詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

夜の純粋

2025年01月19日 | 

 夜の帷が降りてくる。それはわたしをすり抜けたことばがあったからで、ほんとうは体は夜を透明にすり抜けてしまう。だからあなたもわたしもいる。ねんねん夜が神秘的になり。

 夜に染められるものは実は何もない。暗さという光に包まれているようなのだ。ぬばたまということばのおもたげな感触を、体なのか心なのか意識は、無意識の中で、しっかりとはかっていて、ゆめのなかにはひとと、こんぜんいったいとなった夜がねがえりをうっている。ぬばたまは小さな黒い実なのだそうだ。ぬばたまは言葉として学び、髪のような黒いものの枕詞だと教わったので、枕もすっかり重たくなってしまった。

 駅から家までのまっすぐな道に、病院がアーチのようにまたがる。どういう経緯でそうなったのか歴史は知らないけれど、てんてんと道を挟んで棟が分かれ、棟と棟とを、2階部分にあたる渡り廊下がつなげている。時にまだそこが明るくて、振り返る人のその瞬間を切り取っている。

 誰と話しているのかな。患者さん?先生?見舞いに来た家族?わたしも何度か行き来したその廊下の下をくぐって帰る。そのことを思う夜もあるし思わない夜もある。右側の棟のいかにも裏口きどった扉から夜、お父さんは出てきたのだった。あんなにおしゃべりだった人が、もう話すこともなくなって。

 どうか夜が比喩ではありませんように。なわとびのように、すれ違う人と人、互いにタイミングをずらした視線を投げかけあって、この夜に収まっている。この(不思議な)じかんのかんじは現実で十分。ゆめのなかでじゅっぷん。わたしは歩く毎日。夜という透明な空気にかくまわれて。地下鉄の駅から階段をのぼり、人工的な光から地上に出ても夜。銀糸で縫ったような灯りの続く商店街の通りを、同じように銀糸をのぞかせる厚い空を見上げながら泳ぐように歩く。

 いつか地上に生きるすべてのひとが夜を毛布のように感じられるときがくる。と思ってみる。もはや人工的に見えてしまうほどに美しい月がある。

 でも闇のほうが自然で、明るいことが特別なのだとしたら?昼を住み処とする私たちだから、明るさを当然のように思ってしまう。けれど光は在ることによってあたえられる。在るものはいつか無くなる。無いことが自然なのだとすれば。闇が本来だとすれば。

 神秘的だと感じるわたしはどこから生まれてきたのか。わたしは何に包まれているのか。繰り返される夜は、ねんねんしんしんと深まっていく。ねんねんしんしんと風に吹かれ、いつか消えていく二十億光年の彼方へ。

 見えるものが少ないから見えてくるものもあって、昼間とはまた別の道も見えてくる。ほんとうの夜は軽く、明るい朝は重い。見えすぎてしまうからだ。見えすぎて見えなくなる。見えすぎない夜に映し出されるものは毛布にくるまれている。そう感じるのは、わたしが人工物の町の回路に埋め込まれているからだろうか。それとも、わたしの野生が月を見ているからだろうか。

おかえり。

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テーブル

2024年11月18日 | 

切手貼った
見飽きた顔で
もはや退化
手紙を書くということは

 

明日のお天気は
曇りから雨
ぽてとさらだからあげなっとう
ほとんどすべてが循環なのだと思うと不思議だ
誰かのかけらの寄せ集めが今日のわたしになっている
わたしは無数の過去の世界からできている
なのに何十年も変わらずに
手相の筋も薄いまま

 

喫茶店でつぶす時間ってなんだろう
コーヒーカップを前に
湿度や風が大事だったりもして
自分に対して居留守を使ってみるのも手だ
だまされるのは駆け出しのセールスマンくらいか
他の人にはうざいくらいなのに
わたしは居るところにしか居ない
なのにこの広く困ったことばかり起こる世界で
いつもここに居る
布団があったら入りたい

 

窓の向こうの枝葉が揺れている
そのまた向こうに雲の割れ目があって
そこだけにっこり笑顔のように明るい

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時空を超えた話

2024年10月31日 | 雑記

前職で、朝、日経新聞の読み合わせをしていた習慣が残り、いまも通勤電車では日経新聞に目を通すことにしている。座れたら寝るし、読みながらうつらうつらしていることも多いのだけれど。

