お酒のお供・・・160 2014-10-21 13:54:34 | 日記 何かを成し遂げようと思うなら いつ氾濫するやもしれぬ 急流のすぐそばに畑をつくる者がいるならば、 彼はあまりにも愚かだ。 噴火口の上に家を建てようとする者も愚かだ。 自分の怒りっぽさ、いつか仕返しをしてやりたいという欲望、 情欲にまかせるままにする性向を完全に克服することもなく、 何か大事業を成し遂げようとする者、 何かのプロフェッショナルになろうとする者も同じ程度に愚かだ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 はぁー、あたまがいたいよーぅ。(´д`)ママン… そらあかね
お酒のお供・・・159 2014-10-21 13:44:24 | 日記 理解されたくない理由 人は理解され、誤解されないことを欲するのがふつうだ。 しかし私は、誰にでも充分に理解されるくらいだったら、 いっそ多くの人に誤解されることを望む人間である。 なぜならば、誰からも理解されるということはすなわち、 「おまえの考えている内容のレベルは自分たちが容易に考えうることと同じだね」 とほほえみながら言われることだからだ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 はぁー、あたまがくるくるぱー。(+д+)マズー そらあかね
お酒のお供・・・158 2014-10-21 13:31:09 | 日記 道徳は内側から湧く 道徳というものは、 わたしたちに「これこれすべきである」と命じる。 その命令口調はわたしたちの気分を害する。 それどころか、反抗心さえ抱かせる。 上から頭ごなしに強制されているような圧力を感じるからだ。 では、わたしたちに道徳は不要なのだろうか。 いや、わたしたちが不快にならない道徳があるならば、 その道徳は「何々すべし」というふうにして命じることはないだろう。 わたしたちの道徳は、わたしたちの内側から自然に生まれる。 それは、「私はこれこれしたいのだ」という自発的な道徳だ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 はぁー、まいにちあたまいぢられてこまるなー。ほんとにこまるなー。 そらあかね
お酒のお供・・・157 2014-10-21 13:22:52 | 日記 生活条件が価値観を変える どんな価値を重んずるのかは、 道徳や思想といったものだはなく、 自分たちのふだんの生活条件から生まれる。 だけら、生活スタイルが変われば、 わたしたちの価値観も変わることになる。 つまり価値観は、多くの人が漠然と信じているように 確固と固定されているものではないし、 いかようにも変わりうる脆いものなのだ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・156 2014-10-21 13:00:44 | 日記 依存への欲求 きみたちは、「心理を求めている」とか「真実を追求している」と言うし、 実際にそう思っているようだ。しかし、心から求めているのは 本当にそんな抽象的なものだろうか。 きみたちが心底から欲しがっているのは、 実は強力な指導者ではないのだろうか。 そんなあまりに圧倒的な人物から指示を受け、 喜んで命令されたがっているのではないだろうか。 どんな判断にも色がある 正しい判断とか公正な判断とか言うけれども、 どういう判断にしても本当に 無色透明な立場からなされることはめったにない。 おおかたの場合、判断はその人の持つ先入観に左右されている。 あるいはその人の道徳観に、あるいはまた、 時代や文化の道徳観や価値観に強く影響されている。 一般の判断にしても、学問的な判断にしても。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 はぁー、まいにちあたまいぢられてたまらん。;:゛;`;・(゜ε゜ )フ。ーッ!! そらあかね