『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

72 鑁阿寺

2024-01-02 | 石川県

古寺巡り 鑁阿寺

 

 

快晴で風が少し吹いている師走の日曜日。北関東の寺巡りで、熊谷の歓喜院と足利の鑁阿寺を参拝することにした。

鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197)に、足利義兼によって建立された。足利氏の守り本尊である大日如来を祀る。約4万㎡に及ぶ敷地は、元々は足利氏の館であり、平安時代後期の武士の館の面影が残されている本堂とともに、四方に巡らされた堀と土塁、四方の門が残されている。


寺院としては、鎌倉時代初期、建久7年(1196)源姓足利氏2代目の足利義兼が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、寛喜元年(1229)に落雷により、焼失したが、足利尊氏の異母兄で、足利宗家7代目の足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。日本としては禅宗様式への転換期の最初期にあたる。

鎌倉時代から室町時代にかけて寺院として次第に整備され、室町将軍家、鎌倉公方家などにより、足利氏の氏寺として手厚く庇護された。
 
境内には、歴史的な建造物が多数あり、彫刻や文書、美術工芸品など、中世来の貴重な宝物類も多数残され、今に伝わっている。

なお、鑁阿寺の名称は、開基の足利義兼が、晩年に出家した際に「法華坊鑁阿」と号したことによる。

 

参拝日    令和5年(2013)12月17日(日) 天候晴れ

 

所在地    栃木県足利市家富町2220                          山 号    金剛山                                   院 号    仁王院                                   宗 旨    新義真言宗                                 宗 派    真言宗豊山派ー真言宗大日派                         寺 格    本山                                    本 尊    大日如来                                  創建年    建久7年(1196)                              開 基    鑁阿(足利義兼)                              正式名    金剛山仁王院法華坊鑁阿寺                          別 称    大日様                                   札所等    関東八十八箇所第16番                            文化財    本堂(国宝) 鐘楼、経堂ほか(国重要文化財)

 

 

境内図。

 

 

 

四方の巡らされた堀と土塁。お寺というより館。こちらは東側。

 

 

 

南側の堀。

 

 

 

 

 

山門の前にある屋根付けの太鼓橋。

 

 

 

 

 

 

 

太鼓橋と山門。

 

 

山門。  三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺の造り。 建てられたのは本堂と同じ時期だが、現在の建物は永禄7年(1564)に13代将軍 足利義輝の再建となる。唐様という建築様式の楼門。鎌倉時代に建てられた本堂や鐘楼と比べると、彫刻や屋根の形態が異なり、後の年代に建てられた特徴がある。

 

太鼓橋。  桁行 780.0cm  梁間 339.0cm。 唐破風桟瓦葺。 江戸時代の創建。鑁阿寺正面入り口の堀に掛けられた反り橋。内部の天井は格天井に仕上げ。堀の縁石には切石の橋脚が利用されている。江戸時代後期の建造物で、背面の楼門とのつり合いもよくとれている。

 

 

礎盤の上に柱を建て、上層には高欄という手すりを廻した。三ツ斗組とした楼門造。両脇には仁王像(鎌倉時代に運慶により彫り込んだと伝えられている。阿形、吽形像)が安置されている。

 

 

金剛山の扁額。

 

 

 

太鼓橋の上屋の唐破風。 鬼瓦、互にはそれぞれに足利家の家紋。

 

 

 

三ツ斗組とした楼門造り。

 

 

 

 

 

 

太鼓橋から門前の市街まちなみを見る。

 

 

 

山門から市街を見る。

 

 

 

山門を振り返り見る。

 

 

 

門を潜ろ境内を見る。

 

 

手水舎。

 

 

本堂【国宝】     入母屋造、本瓦葺き。桁行5間、梁間5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を指す)。正安元年(1229)の建立だが、応永14年(1407)から永享4年(1432)の間に大規模な改造が行われ、この時に柱をすべて入れ替え、正面に向拝を付した。