「春秋」蘭で、9月に亡くなった写真家 細江英公について触れられていた。28歳の時に三島由紀夫の自宅へ撮影に行き、庭にあったホースをくわえさせたり、ぐるぐる巻きにしたりと無茶なことをした、とのエピソードに興味が湧いた。ネット検索してみると、ちょうどフジフイルムスクエアで企画写真展をやっているとのこと。

上野の東京都美術館で開催されている『田中一村展』に行った後、立ち寄ってみることにした。東京ミッドタウンに着いて、降り始めた雨を避けるようにフジフイルムスクエアに駆け込む。ところが、フロアを見てまわっても、それらしき展示がない。『鎌鼬(かまいたち)』とか『薔薇刑』とか、ネットで見て、モノクロゆえか、さらにどぎつく感じた作品が見当たらない。

ラッキーなことに、ロベール・ドアノー展が開かれている。あれれ?という気持ちをいったん置いて、これが『パリ郊外』かぁ、モノクロ写真は味わいがあるなぁ、など思いながら、ひと通り見た。それにしても細江英公展はどこなのか。ネットで再度調べるも、開催場所は写真歴史博物館と書いてある。ドアノー展の入り口を見直すと写真歴史博物館とある。

不思議な感覚。ここにいるのに、ここにあるはずのものが見えない。まるで同時に存在している別世界に来ている、もしくは別世界があるのに見えない、スライドした窓と窓の間、現実が二重映しになっているところに嵌まり込んでいるような感覚。

ところで、『スピード』でお馴染みだったコンビ、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック共演の『イルマーレ』という映画を観たことがある。

湖に建つガラス張りの家。家を囲む湖とそのほとりの景色の、時間や季節による変化の中に、部屋が浮かびあがっている。

その家に越してきた男性と、転居していった女性が、家のポストで手紙のやりとりをするようになる。やがて、二人は二年の時を隔てて文通をしていることがわかる。サンドラ・ブロック演じるケイトが手紙を投函したり、返事を受け取ったりするために訪れるこの家では、その手紙を受け取ったり、返事を書いたりしているはずのキアヌ・リーブス演じるアレックスはおらず、一方、転居していったはずのケイトから手紙を受け取るアレックスは、この家にはしばらく人は住んでいなかったはずなのに、と思うのだ。

以前、似たようなことがあった。あくまで自分の感覚的に、ということだけれど。新宿NSビルのタリーズで、夜、夫と待ち合わせをした。夫から着いたと連絡があり、私は少し遅れてタリーズに着いた。ひと通り席を見て回ったが、夫の姿が見えない。携帯で電話する。「タリーズに着いたけど、いる?」「いるよ」「姿が見えないんだけど」

すごく不思議な感覚だった。『イルマーレ』の映画の中のように、二人が違う時空にいるような感じがした。同じ場所にいるのに、透明なガラスを隔てたようにずれがあって、重ならない。実は、同じビルにタリーズが二つあっただけだったのだけれど(そのことにもびっくりしたけど)、その不思議な感触は、頭の中というより身体感覚として残っている。

フジフイルムスクエアでの不思議も、『細江英公特別展』のサイトをあらためて見直してみれば、一年前の開催だっただけなのだけれど、自分のおバカさ加減に苦笑しつつも、その一瞬、時空を飛び越えたような感じがした。新宿NSビルのタリーズでの感覚が蘇り、その向こうには、ガラス張りの湖畔の家があった。

映画を観た後にはそんな感覚が自分の中に残るとは思ってもいなかった。でも、いつのまにか自分の身体感覚を作る風景の一部になっている。ちょっとした体験が重なり、その体験を捉える際のイメージの源が映像の中にあったことに初めて気がついた。

あの映画(もとは韓国映画がオリジナルのようで、そちらはまだ観ていない)は、湖の中に建つガラス張りの家であることが重要だったのだということにも、こうして時を経て初めて気がついた。邦題は『イルマーレ』という劇中に出てくるレストランの名前だけれど、原題は『The Lake House』(韓国のオリジナルは『イルマーレ』がタイトルらしい。ちなみにイルマーレはイタリア語で海という意味だそう)。

