詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

きゅんとする季節

2016年05月12日 | 雑記
今朝はようやくすっきりと晴れて、風もからりとして気持ち良く、歩いていてもなんとなく浮き立ってくる。陽の光を浴びるのが精神的にもすごく大事だというのも良くわかる。やっぱり明るいと明るくなる。しぜん。

プラタナスの道にやってくると、アスファルトに手をつないだ星々の形が無数に浮かんでいる(プラタナスの葉っぱの影なのです)。さぁっと砂糖の溶けるような音に、星々がきらきらと瞬く。ああ!!この季節。巡ったんだなぁと思う。そうしてこの情景を書いた『移ろい』を振り返ってみると。やっぱり。5月24日にアップしていました。

影なんて。
晴れていればいつでも見られると思う。でも違うんですね、光が。下を向いて歩いていて、星々が手をつないでいっせいに瞬くのがまぶしい、なんてことは、一年のうちでもこの季節だけなのです。

そのように季節の移ろいは何も外でだけではなく、仕事をしている部屋の中にも訪れる。16時頃、机に向かって計算したりなんかしているとちらちらと動くものが目に入ってなんだろう、と顔をあげる。卓上カレンダーに白い縞模様が浮かんで上下に揺れている。わたしの後方には壁一面の窓があって、曇りガラスにブラインドが開いた状態だけれどあって、外は見えないけれど、それらがクッションになって部屋に入る光が淡く白くやさしくなる。

この窓のほうを振り返ってみると、部分的に空いている窓やブラインドに映る影などで、風が木々を揺らし、木々が光を揺らしているのがわかる。風の音をBGMにして。穏やかでネコでなくてもお昼寝してしまいそうな午後。みんなの表情も気のせいかいつもよりも明るく見える。雑談も弾む。
中学生の頃、英語の教科書に白い光が落ちていて、漠然と未来を夢見た。漠然と夢見たまんま大人になってしまい、何々を成し遂げた、とか夢を叶えた、みたいなこともないけれど、こんな午後を味わうと、すごく平凡なのに、いまが夢見た未来かも、などという気がしてしまう!

帰りは電車を降りて、いつも通らないくねくねしている住宅街に入っていく。日が長いってすごい。朝は早々から否応なく目覚めさせてくれちゃうし、定時で仕事をあがると外に出てもまだ充分に明るくて、なんだか誰かとおしゃべりしたりどこか行きたくなってしまう(いつも黙々と一人で帰るのだけれど。ここに「黙々と」はいらないか。モクモクと煙を吐きながら帰る人もいまはほとんどいない)。自宅の最寄り駅に着いて電車を降りてもまだ明るくて、だから寄り道してしまう。そして違う世界に誘われてしまう。空の色。街の色。ところどころに咲いている花々。時折、鼻の奥まで届く花のビロードのような匂い。時間が、空気が、違う。ああ、あるよ、あるよ、こんな世界。何気ない窓が家が手すりが何かを映しているよ。うっすらとだけど見える。いま暮れていこうとしているあたり。それはもう本当に切ないような胸がきゅーんとするような場所なのです。










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