

 

 

茶室「安楽庵」は茅葺屋根の瀟洒な建物。

 

 

 

「安楽庵」の躙り口 60cm四方の入り口。

 

 

茶室の内部  畳2畳半と半畳の鱗板の広さ。

 

 

御廟の透塀

 

 

 

御朱印 その時は、まだ御朱印帳など持ってなかった。「百寺巡礼」文庫本の専修寺のページに書いてもらった。

 

 

高田山専修寺

参拝日 平成27年(2015)9月30日 天候 曇り

 三重県津市身田町2819

 寺名 専修寺   
 山号 高田山    
 宗派 真宗高田派  
 創建 文明年間(1469~1487) 
 本尊 阿弥陀如来 
 開基 真
 開山 

 文化財 国宝 如来堂、御影堂、西方指南抄、三帖和讃
     重要文化財 木造阿弥陀如来立像

 

五木寛之著 百寺巡礼から
「専修寺を訪れていちばん強く感じたのは、多くの人々の親鸞に対する深い思い、というものだった。七百数十年も前の親鸞という存在に対して、たくさんの人々がいまも熱い思いを寄せ続けている。そのことに深い感動をおぼえずにいられなかった」

 

参考資料  専修寺HP 百寺巡礼第4巻 滋賀・東海(講談社文庫) 永田美穂監修「日本の七宗と総本山・大本山」(青春新書)  

 

案内図

                                   

         終