『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

15 大乗寺

2023-06-07 | 石川県

第14番 大乗寺

 

現代人の心を癒す修行道場

 

 

 東香山大乘寺は、山号を別に古くは椙樹林、のちには金獅峯とも呼んだ。開山は、福井県の曹洞宗大本山永平寺の第三代・徹通義介禅師(1219~1309)徹通義介禅師は師の道元禅師(1200~1253)のおしえを伝えて、「貧」の学道をまもり、のち中国にわたり諸山を遍歴して、「永平十刹図」を撰述し、帰国して永平寺の寺規、伽藍を一新して「永平中興」といわれた。平成二十年は、七百回御遠忌を終了し。また、大乘寺は、永平寺の四門首(永平寺の門葉の四代表寺院)の一つとなっている。徹通義介禅師は、のちに加賀の地へ移り、守護職冨樫氏の帰依をうけて、正応2年(1289)に野々市に大乘寺を開く。徹通義介禅師の弟子の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師(1268~1325)は、大乘寺第二代となり、やがて羽咋市の永光寺、ついで大本山總持寺を開き、日本で最多寺院を擁する曹洞宗の基盤をつくり、道元禅師を高祖と呼ぶのにならび太祖と仰がれている。

 このように大乘寺は、永平寺、總持寺の両大本山とも特別の由緒をもつ寺院である。江戸時代、約三百年前の加賀藩老本多家の庇護のもと現在地に移り、二十六世中興月舟宗胡禅師、二十七世復古卍山道白禅師が登場し、道元禅師の古風を尊重し、清規をととのえ、「規矩大乗(きくだいじょう)」の名を天下に知らしめ、禅のきびしい修行道場として世にその名を高めてきた。現在も、大乗寺専門僧堂を運営している。大乘寺の伽藍は、わが国禅宗建築、その中でも曹洞宗寺院建築の典型的な七堂伽藍の配置を示している。

 

参拝日                    平成29年(2017)6月25日(日) 天候晴れ

 

所在地      石川県金沢市長坂町ル10番地

山 号      東香山                                                            宗 派      曹洞宗                                                            本 尊      釈迦牟尼仏                                                          創建年      弘長3年(1263)                                                        開 基      徹通儀介                                                           別 称      椙樹林                                                            文化財      (国重要文化財)仏殿  (石川県重要文化財) 総門、山門、回廊、鐘鼓楼、庫裡ほか

 

金沢の繁華街香林坊の大和百貨店前からバスで約25分。長坂の住宅街で降りて徒歩10分くらいに、なだらかな丘陵地に広がる大乗寺丘陵公園がある。その一角に大乗寺はある。高台の丘陵地にあるため大乗寺の入り口からは加賀平野が一望に広がる。総門を入るとうっそうと茂る樹林に囲まれ、世俗から隔離されたような世界が広がる。当寺の出入りは自由にでき参拝も自由にできる。

 

境内図

 

 

 

先ずは総門

 

 

 

「不許葷酒入山門」の石碑。酒や匂いのする野菜を食するものが山門に入るのを許可しないという石碑。

 

 

 

 

総門 黒門とも言われ寛文5年(1665)に創建。 石川県指定重要文化財。

 

 

 

 

 

  

 

扁額は『金獅峰』と書かれ、元々金獅峰という山号であった。

 

 

  

総門を振り返る

 

 

 

総門を入り右手に直角に折れて山門に。

 

 

 

山門   江戸時代初期に建立された。(石川県指定有形文化財)

 

 

 

 

 

 

 

仁王像

 

 

 

 

 

 

 

山門を振り返る。

 

 

 

 

仏堂【国指定重要文化財】  元禄15年(1702)に建立。

 

 

 

扁額「大雄殿」  禅宗系の寺院の本堂という印。

 

 

 

仏殿 正面

 

 

 

仏殿の内部   扁額「無上尊」はお釈迦様の尊称。ご本尊の釈迦牟尼仏を安置。

 

 

 

仏殿の正面の軒下周りを斜めから見る

 

 

 

軒先周り  隅木と垂木、柱の上の大斗と肘木の木組み

 

 

 

花頭窓

 

 

 

こちらも花頭窓という呼び方でいいのかな?