ガラス、そして湖という水。どちらも周囲の景色を映す媒体で、だからこそ、現実を二重にしながら、それらを映したままで、揺れ動いたりする。

ある映画が自分の中に風景やイメージを作っていて、そのイメージが、窓を通して見る世界のように、思わぬタイミングの他愛ない出来事の重なりに、時間と空間という奥行きを映して揺れた。

心象風景は、はかない。骨は何万年も残るかもしれない。でも、心の中にある景色はすぐに他の印象や記憶に埋もれ溶けてなくなる。わずかに残った感覚のモザイクも、体ではないのに、死とともに消えてなくなる。体ではないから、かもしれない。波紋で像がいっとき壊れても、頑固に景色を戻そうとする水面とは異なり、そこにないものまでも映すがゆえに、隠れてしまった景色もまた、たくさんある。

 

周囲の世界をかたどる水の表情の豊かさ

立山 室堂のミクリガ池では、さざなみが生み出す細かな光と陰が、ゆっくりと、渡り鳥のように水面の空を渡っていった。

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最高の時は演出できない、という恐れ3

2024年09月27日 | 雑記

※行為を目指す人、状態を目指す人
(行為を目指す人も、行為後の達成感など、最終的には状態を目指しているのかもしれないけれど、きっかけとしては行為することに気持ちが動くのでは)

状態を目指すと、受け身になりがち?

「最高の時は演出できない、という恐れ」というタイトルで書いてみた雑記
1では、心身は時々刻々と変化していくから、「最高の時」は、偶然にしか得られないのではないか、と考えた。

2では、自分はなぜ計画を立てるのが苦手なのか、それは、自分がいつも、偶然得られるような感覚的な「最高の時」を求めてしまうからなのではないか、と考えた。

3では、私とは、まるで違うタイプの人について考えてみる。

ある友人は週末を利用して登山に行く。その実現のため、平日のうちに家事を片付けておくらしい。仕事を終えた夜のうちにてきぱきと。えー!ずっと忙しいじゃん。ずっと疲れるじゃん。ぜんぜんゆっくりできないじゃん。

休みといえば、のんびりするとこ、と思ってしまう私には信じられない感覚だ。しかし友人は、仕事では外から縛られてしまう時間を、休日、計画を立てて行動し、自分の思う通りに使う、ということでリフレッシュできるらしい。

なるほど。そういう感じ方もあるのだ。どんな時を「最高」と感じるかは人によって違う。その違いによって、選択の仕方、時間の過ごし方、大げさに言えば生き方も変わる。

感じ方は生来のものと思ってしまうけれど、実際は習得された考え方によって決まる、変わる、のではないか。

その結果は、どんなふうであっても、いいのだけれど、近頃の私は計画を立てられるようになりたいと思っている。そうして自分を少し違う場所に連れて行けるようになりたい。自ら意図することによって。

そうなると、「最高の時」に出会える偶然を期待するような受け身な姿勢ではダメだなぁと思う。自分の中にこれをしたいこうしたい、がないから、目の前に現れる様々な用事(プラス自らの雑念やちょっとした気晴らし)に自分の時間が埋もれてしまう。

なんの座標もない見渡す限り大海原の波間のようなところに自ら任意の錨をおろしていき、自分はこれとこれとこれを目印にして生きています、と言えることが大人らしい態度、というか力強い生き方なのではないだろうか。偶然出会える快感という波を当てにしてはいけない。自分の快感の種類を変えなくてはいけないのではないか。

友人を例に考えてみれば、彼は身体に負荷がかからず楽であることを求めているのではなく、自分が決めたことを実行したこと、さらに経験を重ねてより良い登山を実現していくことに快感を覚えているのだ。なんと健康的で逞しい精神だろうか。

自分がこうしたい、と思ったことを、自ら行動することで叶えられたら素敵だなぁ。それを「最高の時」と思えるようにならなければ。さて私は何を叶えたいだろうか。

しかし……。何のために?

