詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

おつかい

2015年12月12日 | 
四つ辻の先、行き止まり
その向こうにあるものは空しか知らない
目的地は決められていても
それを忘れてしまうのは得意だから立ち止まる
大きなビルが道をあけ
いつも夕方のような冬の陽が
女の子の髪と瞳の色を薄くして
ふんわりさせると
身体の周りで散っていた火花が
急に静かになった

堅い靴音が後ろからやってきて
やわらかく追い越して行った
私もすぐに私を追い越したり
遅れをとったりして
ぴたりと同じ歩調で歩けることは稀だし
一緒になったと思っても
またすぐに追い越したり
遅れていったりしてしまう

わびしさを飾るだけのショーウィンドウの中に
埃を被っている古い西洋人形をのぞく
昔、家にも同じようなものがあった
子どもにとってはかわいさよりも
不気味さのほうが際立って
茶色の靴を脱ぎ履きできるとわかって
脱がせたり履かせたりして
気持ち悪さも少しは抱きしめられる気がした

私たちを産んだ女性たちはみな母だけれど
娘の私たちみなが母になるわけではなく
産むことのなかった女性は
ほんのひとときこの世のどこかに
誰にも知られずに自分でさえ気付かずに
娘や息子を育てていたりするのかもしれない

眼球が裏へ帰る
行き先や歩く速度よりも
誰かが自動販売機に投入したコインのような
遠いわずかずつの力を信じてしまうので
頭の中の地図はぷつりぷつりと途切れていて
どの角を曲がっても近付けない場所が
標識を立てて浮かんでいる
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ジャングルみたいなジャンルみたいな檻

2015年12月09日 | 雑記
『氷面は冷たく光を返す』
始め、詩として投稿しましたが、読み直してみると、これは詩じゃない、雑記みたいなものじゃないの、と思いました。再び、これは雑記だ、と思って読み直してみると、今度は急に詩らしくなったような気がしました。

詩だと思って読むと、詩じゃないけれど、雑記だ、と思って読んでみると詩のような気がする。そんなわけでジャンルを雑記にするという、せこい方法。少しは詩になったかな?

恥ずかしながら私は、自分の中で詩とそれ以外の定義をはっきりさせないまま、ある文章を詩と言ってみたり、雑記、日記と言ってみたりしていて、その辺りはいつも悩むところなのですが、書きながらゆっくり考えればいいか、というのんきな感じで続けてしまっているのであります。

ですが、こんなふうに自分の中でのジャンル分け(というか詩とは何かという考え、考え?)が曖昧であるにも関わらず、どうやら何かしらの想定はあるらしい。ジャンル名をすげかえることで、ほんの一瞬、文章が身をよじって、名付けられたジャンルの枠を飛び越えようとする動きが見える気がしておもしろかったのです。隣の檻にいる動物が気になって、飼育員さんの目を盗んで首を伸ばすキリンみたいな感じで。

そんな感じ、少しはしませんか?
全然しなかったら、「どうやっても詩には見えないね」という感じだったら、ほんとに、恥ずかしいのですけど!

動く言葉を書けたらいいなと思います。
人の心を動かす言葉も素晴らしいけれど、人が読んで動いているように見える言葉、文章。

面白い建物を見たときのように、わあいい!と心底思えるような文章を書けたらいいし、読みたい。そのためには自分が檻からこぼれ出していかなければいけないのだろうけれど。
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氷面は冷たく光を返す

2015年12月06日 | 雑記
言葉を失くしているときこそどこにも潜っていけない詩的な氷面を滑っているのかもしれない。でも詩というのは言葉でできた古城のようなものだから、いまは月明かりに光る

ここまで書いて名前が呼ばれたので立ちあがった。役所らしい飾りのないフロアで(窓の向こうの公園の木立ちがやわらかい)、表現が古いというか月並みなんだよな。詩のことなんかこれっぽっちもわかってないし。など、考えながらも尾がすぼまって、宇宙というか雑事に埋もれていき数時間。

再びページを開いて読んだ。辞書の言葉が平面をまたいで少し遠くまで歩き、風景になっている気がした。書こうとしていたときの感覚をもう一度やり直してみる。城の周りをウロウロ。フクロウの声が聞こえる気がする。電車の中の蛍光灯に照らされた幾つもの顔と、闇の中に泳ぐように浮かんでいる家々の窓と、離れていて重なるゆるやかな狭間に、黒い森が開いて固く光る湖面も見える気がする。

このあと城に入っていくんじゃなかったかな。なんで「いまは月明かりに光る」が続くのかな。暗がりへ目を落とす。落としてきたパンくず。氷面が冷たく光を返す。
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いつかの日記(変化の過程)

2015年12月05日 | 雑記
考えるんじゃなくて、もっと感じればよかったんじゃないか、と思った。その人の身になって、感じてみれば。なんだ、そんなのよく言われてることじゃん。そうなんだほんとにそうなんだ。だけど、できてなかった。ような気がする。

でもいろいろいろいろ後悔して、特に病気になってからのことを後悔して、でもかなりそれもぐるぐるしてもう何周目かもわからないくらいになったとき、やっぱりそのようにしか、できなかったし、それが正解だったのかな、という気がした。

ブラックホールみたいなぎゅーっとその人に暗く向かう気持ちがだんだん軽くなってきて、私の心なのに、その人が私から離れていこうとしているんだ、という気がして、楽になっているはずなのに、さみしくなる。





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