 

 

 

仏殿の裏側

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏殿の屋根の鬼瓦

 

 

 

これは何だろうか? 灯籠?

 

 

 

仏殿の北側から庫裡の回廊を見る。 正面は鐘鼓楼。

 

 

 

庫裡を囲む中庭 左手は法堂、右手仏殿。

 

 

 

足佛石   釈迦の足跡を石に刻み信仰をした。

 

 

 

庫裡の入り口 左手の扁額は「金獅峯」と書かれている。右手の扁額は「衆香界」

 

 

 

法堂の内部  庫裡から入り回廊を進み法堂の前に。

 

 

 

法堂の須弥壇

 

 

 

 

 

 

 

法堂の説明文

 

 

 

法堂から回廊を進み僧堂(座禅堂)へ

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼

 

 

 

仏殿の前に鎮座していた狛犬。お寺にも狛犬はあるのだ!

 

 

 

大乗寺の駐車場から金沢市街を見る

 

 

 

金沢駅前のもてなしドームの鼓門  すごい門だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周辺図

 

 

 

案内図

 

 

五木寛之の「百寺巡礼」からーーーー『ためしに、私も何もない壁面に向かって、目を閉じてしばらくじっと座ってみた。雑念は少しも去らない。しかし、自分の体の中に、清冽な風がおのずと吹き込んでくるようなすがすがすがしい気持ちになった。むかし中学生だったころに、父によく座禅を組ませられたころを思い出す。真宗の場合は、少し猫背になって、ふところになにかを抱くようにして合掌することが多い。それに対して、禅の世界では、背中をしゅんと伸ばして胸を張るという感じがある。・・・中略・・・、案の定、やはり頭のなかは雑念だらけでどうしようもない。こころを静かに保とうなどと考えるのが、私にはおこがましいのかもしれない。いっそのこと雑念のかたまりとして座っている方が落ち着くのではないだろうか。そう思うとふしぎに心が軽くなった。やがて目を開けた時の僧堂の窓からの眺めは素晴らしかった。なかが暗いだけに、外側の景色が鮮やかに目に染みる。その薫るような新緑のなかで、禅寺のきびしい雰囲気が、少しなごやかに感じられてほっとした』

 

 

御朱印

 

 

                                                                      大乗寺 終了


14 伝法院

2023-06-04 | 東京都

古寺を巡る  伝法院

特別公開の浅草寺に隣接した庭園のある寺

参拝者で賑わう浅草寺の仲見世の西側に、閑静な庭園が広がっていることは意外に知られていない。伝法院は浅草寺の本坊であり、大玄関・客殿・使者の間、(安永6年(1777)の再建)大台所・大書院・住職の間(安永6年以降の再建)などの建築と、江戸時代初期の庭園からなる一画である。江戸時代初期の頃は「観音院」や「智楽院」と呼ばれていたが、浅草寺中興四世の宣存僧正の坊号をとって、元禄3年(1690)頃より伝法院と称されるようになった。庭園の大部分を占める大池泉は、北東部と南西部の池に大きく分かれ、2つの池は細い流れでつながれている。池の周囲に小径がめぐらされた「廻遊式庭園」であり、歩むごとに景観の変化を楽しめる。寛永年間(1624~44)に、作庭家として著名な小堀遠州により築庭されたと伝わる。庭園の諸所に石塔や石灯籠などが置かれ、景観に趣を添える。


平成23年(2011)に伝法院の庭園が国の名勝に、平成27年(2015)には「客殿、玄関、大書院、小書院、新書院、台所」の6棟が国の重要文化財に指定された。一般公開はしていないが、不定期で特別公開されることがある。

 

参拝日       平成29年(2017)5月2日(火) 天候晴れ

 