考え始めると、自ら目標を定めてそのために行動することを理想と考える、それさえも軽い波に押し流されてしまう。それが自然と身についていたのではない、私のようなタイプがそれを真似したところで、「私はこれをしています」と、誰とも知れない誰かに向かって言いたいだけの、つまらない自尊心なのかもしれない。しかし、さらにあらためて考えてみると、誰とも知れない誰かに向かって(つまり自分に向かって)言いたいだけの自尊心こそが何より大切なような気もする……。

そうして一回りして、何を考えたことにもならない思い巡らしをする中でも、どこにも到達できる気がしないことばかりの中で、自分にとって大切、と感じられる場所に関しては、重めの錨を降ろしておこうかな、などと思う。演出できない「最高の時」のことなど当てにせず、自分がそれを大切にしている、ということに、喜び、というか、自分の確かさを感じて生きていける、というふうでありたい。

追記1
こうしてあれこれ考えると、計画を立てるというのは、人間らしい営みだな、と思う。知的な生物として、というよりは、生物の本能に従えば、やらないだろうようなことをしてしまうこと。計画というブイを浮かべても、いろんな要因という潮で流されてしまうのに、あきらめずに一生懸命元に戻そうとしたり、流されたところでなんとかしたり、また新たな計画を立ててみたり。そうやって、文明の飛距離を伸ばしてきたのだなぁ。私などは計画を立てることの意味すら押し流されてしまって、生きるための生活ばかり。

追記2
恐ろしいことに、「最高の時」は味わっている現時点だけでは足りず、過去についても評価がなされ、それもまた時につれ変化する。いつ時点の「最高」に照準を定めたらいいのか、そこにもその人の生き方考え方が現れてしまっている。

追記3
当記事が停滞(繋留)している間に堀江敏幸『河岸忘日抄』を読み進む。
「つまり、受け身を重ねてできた石の形姿や大きさは、そのまま石の個性だと言っていいのではないでしょうか」by枕木さん

 

「最高の時」は演出できない、という恐れ 1 - 詩と写真 *ミオ*

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たとえば、七月から九月の間で夏休みを三日取っていいですよ、と言われたとする。三連休とくっつけて海外に行こう、といった計画を立てるなら、必然的に休みを取る日は絞ら...

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夕焼けを見ながら、十年という時の長さについて考えていた

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「最高の時」は演出できない、という恐れ 2

2024年07月21日 | 雑記

たとえば、七月から九月の間で夏休みを三日取っていいですよ、と言われたとする。三連休とくっつけて海外に行こう、といった計画を立てるなら、必然的に休みを取る日は絞られてくる。

しかし、まだ新人(この歳で)で、いつが忙しいかもまだよくわかってないし、業務のコントロールも難しいし、さすがにそれは無理かな、と考え、三日間を自由にバラバラに取る、と考えると話が違ってくる。私は途方に暮れてしまう。一体いつ休みを取って、それを何に充てたらいいのか。いずれの日にも必然性がないのに、それらを任意でどこかに当てはめなければならない難しさ!

そんなふうになってしまうのは、もしかして、私がその休みによって得たいものが「偶然だけがもたらしてくれるような快感」だからなのではないか。

いつ、どのように休みを取れば、そんなことは可能になるのか……。いつまで経っても決まらないわけだ。いつにしたところで、何をすると決めたところで、求めている快感を得られるのか確信を持てないのだから。そりゃ持てないはずだ。意図したって、いや、意図するからこそ、得られないものなのだから。

刻々と変わる私の「身体」が求めるものに照準を定めてしまっては、動き続ける的を追いかけるようなもので、それが一ヶ月後にどこにあるか定めよ、みたいなこと、できるわけがなかった。

なのに、私はそのように生きてきたらしいのだ。どこに行ったら、何をしたら、仕事の前の夏ギフトカタログパラパラほど、快感を得られるのか、みたいなことを思っていたのだ。意図すればするほど、そこから外れてしまうというのに。

***

まだ続く……

偶然見つけて最高の時を過ごしたコンサート 青山学院大学ガウチャー記念礼拝堂にて

 

「最高の時」は演出できない、という恐れ 1 - 詩と写真 *ミオ*

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