 

 

平面構成は前方2間分を外陣、後方3間分を内陣及び脇陣とする密教仏堂の形式だが、建築様式は禅宗様を基調とする。禅宗建築の特徴の一つに屋根先の反りがるが、残念ながら写真から切れてしまった。

 

 

乗せられた鬼瓦。

 

 

組物を詰組とし、柱に粽(ちまき)を設け、扉を桟唐戸、壁を竪板壁とする点などは禅宗様の要素だが、組入天井、板敷の床など和様の要素もある。向拝の水引虹梁に下がる明和年間(1764~1772)鋳造の鰐口がある。

 

 

向拝は応永14年(1407)から永享4年(1432)の間に大規模な改造が行われ、紅梁や組み物などはその際に新増設されたもの。

 

 

 

外陣に向かって正面には、障子が建て込まれその外に唐桟戸が建て込まれている。

 

 

 

向拝の正面。

 

 

 

外陣を見る。

 

 

 

向拝から境内を見る。

 

 

 

密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重である。

 

 

 

雨受け甕。

 

 

 

本堂の側面を見る。

 

 

 

本堂の背面を見る。

 

 

 

背面から本堂と不動堂を見る。

 

 

 

本堂の足利家の家紋「足利二つ引両」の入った鬼板。懸魚は三つ花懸魚。

 

 

 

不動堂の鯱。鬼板は獅子?だろうか?

 

 

 

不動堂【足利市指定重要文化財】   鎌倉時代初期の建久7年(1196)に足利義兼が建立したのがはじまりとされ、安土桃山時代の文禄元年(1592)に生実御所国朝が再建。本尊は平安時代作の不動明王像で、興教大師が彫り込んだ像を成田山から勧請してきたとされる。

 

 

向拝の屋根の造りを見る。

 

 

 

大酉堂。  足利尊氏を祀るために建立された堂で、明治中期からは、大酉大権現を本尊とした。

 

 

 

大黒堂。  本堂の北側に位置し、宝暦2年(1752)に再修されたれた校倉風の建物。寺の宝物が収蔵されていた。

 

一切経堂【国重要文化財】    経典を納めた堂。元は足利義兼の創建だが、現存の建物は足利満兼により応永14年(1407)に再建されたもの。堂内部の中央には一切経2千巻余りを収めた、高さ15m程の八角型の輪蔵(経棚)がある。その取っ手を押して1回転させると、経典をすべて読んだのと同じ御利益があるといわれる。 

 

 

瓦屋根の軒先。

 

 

多宝塔【栃木県指定文化財】    金剛界大日如来本尊前と勢至菩薩(二十三夜尊)が祀られている。現在の建物は徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院により、元祿5年(1692)に再建されたもの。しかし、調査時に寛永6年(1629)銘のものが発見され、築年代は更にさかのぼることが判明した。ちなみに徳川家は上野国新田の一族徳川氏を遠祖としており、近隣の徳川郷(現、群馬県太田市)をその祖先の地としている。塔内には足利家の大位牌と、徳川歴代将軍の位牌も祀られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大銀杏の木と多宝塔。

 

 

 

大銀杏。  多宝塔の前に位置する、県指定の天然記念物。樹齢550年前後といわれいる。 

 

 

 

大銀杏と多法塔の前にある焼香場。

 

 

鐘楼。      鎌倉時代に建立。四方吹き放ちの桁行3間、梁間2間、袴腰附、入母屋造、本瓦葺。本堂と同じ建久7年(1196)に建てられたが、後に、再建されてやが、その時期は不明。中央に、江戸時代の天明鋳物の鐘が吊り下げられている。木鼻や斗栱(ときょう)をはじめ、建物の形状やそのつくり方など、全体に鎌倉時代の禅宗様建築の特色がよく現われている大変珍しく貴重な建物。

 

 

 

 

 