所在地       東京都台東区浅草2丁目49       

山 号       金龍山
寺 名       浅草寺伝法院
  
宗 派       聖観音宗(天台宗系単立)
寺 格       総本山
別 称       浅草観音
正式名         真言本廟  
本 尊       聖観音菩薩(絶対秘仏)
創建年         推古天皇36年(628)
開基          土師中地
伝法院創設     安永5年(1776)
文化財              国指定重要文化財(伝法院客殿)  

 

 

境内図

 

 

 

 

伝法院通り商店街

 

 

 

伝法院通りに面した伝法院入り口門。門の名は不明。

 

 

 

 

 

 

 

門をくぐり右側の建物が伝法院本坊だが、こちらは非公開。 本坊横の木戸門をくぐり庭園に出る。

 

 

 

園内図

 

 

 

木戸門をくぐり新書院の前に出る。5月で藤棚が花盛り。

 

 

 

新書院の前

 

 

 

大書院   明治35年(1902)に再建された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大書院の前には小堀遠州作庭による池泉式回遊庭園が広がる。

 

 

 

大書院

 

 

 

大書院を背にしてスカイツリー  秘庭と言われた庭園に超近代低位な建物との融合?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手の煉瓦入りの建物は浅草公会堂かな?

 

 

 

池に写る五重塔(参拝した際には改修工事中だった) ここがベストフォットスポットだそうだ。

 

 

 

池の水面は鏡になっていて、大都会のど真ん中とは思えない静かな場所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大書院の前に池と築山が配された。

 

 

 

庭園内にはかなり多くの外国人観光客が見られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石灯籠も多く見られ、地表には苔が広がる。

 

 

 

 

 

 

 

園内には遊歩の小道が完備して巡りやすい。

 

 

 

浅草の街の中に、都会の喧騒を全く寄せ付けないこのような渓谷があるとは、気付かない人のほうが多いのではないだろうか・・・

 

 

 

 

 

 

 

茶室の近くに腰掛待合

 

 

 

茶室 『天佑庵』 天明年間(1781〜89)に、名古屋の茶人牧野作兵衛によって、表千家宗左邸内の不審庵(安土桃山時代に千利休によって造られた)を模して建てられたもので、その実体を伝えている点では最古だという。戦後に東急の五島慶太翁と浅草寺婦人会の尽力によって奉納移築された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古寺巡り「浅草寺伝法院」終了

 

 

 


13 高徳院 

2023-06-03 | 神奈川県

第48番 高徳院

多くの謎と武士の祈りを秘めた大仏

 

 

鎌倉から江ノ電に乘り、三つ目長谷駅で降りて真っすぐ500m。途中の左手には長谷寺があり、右手には鎌倉三大洋館の一つ加賀藩前田家の別荘がある。現在は鎌倉文学館として鎌倉の在住した文化人の展示館になっている。この道は休日ともなれば狭い歩道が人で溢れる賑わいのある通りである。その突き当りに鎌倉の大佛が鎮座している。寺名は高徳院というのだが、誰も鎌倉の大仏と呼んでいる、知名度の高いお寺である。

 

仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏( 盧舎那仏) に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有している。北条得宗家の正史『吾妻鏡』によれば、その造立が開始されたのは建長4年(1252)。制作には僧浄光が勧進した浄財が当てられたとも伝えられている。もっとも、創建当時の事情には不明な部分が多く、未だ尊像の原型作者すら特定されるに至っていない。当初尊像を収めていた堂宇については、『太平記』と『鎌倉大日記』に、建武元年(1334)および応安2年(1369)の大風と明応7年(1498)の大地震によって損壊に至ったとの記録を見いだすことができた。以後、露坐となり荒廃が進んだ尊像は、江戸中期、浅草の商人野島新左衛門( 泰祐) の喜捨を得た祐天・養国の手で復興することができた。尊像の鋳掛修復に着手し、「清浄泉寺高徳院」と称する念仏専修の寺院を再興、当時、浄土宗関東十八檀林の筆頭であった光明寺の「奥之院」に位置づけたのも、祐天の事績にほかならない。今日、創建750 年余を経た尊像は、仏教東伝の象徴として、国内外、宗派の別を問わず数多の仏教徒の信仰を集めている。

