百寺巡礼第73番 清水寺
山陰のキヨミズさんに幟がはためく
清水寺と聞くとだいたいは京都の清水寺が思い浮かぶが、山陰の安来にも清水寺があった。清水寺と書く寺院は全国に80か所ほどあるそうだ。それでも全国的に有名なのは、京都と安来の2院だけのようだ。場所は島根県の安来市に位置するが、交通の便は鳥取県の米子市の方が便利のようだ。米子駅前からレンタカーを利用し清水寺を参拝することにした。寺参りの後は足立美術館の予定なので、レンタカーが大変便利である。
寺伝によれば、この寺の開創は推古天皇の時代だと伝えられている。山城の国の尊隆という人が、瑞光山に登って揚命仙人に出会う。用明2年(587)のことだったという。そのとき揚命仙人から観音像を与えられた尊隆は草庵を建て推古5年(597)になって、推古天皇の勅命によって伽藍を作った。それが清水寺の起源になっている。その後、承和14年(847)、唐からの帰路に立ち寄った円仁(慈覚大師)により光明真言会が創設されて天台宗に帰依したという。その後幾度かの火災、そして復興を経て、明徳4年(1393)にほぼ現在の寺域が定まったが、戦国時代に尼子氏と毛利氏の戦いの戦場になったため、兵火に襲われ根本堂(現薬師本堂)を残し、ほとんどの建物は焼失してしまった。伽藍は江戸時代に入り、毛利氏および松平氏により復興され、加えて安政6年(1859)には、信徒の手により三重塔が建立され現在の形となった。伽藍は比較的新しいものの、寺の歴史は相当古いものである。
参拝日 令和6年(2024)6月1日(土) 天候曇り
所在地 島根県安来市清水町528 山 号 瑞光山 宗 派 天台宗 本 尊 十一面観音菩薩像 創建年 用明天皇2年(587) 開 基 尊隆上人 正式名 瑞光山清水寺 別 称 安来清水寺 札所等 中国観音霊場28番ほか 文化財 根本堂 十一面観音菩薩立像 ほか
境内図。
駐車場から緩やかな108の石段を上り大門に。
大門。 門全体が苔むしたような印象で、扁額は大門と書いてあるらしい。
門を潜り、けっこう長いだんだら坂を進む。参道には赤と紫の幟が交互に並ぶ。幟には「南無十一面観世音菩薩」と文字が染め抜かれている。
お出迎えしてっくれた観音さま。
翠の谷間を進む。
参道を上って境内に。
清水寺は清水山の中腹にあり、山の斜面に沿って2万㎡におよぶ広大な境内が広がる。境内は三つの平地からなり二十の堂宇が建つ。それぞれの平地には高い段差があるため石階段でつながる。
開山堂。 開山の尊隆上人と中興の盛縁上人を祀る。
弁財天堂。 宇賀弁財天を本尊に祀る。
売店。 境内の広場となり黒田千年堂と深田豊隆堂の二つの売店。それに手水舎、香炉堂などが建つ。正面に高燈籠が建ち、奥に城塞のような立派な石垣。その上に本堂となる根本堂が建つ。
高燈籠。 目測の高さは7mくらい。石垣の基台の上に、複雑な木組みの大きな傘屋根をかぶり丸型の照明はガラス製。蝋燭ではなく電灯での照明は、どうやら近年に建てられたものと見る。
手水鉢は天然の岩を刳りぬいたもの。天井は格天井。
香炉堂。 銅板葺き屋根の総欅造りで近年に建てられた様子。本堂を参る前に香を供え体を清める。
桁の上には何か獣が潜んでいる。
四隅には龍が桁上の獣を狙っているようだ。
大段々。 階段を上り本堂に向かう。
大段々の途中から見る根本堂。どこかの城塞と思わせる見事な石垣。
大段々を上りきりば樹齢900年と言われる千年杉。
大段々を振り返る。
本堂のある境内。
護摩堂。 本尊の不動明王を祀る。 現在は、護摩を祈祷を行い、絵馬堂としても使用している、。
根本堂【国重要文化財】。 いわゆる本堂である。大同元年(806)に平城天皇の勅願によって完成した建物。本尊に十一面観世音菩薩を祀る。この本尊は秘佛とされているが、毎年1月1日~3日まで、4月29日~5月5日および7月17日には、御開帳法要が営まれ大般若経転読祈祷によって祈願される。本堂後陣には、寺名の由来となった清い水が湧いている。
