※行為を目指す人、状態を目指す人
(行為を目指す人も、行為後の達成感など、最終的には状態を目指しているのかもしれないけれど、きっかけとしては行為することに気持ちが動くのでは)
状態を目指すと、受け身になりがち?
「最高の時は演出できない、という恐れ」というタイトルで書いてみた雑記
1では、心身は時々刻々と変化していくから、「最高の時」は、偶然にしか得られないのではないか、と考えた。
2では、自分はなぜ計画を立てるのが苦手なのか、それは、自分がいつも、偶然得られるような感覚的な「最高の時」を求めてしまうからなのではないか、と考えた。
3では、私とは、まるで違うタイプの人について考えてみる。
ある友人は週末を利用して登山に行く。その実現のため、平日のうちに家事を片付けておくらしい。仕事を終えた夜のうちにてきぱきと。えー!ずっと忙しいじゃん。ずっと疲れるじゃん。ぜんぜんゆっくりできないじゃん。
休みといえば、のんびりするとこ、と思ってしまう私には信じられない感覚だ。しかし友人は、仕事では外から縛られてしまう時間を、休日、計画を立てて行動し、自分の思う通りに使う、ということでリフレッシュできるらしい。
なるほど。そういう感じ方もあるのだ。どんな時を「最高」と感じるかは人によって違う。その違いによって、選択の仕方、時間の過ごし方、大げさに言えば生き方も変わる。
感じ方は生来のものと思ってしまうけれど、実際は習得された考え方によって決まる、変わる、のではないか。
その結果は、どんなふうであっても、いいのだけれど、近頃の私は計画を立てられるようになりたいと思っている。そうして自分を少し違う場所に連れて行けるようになりたい。自ら意図することによって。
そうなると、「最高の時」に出会える偶然を期待するような受け身な姿勢ではダメだなぁと思う。自分の中にこれをしたいこうしたい、がないから、目の前に現れる様々な用事(プラス自らの雑念やちょっとした気晴らし)に自分の時間が埋もれてしまう。
なんの座標もない見渡す限り大海原の波間のようなところに自ら任意の錨をおろしていき、自分はこれとこれとこれを目印にして生きています、と言えることが大人らしい態度、というか力強い生き方なのではないだろうか。偶然出会える快感という波を当てにしてはいけない。自分の快感の種類を変えなくてはいけないのではないか。
友人を例に考えてみれば、彼は身体に負荷がかからず楽であることを求めているのではなく、自分が決めたことを実行したこと、さらに経験を重ねてより良い登山を実現していくことに快感を覚えているのだ。なんと健康的で逞しい精神だろうか。
自分がこうしたい、と思ったことを、自ら行動することで叶えられたら素敵だなぁ。それを「最高の時」と思えるようにならなければ。さて私は何を叶えたいだろうか。
しかし……。何のために?
考え始めると、自ら目標を定めてそのために行動することを理想と考える、それさえも軽い波に押し流されてしまう。それが自然と身についていたのではない、私のようなタイプがそれを真似したところで、「私はこれをしています」と、誰とも知れない誰かに向かって言いたいだけの、つまらない自尊心なのかもしれない。しかし、さらにあらためて考えてみると、誰とも知れない誰かに向かって(つまり自分に向かって)言いたいだけの自尊心こそが何より大切なような気もする……。
そうして一回りして、何を考えたことにもならない思い巡らしをする中でも、どこにも到達できる気がしないことばかりの中で、自分にとって大切、と感じられる場所に関しては、重めの錨を降ろしておこうかな、などと思う。演出できない「最高の時」のことなど当てにせず、自分がそれを大切にしている、ということに、喜び、というか、自分の確かさを感じて生きていける、というふうでありたい。
追記1
こうしてあれこれ考えると、計画を立てるというのは、人間らしい営みだな、と思う。知的な生物として、というよりは、生物の本能に従えば、やらないだろうようなことをしてしまうこと。計画というブイを浮かべても、いろんな要因という潮で流されてしまうのに、あきらめずに一生懸命元に戻そうとしたり、流されたところでなんとかしたり、また新たな計画を立ててみたり。そうやって、文明の飛距離を伸ばしてきたのだなぁ。私などは計画を立てることの意味すら押し流されてしまって、生きるための生活ばかり。
追記2
恐ろしいことに、「最高の時」は味わっている現時点だけでは足りず、過去についても評価がなされ、それもまた時につれ変化する。いつ時点の「最高」に照準を定めたらいいのか、そこにもその人の生き方考え方が現れてしまっている。
追記3
当記事が停滞(繋留)している間に堀江敏幸『河岸忘日抄』を読み進む。
「つまり、受け身を重ねてできた石の形姿や大きさは、そのまま石の個性だと言っていいのではないでしょうか」by枕木さん
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夕焼けを見ながら、十年という時の長さについて考えていた