第四十番 永保寺
「座禅石」で覚えた不思議な感覚
山号は虎渓山というのは、この地が中国廬山の虎渓の景色に似ていることからつけられた。その始まりは、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将・土岐頼貞にある。頼貞は北条氏との縁もあり幼少期を鎌倉で過ごし、その際に禅宗の高層たちに帰依し、そのときに夢窓疎石と親交を結んだ。永和3年(1295)ごろに夢窓疎石は元翁本元とともに鎌倉において修行をしていたが、修行のために鎌倉を離れ甲斐や三河に逗留し隠遁をしていた。そのような中で、正和2年(1311)に土岐頼貞から招きを受けることとなる。頼貞の父土岐光定の33回忌を土岐氏の地元定林寺で執り行われた。その後土岐頼貞の別邸のあったと言われる長瀬山の麓に庵を結ぶ。夢窓疎石が長瀬山で道に迷った際に付近の補陀岩上に一寸八分の観世音菩薩像が出現した。夢窓疎石はその菩薩像を本尊として正和3年(1314)に観音堂を建立した。
観音堂は、禅宗様式の建物で鎌倉円覚寺の舎利殿についで、鎌倉末期の唐様建築の優れた代表的遺作であることや、唐様建築の手法に平安時代から引き継いでいる和様建築の手法を折衷させた特殊な建築であること、そして建築物の主要なところの改修後補が少なく、当時の面影を完全に保っているなど、見応えのある建物となっている。
参拝日 平成29年(2017)9月27日(木)天候晴れ
所在地 岐阜県多治見市虎渓山町1-40 山 号 虎渓山 宗 旨 臨済宗 宗 派 南禅寺派 本 尊 聖観世音菩薩 創建年 正和2年(1313) 開 基 無双疎石(開創) 元翁本元(開山) 正式名 虎渓山永保禅寺 文化財 観音堂【国宝】 開山堂【国宝】 名勝庭園
JR多治見駅 駅前からバスで虎渓山バス停で下車 徒歩約5分
寺境内図
寺入口 こちらの寺は山門が無いのが特徴
永保寺の特徴は、山門が無く里から下がった平地に境内が広がる。
参道はだらだらの下り坂。
境内にはおおきな庭園が広がる。
境内に入るとすぐに目に着くのは観音堂の反り返りが見事な屋根。
本堂 平成25年(2013)9月に、本堂と大玄関、庫裡が火災に遭い焼失。平成29年(2017)に本堂と呼ばれる方丈華蔵庵と唐破風の付いた方丈大玄関が再建された。灯籠は陶器の多治見らしく陶器で造られている。
方丈大玄関 臨済宗道場の玄関は、修行志願者が入門を乞う大事な場所。
元の位置に復元された庫裡は、切り妻の大き屋根と曲座釜戸の煙りだし屋根。
庫裡の前の銀杏の大木は樹齢700年と言われ、幹回り4.5m樹高24mほど。
妻の湾曲した破風板は厚さ9㎝、幅90㎝で長さ4mの檜板を繋いだもの。
庫裡の入り口。 表札の「雲衲輻輳」は、雲水を目指す者は方々から集まれとのこと。
玄関は15畳の大きな空間。45cm もある欅の大黒柱に幅24㎝×高さ54 cmの巨大な檜の指し鴨居が頭上をまたぐ。
瓦葺きの入母屋袴腰付の鐘楼。宝暦8年(1758)に再建された。
鐘が見えないが大みそかの鐘の音は全国的にも有名度という。
建物を支える斗栱は三手先斗栱で最高の格とされる。軒下には木が積まれている詰め組の尾垂木の先部が龍の頭になっている。
鐘楼や庫裡のある側から庭園を見る。
開創した夢窓疎石は石立僧(作庭)としても大変優れ夢窓国師として名を残している。当寺のほかに京都では苔寺の西芳寺や天龍寺、鎌倉の瑞泉寺、山梨甲州市の恵林寺などの作庭に係り、今では名園としても有名。
自然の地形、景観を巧みに利用し築造され中世禅宗寺院の庭園として高く評価されてる。
池は臥龍池とも心字池とも呼ばれ、池の上には無際橋と呼ぶ屋形のある美しいアーチ状の太鼓橋がかけられている。
亀島という中島は、上から眺めると亀頭石と亀脚石がはっきり見えるという。
屋形の部分は亭榭と呼ぶ。無際橋は煩悩にまみれた此岸の世界と煩悩から解放された此岸の世界を結ぶと言われている。
妻側に無際橋の扁額が掲げられている。
臥龍池の中島の上に建つ弁天堂。
臥龍池を通してみる観音堂。
観音堂【国宝】 別名水月堂と称され禅宗の伽藍の中で一番大切な仏殿としている。夢窓疎石がこの地に来られて一年後の正和3年(1314)に建立された。疎石が40歳の時である。
檜皮葺きののびのびとした軒反りを持った屋根。
上屋と裳腰の巧みにバランスがとれており、いかにもどっしりとした安定感を与える荘厳な姿は、代表的な禅宗特有の建築スタイルと言える。
近くから見ると、軒には四方に隅木があるだけで垂木を見せず軒天井は板張りの仕上げである。正面観音開きの桟唐戸の上部には精巧で美しい花狭間の組子がはめ込まれている。
柱上だけに斗栱を設けた亜麻組の斗栱。内部の写真はないが、床は座式礼拝ができるようで拭板敷とし、裳腰1間通りは吹き放し。
檜皮葺きの屋根の反りがとても印象的だ。まるでナイフが青空を切るように、両方に鋭く反り返っている。(百寺巡礼 第4巻 五木寛之の文から)
禅宗建築のさまざまな特徴があると思うが、専門家ではないためよくわからない。
岩山の梵音巌の頂に霊擁殿と呼ばれる六角堂が建立されている。中には行基作と言われている地蔵仏がご本尊として祀られている。
開山堂【国宝】 夢窓疎石の示寂された翌年の正平7年(1352)に遷壺堂が建立された。当初は祠堂だけ建てられたが、その後相の間を挟み礼堂が増築され、現在の姿になった。
禅宗の開山堂の中で、こちらの開山堂は最も古いものとされている。
屋根は大きく反り、軒下は扇垂木を用い、組み物は三手先斗栱。
虎渓僧房禅堂を瓦土塀が取り囲む。
境内の地表は苔に蔽われ古寺の雰囲気が十分伝わる。
森の中の永保寺。
大銀杏と永保寺。
すぐ近くを土岐川の清んだ水が流れている。
案内図
五木寛之著の「百寺巡礼」からーー私たちは古い寺社に参拝してその場所に立てば、否応なく森林浴のようなエネルギーを浴びることになる。それが、一種の「霊気」として感じられるのだろう。私は、深い信仰心を持たない人が物見雄山で寺に行ってもいっこうにかまわないと思う。バスの乗って観光ツアーでもいい。とにかく寺に行って、どこか自分が惹かれる場所を探してみる。その場所で、ちょっと目を閉じて合掌して見ればいいと思うのだ。そうすれば、天から降りてきたかすかな気配が、頭から足の裏へと抜けていく感覚を感じることがあるだろう。逆に地面からわき上がってくる空気を、かすかに味わえるかもしれない。
寺社をめぐる楽しみというのは、じつはそういう感覚を味わうことではないか。西国三十三所を巡礼する人や四国八十八箇所のお遍路さんなどは、心身にそれは見えないエネルギーを受けることになるのだと思う。巡礼や遍路の旅を終えた人が、生まれ変わったように元気になったりするのは、そのためかもしれない。
御朱印
永保寺 終了