法堂正面。
本堂には、屋根の庇が深く向拝の無い。 軒下を見ると新しい材料が見られ大規模菜改修工事が行われたこ都がわかる。この本堂は棟札が4枚あり、過去に4回の修理と建て増しが行われたらしい。
扁額の字は薄れて読めない。
内陣を見る。 (写真は島根観光ナビHPより)
本堂の前を見る。
本堂の外廻り。
複雑な木組みも改修されて新しい部材が見られる。
本堂から境内を見る。
本堂の脇から三重塔へ進む。
百観音御砂場踏み霊場。 三十三の霊場石と中央の仏足石からなり、霊場石の下には出雲三十三観音霊場、西国三十三観音霊場、中国三十三観音霊場の砂が納められており、御札を納札箱に納め廻ることで、これらの観音霊場を巡礼するのと同じ功徳が得らる。
三重塔へ進む。こちらの擁壁も強固な石垣となっている。
石垣下から見る三重塔。
三重塔【島根県指定文化財】。 高さは、33.3m。 安政6年(1859)に建立された総欅造りの木造多宝塔。 総欅造りの多宝塔は山陰地方にはここだけ。住職は二代にわたり、手掛けた地方大工は三世代にわたり33年をかけて仕上げた。材となった欅は但馬国の良材で句に地方棟梁の精魂の結晶と言われる。
塔は擬宝珠高欄を付した縁を廻す。
各層の軒下の木組みは複雑で細かい。中備え中央間は立体的な蟇股、両脇間は間斗束、中央間桟唐戸、脇間連子窓。
入口扉。 事前に予約をすれば、内部に入ることもできるらしい。
支輪の下の龍の彫刻がいくつも見られる。
初層の中備えは、蟇股の前に花の彫刻を置き立体感を出している
相輪は伊波の鋳物師の作。形は室町時代に造られた山口の瑠璃光寺五重塔の相輪に似ている。
三重塔から境内全域を見る。
境内の一画に稲荷社があり、参道には57基の赤鳥居が並ぶ。
清水稲荷社。本尊吒祇尼天を祀っている。吒祇尼天は、大黒神所属の夜叉で日本では稲荷の神體となっている。
宝蔵(宝物館)への参道。 宝物館は、昭和47年(1972)に建てられた。重要文化財十一面観音の盗難を起因として、多くの檀信徒並びに国、県、市の援助を得て建てた。”物”を納める蔵ではなく、”み佛の教え”を納めた蔵でありたいとの願いを込めて命名。
宝物館の案内。
光明閣。
案内図。
五木寛之著「百寺順礼」からーーーー古代の人びとにとって、清らかな水が湧きだす地は、眼に見えない大きなものの力を感じる場所だったことだろう。そして、人びとはその場所で、理屈ではないスピリチュアルな力、霊性のようなものを感じ取ったにちがいない。まだ宗教というものが生れる以前から、そういう場所は、聖地として人びとの信仰の対象になっていた。その象徴がアクアであり、聖なる水だったわけだ。そうしているうちに、聖地を舞台にして神話が生れ、神社ができ、新たに宗教というものも伝来してくる。最初、小さな草庵からはじまった寺が、やがて大伽藍が建ち並ぶ寺院へと発展していく。清水寺の場合も、まさにこうした道筋をたどってきたのではあるまいか。聖なる水が湧く聖地にたつ寺。そこにはいまもスピリチュアルな力がある。その力こそが、多くの人びとの信仰を集める理由だという気がする。
御朱印
清水寺 終了
(参考文献) 五木寛之著「百寺巡礼」第8巻山陰・山陽(講談社)
清水寺HP 島根県の塔HP ほか
【付録】 足立美術館。
清水寺からほぼ10km西側に足立美術館がある。今回の出雲・松江の旅は、国宝松江城から始まり、豪商・豪農屋敷を5邸、出雲大社参拝、「百寺巡礼」の一畑薬師、清水寺、そして宍道湖。最後は足立美術館を巡る三泊四日だった。そこで、足立美術館の庭園のさわりを少々。
終了。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます