お酒のお供・・・87 2014-10-11 14:33:18 | 日記 新しいものへの恐れ 知る、あるいは、認識する、 というのは、新しいものを古いものの棚に、 これまでに見知ってきたものの棚に 並べてとりあえず安心することだ。 本当に新しいものについては、 人は知るどころか認識さえできない。 だから、本当に新しいものに対しては、 人は怖れの感情を抱く。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・86 2014-10-11 14:21:51 | 日記 真実の痛み 真実を知りたいか。 だったら、真実を知ったときの痛みを覚悟しなければならない。 しかし、真実が痛みを与えるのではない。 なぜか。 人はみなそれぞれに、 さまざまな事柄について信念を持っている。 あるいは、これはこうであるにちがいないという抜きがたい確信を持っている。 その信念や確信を真実があっさりと破壊してしまうから、 わたしたちは自分が抱えてきた信念、 あるいは自分が長く立ってきた足元が崩れ去る痛みを感じるのだ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・85 2014-10-11 13:57:16 | 日記 人は変われる いつのまにか自分自身を、 形の決まった固い石のように思うのはよくない。 自分という個性がすでに出来上がっていて、 あとは外側に多少の変化があるくらいだと思うならば 本当にそうなってしまう。 どんな歳になろうとも、 人間は限りなく変わることができる。 まるで粘土のようにいくらでも 望みの自分をつくっていくことができる。 自分自身が望むなら、 そうなりたいという意志を持つのならば、 自分はいかようにも変貌し、 より高みに昇っていくことができるのだ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・84 2014-10-11 13:41:47 | 日記 天才はきみとかけ離れた存在ではない ふつうの人は自分をふつうだと思っていない。 ふつう以下だとは決して本気で思っていない。 あまつさえ、何かの分野ではかなり優秀なほうに属すると思っている。 それなのに、歴史上の圧倒的な天才に対して少しも嫉妬しない。 なぜならば、天才は一種の奇跡の体現のようなものだと考えているからだ。 つまり、人間的にかけ離れすぎているというわけだ。 ゲーテが「それが星ならば、人々は欲しがらない」と言ったように。 しかし、実際には、どの天才も猛烈で地道な努力の末に作品を創作しただけなのである。 そこに奇跡じみたものはない。 そのあたりまえのことをふつうの人々は想像できないのだ。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね
お酒のお供・・・83 2014-10-11 13:30:05 | 日記 人間を美味しく味わう いつも間食ばかりしていると、 本来の食事が美味しいと思えなくなる。 人間関係もこれに似ている。 多くの人と世間的なつきあいをしていると、 だんだんと人間が煩わしくなるものだ。 そういうときは、誰にも会わず孤独になってみるのもいい。 すると、久しぶりの人々との交際がとても美味しく感じられるものになる。 ニーチェの言葉Ⅱ引用 そらあかね