御霊屋。    境内の北西に位置し、校倉の宝庫及び蛭子堂と並んで建っ。本殿は桁行 200.0cm、 梁間 130.0cm。 拝殿が桁行570.0cm、梁間 388.0cmと二つの棟からなり、長 28.47mの塀に囲まれている。江戸時代後期に11代将軍 徳川家斉の寄進により再建されたと言われる。

 

 

 

正門に棟門を設けて瑞垣という板塀で囲み、その中に拝殿を建て、その後方に本殿を配している。

 

庭園。  池泉式回遊庭園は、境内の木々の間に鐘楼が建ちその奥に、心字池を中心とした庭園が広がっている。 心字池は大小の石を組み合わせ、太鼓のように湾曲した石橋と平の石橋の二の橋がかけられている。池の両端にそれぞれ雪見燈籠が設けられ、地面は苔に覆われ池と石と橋と燈籠で風情のある庭園となっている。写真ではその風情を表せなく残念ではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東門側に竹林。

 

 

 

東門。   中央の山門の他に、東北西にそれぞれ門がある。

 

 

 

案内図

 

 

御朱印

 

 

 

鑁阿寺 終了

 

(参考文献) 鑁阿寺HP フリー百科事典Wikipedia (ブログ)何気ない風景とひとり言

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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15 大乗寺

2023-06-07 | 石川県

第14番 大乗寺

 

現代人の心を癒す修行道場

 

 

 東香山大乘寺は、山号を別に古くは椙樹林、のちには金獅峯とも呼んだ。開山は、福井県の曹洞宗大本山永平寺の第三代・徹通義介禅師(1219~1309)徹通義介禅師は師の道元禅師(1200~1253)のおしえを伝えて、「貧」の学道をまもり、のち中国にわたり諸山を遍歴して、「永平十刹図」を撰述し、帰国して永平寺の寺規、伽藍を一新して「永平中興」といわれた。平成二十年は、七百回御遠忌を終了し。また、大乘寺は、永平寺の四門首(永平寺の門葉の四代表寺院)の一つとなっている。徹通義介禅師は、のちに加賀の地へ移り、守護職冨樫氏の帰依をうけて、正応2年(1289)に野々市に大乘寺を開く。徹通義介禅師の弟子の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師(1268~1325)は、大乘寺第二代となり、やがて羽咋市の永光寺、ついで大本山總持寺を開き、日本で最多寺院を擁する曹洞宗の基盤をつくり、道元禅師を高祖と呼ぶのにならび太祖と仰がれている。

 このように大乘寺は、永平寺、總持寺の両大本山とも特別の由緒をもつ寺院である。江戸時代、約三百年前の加賀藩老本多家の庇護のもと現在地に移り、二十六世中興月舟宗胡禅師、二十七世復古卍山道白禅師が登場し、道元禅師の古風を尊重し、清規をととのえ、「規矩大乗(きくだいじょう)」の名を天下に知らしめ、禅のきびしい修行道場として世にその名を高めてきた。現在も、大乗寺専門僧堂を運営している。大乘寺の伽藍は、わが国禅宗建築、その中でも曹洞宗寺院建築の典型的な七堂伽藍の配置を示している。

 

参拝日                    平成29年(2017)6月25日(日) 天候晴れ

 

所在地      石川県金沢市長坂町ル10番地

山 号      東香山                                                            宗 派      曹洞宗                                                            本 尊      釈迦牟尼仏                                                          創建年      弘長3年(1263)                                                        開 基      徹通儀介                                                           別 称      椙樹林                                                            文化財      (国重要文化財)仏殿  (石川県重要文化財) 総門、山門、回廊、鐘鼓楼、庫裡ほか

 

金沢の繁華街香林坊の大和百貨店前からバスで約25分。長坂の住宅街で降りて徒歩10分くらいに、なだらかな丘陵地に広がる大乗寺丘陵公園がある。その一角に大乗寺はある。高台の丘陵地にあるため大乗寺の入り口からは加賀平野が一望に広がる。総門を入るとうっそうと茂る樹林に囲まれ、世俗から隔離されたような世界が広がる。当寺の出入りは自由にでき参拝も自由にできる。

 

境内図

 

 

 

先ずは総門

 

 

 

「不許葷酒入山門」の石碑。酒や匂いのする野菜を食するものが山門に入るのを許可しないという石碑。

 

 

 

 

総門 黒門とも言われ寛文5年(1665)に創建。 石川県指定重要文化財。

 

 

 

 

 

  

 

扁額は『金獅峰』と書かれ、元々金獅峰という山号であった。

 

 

  

総門を振り返る

 

 

 

総門を入り右手に直角に折れて山門に。

 

 

 

山門   江戸時代初期に建立された。(石川県指定有形文化財)

 

 

 

 

 

 

 

仁王像

 

 

 

 

 

 

 

山門を振り返る。

 

 

 

 

仏堂【国指定重要文化財】  元禄15年(1702)に建立。

 

 

 

扁額「大雄殿」  禅宗系の寺院の本堂という印。

 

 

 

仏殿 正面

 

 

 

仏殿の内部   扁額「無上尊」はお釈迦様の尊称。ご本尊の釈迦牟尼仏を安置。

 

 

 

仏殿の正面の軒下周りを斜めから見る

 

 

 

軒先周り  隅木と垂木、柱の上の大斗と肘木の木組み

 

 

 

花頭窓

 

 

 

こちらも花頭窓という呼び方でいいのかな?

 

 

 

仏殿の裏側

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏殿の屋根の鬼瓦

 

 

 

これは何だろうか? 灯籠?

 

 

 

仏殿の北側から庫裡の回廊を見る。 正面は鐘鼓楼。

 

 

 

庫裡を囲む中庭 左手は法堂、右手仏殿。

 

 

 

足佛石   釈迦の足跡を石に刻み信仰をした。

 

 

 

庫裡の入り口 左手の扁額は「金獅峯」と書かれている。右手の扁額は「衆香界」

 

 

 

法堂の内部  庫裡から入り回廊を進み法堂の前に。

 

 

 

法堂の須弥壇

 

 

 

 

 

 

 

法堂の説明文

 

 

 

法堂から回廊を進み僧堂(座禅堂)へ

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼

 

 

 

仏殿の前に鎮座していた狛犬。お寺にも狛犬はあるのだ!

 

 

 

大乗寺の駐車場から金沢市街を見る

 

 

 

金沢駅前のもてなしドームの鼓門  すごい門だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周辺図

 

 

 

案内図

 

 

五木寛之の「百寺巡礼」からーーーー『ためしに、私も何もない壁面に向かって、目を閉じてしばらくじっと座ってみた。雑念は少しも去らない。しかし、自分の体の中に、清冽な風がおのずと吹き込んでくるようなすがすがすがしい気持ちになった。むかし中学生だったころに、父によく座禅を組ませられたころを思い出す。真宗の場合は、少し猫背になって、ふところになにかを抱くようにして合掌することが多い。それに対して、禅の世界では、背中をしゅんと伸ばして胸を張るという感じがある。・・・中略・・・、案の定、やはり頭のなかは雑念だらけでどうしようもない。こころを静かに保とうなどと考えるのが、私にはおこがましいのかもしれない。いっそのこと雑念のかたまりとして座っている方が落ち着くのではないだろうか。そう思うとふしぎに心が軽くなった。やがて目を開けた時の僧堂の窓からの眺めは素晴らしかった。なかが暗いだけに、外側の景色が鮮やかに目に染みる。その薫るような新緑のなかで、禅寺のきびしい雰囲気が、少しなごやかに感じられてほっとした』

 

 

御朱印

 

 

                                                                      大乗寺 終了

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