お酒のお供・・・135 2014-10-17 11:52:08 | 日記 芸術を生むの条件は陶酔である 芸術が生まれるためにはまずは陶酔が必要となる。 作者が何かに陶酔しなければ、芸術が生まれてこない。 その陶酔を発生させるものは、 強い欲情、祝祭、闘いや冒険、残酷さや破壊、 気候、強烈な意志、といったふうにさまざまである。 しかし、共通している点が一つある。 どれも、力の高揚につながるものばかりである。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・134 2014-10-17 11:38:58 | 日記 芸術的本能が人を動かす わたしたちの感覚を魅了し、 わたしたちに快感や感銘を与えるものはいつも、 単純さ、見通しのよさ、規則正しさ、 明快さという特徴を持っている。 現実にはわたしたちは¥の眼前にあるものはカオスだ。 それを単純化したり、論理を与えたり、 規則づけたりすることでわたしたちは物事を整理し、 ようやく理解している。 いや、そういうふうにしてしか、 人はいっさいについて理解も納得も認識もできないのだ。 つまり、事象そのものに手を加えて、 論理的で芸術的なものにすることでのみ、 人はこの世界の中で生きていくことができる。 これはまさしく本能と呼ぶべきものだろう。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・133 2014-10-17 11:26:39 | 日記 人間のみが美しい 人にとって美しいものとは何だろうか。 あるいは、何を美の基準としているのだろうか。 美しいものとは人間である。 人間のみが、人間に関わるもののみが美しい。 この単純な事実を基礎にして、 あらゆる美学が存在している。 野の花 丹念に手入れをされた庭園に咲き誇る薔薇。 鮮やかな色彩。 形が極まったとしか思えない均整。 馨しき香。そこに美の完成がある。 山の野の隅にひっそりと咲いている野薔薇。 誰の手入れもなく咲き、 色も淡く、素朴なままの薔薇。 その美しさは完璧ではないけれど、人の心を動かす。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・132 2014-10-17 11:16:57 | 日記 縛られている人々を大衆と呼ぶ 人はおおむね、その人の住む土地柄、 職種柄、地位や立場、 さらには時代のうちで支配的な常識、 因習などから、自分の考え方をつくってしまう。 そして、他のみんなとだいたい同じに考えるということで安心している。 しかし、それは拘束されているということでもある。 多くの人と一緒に縛られているから、 その他大勢とみなされて目立たないということでもある。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・131 2014-10-17 11:02:59 | 日記 価値評価のラッピング 昔からいくども行われてきたことが、 今またくり返されている。 しかし、わたしたちはそれを 過去と同じことのくり返しだとは思わない。 別の意味合いにすることで価値と評価を変え、 まさにいかにも現代的な新しい事柄であるかのように 考えたがる癖を持っているからだ。 たとえば、事実として人殺しにすぎないことを、 戦争、紛争、事変、動乱、弾圧、鎮圧、平定、革命、 テロリズムと呼ぶように。 同じような言い換えによる価値評価のラッピングは、 わたしたちの日常のさまざまな事柄についてもなされている。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね