『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

9 梅林寺

2023-05-17 | 福岡県

第92番 梅林寺

 

托鉢の雲水に雪が降りしきる

 

 

 

 

JR久留米駅のすぐ裏手の筑後川べりの丘に、堂々たる伽藍を見せているのが臨済宗妙心寺派の梅林寺である。九州の代表的な修行道場地して知られる古刹で、久留米藩主の有馬家の菩提寺となった寺でもある。なお、有馬家第16代当主は、作家の有馬頼義であった。

寺の起源は、初代藩主豊氏が故地丹波福知山の瑞巌寺を移したもので、父則頼の分霊をここに移し、その法号梅林院から寺号を改めたもの。本堂正面には浮彫の扉をもつ唐門が優れた威容を見せ、裏に廻ると始祖をはじめ歴代の藩主の霊廟や墓塔が、静かな小松林のなかに佇んでいる。

この寺には六百余点を超える寺宝があり、絹本著色釈迦三尊像(重要文化財)のほか、尾形光琳の富士山の図、長谷川等伯の屏風、狩野が描く襖絵なども収蔵されている。隣接の外苑は、広い梅林となっている。

 

参拝日   平成28年(2016)12月14日(金) 天候曇り

 

所在地   福岡県久留米市京町209番地

山 号   江南山                                                               宗 派   臨済宗妙心寺派                                                           本 尊   如意輪観音座像                                                           創建年   元和7年(1621)                                                           正式名   江南山梅林禅寺

 

 

 

 

山門  扁額は「紫海禅林」。

 

 

 

山門をくぐり振り返る

 

 

 

山門の脇に見える鐘楼  天保10年(1843)竣工。

 

 

 

禅堂  扁額は「金剛屈」。  禅の修行として重要な場で外部とは隔てられて建つ。 文化元年(1804)に建立。

 

 

禅堂の中を見る。 入り口側。

 

 

禅堂の修行道場

 

 

 

庫裡の妻側を見る。 庫裡は明治35年(1902)に創建された。

 

 

 

 

庫裡入口

 

 

 

庫裡の玄関口

 

 

唐門 檜皮葺きの平唐門。 彫刻が施された荘厳な扉。明治20年(1887)に創建。 この奥に本堂があるが白い築地塀に囲まれ立ち入れない。本堂の建立は大正7年(1918)。


 

 

 

本堂の脇(白い築地塀)を通り有馬家霊屋ぬ向かう。右の堂宇が本堂。

 

 

 

左の堂宇は開山堂。

 

 

 

開山堂  開山の寓門玄級の彫像を安置している。弘化3年(1846)に建立。

 

 

 

有馬家墓所の前の石庭。右手は位牌堂。修行僧が石庭の手入れ中であった。

 

 

 

 

 

 

 

梅林院霊屋(入母屋) 久留米藩主有馬家の墓所で、範頼と範頼の室、範頼の子女の五輪塔を安置する。前方の石灯籠の銘文から嘉永7年(1630)に建立されたことがわかる。伝統的な和洋3間仏堂で17世紀前期の建築様式を良く表している。

 

 

 

梅林院霊屋(宝形造) 前方の石灯籠に寛永20年(1643)9月30日建立と刻まれていることから、豊氏の埋葬に伴って建てられたものと考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

長壽院位牌廟 霊屋2堂の後ろに位牌廟が10堂程見られる。その一つが初代藩主豊氏の正室長壽院の廟である。長壽院は徳川家康の養女として輿入れし、承応元年(1652)に没し、位牌廟はそのときに建立されたもの考えられる。

 

 

 

墓所からかいま見る本堂。

 

 

 

墓所の階段に落ちた紅葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JR久留米駅

 

 

 

JR久留米駅前風景

 

 

 

案内図

 

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」よりーーーー『雲水たちは、夏は朝三時、冬は四時起床である。それから、朝のお勤めがあり参禅、庭掃除、作務、夜の座禅という具合に、一日のスケジュールがぎっしり詰まっている。自分のための勉強をするのは夜の時間帯しかない。そのため睡眠時間は、常に三、四時間だともいう。その話を聞いて、修行というものはすごいものだ。とあらためて驚ずにはいられなかった。戦後六十年、私たちはこの日本の繁栄とともに、非常に豊かな社会の中で生活を享受してきた。いわば飽食の時代をすごしてきたのである。いまの世相を見ていると、そのつけが、いっぺんに私たちの上に降りかかっているような気がする。そういう時代に、ひとつのお寺が、長い歴史のなかで磨き上げてきた大事な精神を。ここでしっかり守り続けている。この九州の一角にいま梅林寺があるということが、ありがたくも尊く感じられてならなかった』

 

御朱印  なし

 

                                                   梅林寺終了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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8 観世音寺

2023-05-14 | 福岡県

第91番 観世音寺

 

境内に響く千三百年の鐘の余韻

 

 

 

 

参拝日     平成28年(2016) 12月13日(木) 天候小雨

 

所在     福岡県太宰府市観世音寺5-6-1
山号     清水山
寺名     観世音寺
宗派     天台宗
本尊     聖観音
創建年      天平18年(746)完成
開基     天智天皇
霊場     九州西国33観音33番
文化財       国宝・梵鐘 国指定重要文化財・木造観音菩薩坐像など17点
       

九州を代表する古寺。大宰府天満宮から歩いて15分くらいのところに観世音寺がある。 五木寛之著の百寺巡礼第91番目 境内に響く1300年の鐘の余韻として紹介されている。1300年の歴史がある当寺は、大宰府天満宮よりはるかに歴史が長い。『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が、母君斉明天皇の冥福を祈るために発願されたもので、80年後の聖武天皇の天平18年(746年)に完成した。当時は九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在はしっかりした伽藍があるわけではないので、少々田舎の萎びたお寺の感じがする。

江戸時代初め藩主黒田家によって嘉永8年(1631年)に金堂が、元禄元年(1688年)には講堂(本堂)が復興され、どうにか古寺としての面目を保ってきた。今では、再建された講堂と金堂(県指定文化財)の二堂があるのみになっている。
 
 
参道の入り口の石碑は「観世音寺」の文字。
 
 
 
 
 
 
参道には、クスの大樹の並木が続き、境内は紅葉、菩提樹、藤、アジサイ、南京ハゼと季節ごとに樹木に色がつき移り変わりがよくわかる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
現在残る観世音寺の建物はすべて近世の再建で、昔の面影はない。
 
 
 
 
 
 
正面から本堂と境内をみる。当日は雨のため境内はぬかるんでいた。
 
 
 
 
 
 
 
本堂を正面から見る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ご本尊の木造観音菩薩坐像【国指定重要文化財
 
 
 
 
 
 
 
堂内の様子
 
 
 
 
 
 
本堂の裏側
 
 
 
 
 
 
 
本堂から参道側を見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天平石臼  「日本書記」の610年に高麗から来た僧が初めて碾磑(てんかい)を動かし小麦を引いたとあり、これがその実物であろうと言われている。
 
 
 
 
 
 
 
かって大伽藍があったころの跡で、金堂と向かい合って建っていた五重塔の心柱の楚石
 
 
 
 
 
 
 
鐘楼
 
 
 
 
 
梵鐘【国宝】  日本最古の梵鐘の一つで白鳳時代に造られた。京都妙心寺にある鐘とは兄弟鐘となる。鐘身の鋳型を造る時の用具が同じと言われている。大きさは、高さ160.5㎝、口径は86.3㎝、厚みは底部で5.5㎝~5.7㎝、重さは850㎏ほど。観世音の鐘は大宰府で最期をむかえた菅原道真も聴いたという。
 
 
 
 
 
 
 
境内に残る木々
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

昭和34年(1959年)には鉄筋コンクリートの宝蔵が完成。多くの仏像を災害から守り完全な形で保管するため、国・県・財界の有志によって、堅固で正倉院風な周囲の景色に馴染みやすい収蔵庫が建設されたのである。この中には平安時代から鎌倉時代にかけての仏像16体をはじめ、全て重要文化財の品々が収容されており、居並ぶ古い仏たちに盛時がしのばれる。西日本最高の仏教美術の殿堂のようで、特に5m前後の観音像がずらりと並んでいる様には圧倒される。また仏像の多くが樟材で造られたのも九州の特色といえる。
 
 
 
 
 
観音寺に隣接し戒壇院がある。観世音と同一の寺かと思えるのは、江戸時代まで観世音寺の堂宇の一つだったが、現在は独立した臨在宗妙心寺派の寺である。この戒壇院は官僧になるための試験場で、天下の三戒壇といわれる。本尊は廬舎那仏で、東大寺の廬舎那座像と大きさは異なるが同じものという。平安時代の末期の作で国の重要文化財に指定されている。
 
 
 
 
 
 
 
戒壇院の山門
 
 
 
 
 
 
 
山門の方向に境内を見る
 
 
 
 
 
 
 
境内から本堂をみる  日本の三大戒壇院のひとつで、ほかに東大寺戒壇院、下野(栃木県)の薬師寺戒壇院がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鐘楼 江戸時代に博多で酒醸造業で財をなした楠屋白木玄流の臨終の遺言により寄進された。梵鐘の塔の前に白木玄流氏寄贈と記載されている木札が立てられている。
 
 
 
 
 
 
 
 
天然記念物の菩提樹
 
 
 
 
 
 
 
初冬の戒壇院の外塀
 
 
 
 
 
 
 
天満宮の参道。
 
 
 
 
 
 
 
 梅ケ枝餅のかさの家
 
 
 
 
 
 
 
全国的にも知られた梅ケ枝餅の名店  
 
 
 
 
 
 
太宰府天満宮の楼門
 
 
 
 
 
太宰府天満宮の御本殿
 
 
 
 
 
 
 
御本殿前の系内の様子 
 
 
 
 
 
 
 
西鉄の大宰府駅
 
 
 
 
 
 
 
12月の中旬、博多駅前はイルミネーションに
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
福岡・博多駅前
 
 
 
 
 
 
 
案内図
 
 
 
 
 
 
 
 
五木寛之著「百寺巡礼」からーーーー『観世音寺は、古さという点では、九州だけではなく日本全国の寺のなかでも指折りの寺といえる。かってはこの地に大きな大宰府政庁という役所があり、勉学の施設があり、外国使節の応接をする館もあり、そのなかにこの寺があった。今回、観世音寺を訪ねて、日本という国がじつに長い歴史をもち、古代から東アジア全体の文物の交流の渦の中にあった。ということを実感することができた。私はこの「百寺巡礼」をはじめてから、寺は”民族のライブラリー”だと思うようになった。この大宰府、そして観世音寺には、まさにそうした日本人の記憶の集積がたくさんつまっている。いわば、寺自体がかけがいのない宝蔵なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
御朱印
 
 
 
 
観世音寺 終了
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