 

 

 

参拝日       平成29年(2017)2月2日(水) 天候晴れ

 

所在地       神奈川県鎌倉市長谷4-2-28                                               山 号       大異山                                                           宗 派       浄土宗                                                         本 尊       阿弥陀如来                                                    創建年       不詳                                                       開 基       不詳                                                       正式名       大異山高徳院清浄泉寺                                               別 称       鎌倉大仏                                                     札所等       鎌倉三十三観音二十三番                                              文化財      (国宝)銅造阿弥陀如来坐像

 

 

門の前の通り

 

 

 

 

 

 

 

高徳院の参道

 

 

 

 

 

 

 

境内案内図

 

 

 

仁王門 院の山号「大異山」を記す扁額が掲げられた山門は、18世紀初頭、内部に安置された一対の仁王像とともに他所より移築されたものと伝えられている。 

 

 

 

仁王像

 

 

 

 

 

 

 

仁王門をくぐるともう一つの門が常時閉鎖されている様子で、左側の入り口から院内に入る。

 

 

 

境内に入る

 

 

 

手水舎

 

 

 

石碑と大仏

 

 

 

石碑の所から入り口方角の境内を見る

 

 

 

かなり外国人にが多く、みな記念写真を撮る。

 

 

 

鎌倉大仏【国宝】  正式には「銅造阿弥陀如来坐像」 作者は不明、「慶派」(運慶とそれに連なる仏師達)の作風と宋代中国の仏師達からの影響の双方を併せ持つ、いかにも鎌倉期らしい仏像といわれている。

 

 

 

 

 

 

 

大仏の寸法  総高13.35m  仏心高11.31m  面高2.35  眼長1.0m  口幅0.82m  耳長1.9m  眉間白毫直径0.18m  螺髪高0.18m  螺髪直径0.24m  螺髪数656  総重量 121t  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大仏の後ろ姿

 

 

 

 

 

 

観月堂 15世紀中頃、漢陽(今日のソウル)の朝鮮王宮内に建築されたと伝えられる建物。大正13年(1924)当時これを所持されていた「山一合資会社」(後の「山一證券」)の社長、杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈さた。この建物の中に、江戸後期の作品とみられる観音菩薩立像が安置されている。 

 

 

 

与謝野晶子の歌碑

 

 

 

歌碑に書かれた句

 

 

 

礎石  創建当初大仏像を収めていた堂宇は60基の礎石に支えられていたよう。現在、境内に遺る同礎石は56基。いずれも根府川産の輝石安山岩を石材とするそれらのなかには、庭石や水盤にも転用されているものもある。

 

 

 

大わらじ    大仏像に向かって右側の回廊内壁には、常陸太田市松栄町(旧郡戸村)に活動拠点を置く松栄子供会によって奉納された、長さ1.8m、幅0.9m、重量45kgにも及ぶ大きな藁草履がかけられている。1956年以降、3年に一度巨大な藁草履の制作を試み寄進を続けている。

 

 

 

お寺だが神さまの使いなら、このような人がそうかもしれないな・・・・

 

 

 

案内図

 

 

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」よりーーーーー『つねに死と隣り合わせの武士にとって、自分を律することで心の平安を得る禅宗は支えになった。それゆえに大きな流行となったのであろう。しかし一方では死と隣り合わせにあるがゆえに、極楽往生を願う浄土信仰も必要だったのではないかと思う』『意志の強さを自覚する武士たちは自分の力で真理に向かって進もうとして禅宗に惹かれる。しかし、殺生をなりわいとしいつ死ぬかも知れぬ身であることを考えれば、たとえ殺生という大罪を犯した直後であっても救われたい。その希望にこたえるのが浄土宗と考えられる。こうして鎌倉の地で武士たちは禅と浄土信仰という両方の考えを支えにして、死と隣り合う時代を生き抜いたに違いない。大きな阿弥陀如来は、そうした時代の象徴のような存在だったと言えないか』

 

 

御朱印

 

 

高徳院 終了