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繰越欠損控除について

2014年02月14日 13時16分08秒 | 学習支援・研究
繰越欠損金 -
どこか割り切れない税の公平性をキープする制度

プレジデントオンライン
2014年2月9日(日)14:21
PRESIDENT 2013年12月30日号 掲載

法人税の減税についての議論が盛んになっているが、
一つ忘れてはならないことがある。それは、
赤字が生じた場合に翌期以降最大9年間、
黒字から赤字分を差し引ける「繰越欠損金」という制度の存在だ。

具体的にいうと、資本金1億円以下などの条件を満たす中小企業は
繰越欠損の全額を課税所得から控除できる。
それ以外の大企業などについては、
繰越欠損金が課税所得を上回っていても、
その80%までの控除が限度となっている。

たとえば、中小企業で150万円の赤字(税務上の繰越欠損金)が出たとしよう。
翌年、100万円の黒字が出ても前年の150万円の赤字から100万円分の黒字を相殺することで、
課税所得はゼロとなる。結果、
法人税はかからない。さらに、
控除し切れなかった50万円の欠損金は、
その翌年以降の黒字から控除できる。


繰越欠損控除のイメージ

読者の皆さんは、黒字の年まで法人税がかからないことに違和感を覚えるかもしれない、
しかし、次のケースを考えれば、
制度の合理性が理解できるはずである。

A社は1年目に損失を100万円出したが、
2年目には100万円の黒字になった。2年通算で考えると
利益はゼロ。しかし、繰越欠損の制度がないと、
2年目には法人税を支払わなければならない。
実効税率が30%とすれば、「100万円×30%」で30万円である。

一方のB社は、1年目も2年目も利益ゼロで同じ。
当然、繰越欠損金の制度がなくても、2年目も税金はかからない。
つまり、2年通算すると利益ゼロなのは同じなのに、
繰越欠損の控除が認められないと、
A社だけ2年目に納税することになり、不公平になってしまう。
このような不都合が起きないように、
繰越欠損金の制度があるのだ。

起業からしばらく赤字が続いたあと、やっと黒字に転換するという企業は多い。
単年度の利益だけをベースに課税すると、
「ようやく黒字になったら法人税をごっそり持っていかれた」ということになって、
起業意欲を損ないかねない。

一方で、企業は赤字と黒字を繰り返すものであり、
繰越欠損金を何年にもわたって控除していくと、
なかなか課税所得がプラスになる(税金がかかる)
タイミングがこないという現実もある。

経済が右肩上がりに成長している時期ならいいが、
景気のアップ・ダウンのサイクルが短いとなおのこと、
課税の機会が訪れない。長引く不況で繰越欠損金が積み上がり、
それが法人税の税収が増えない原因にもなっているのだ。

2011年度に繰り越された欠損金は76兆円といわれる。
このうち9.7兆円が繰越欠損金として単年度の黒字額43.6兆円から控除され、
課税対象になったのは33.9兆円だったという。
もし9.7兆円の繰越欠損金に実効税率30%で課税ができれば、
法人税は「9.7兆円×30%」で2.9兆円もアップした計算だ。

右肩上がりの経済成長が望みにくいとすれば、
法人税収の増加は期待できず、だからこそ
消費税で税収を確保しようという動きが出てきたのだろう。

消費税と法人税の大きな違いは、法人税が利益に対して課すものなのに対して、
消費税は赤字の企業であっても納税義務があるという点である。
交渉力の弱い中小企業などが消費税の増税分を
価格に転嫁できない場合、赤字でも消費税は納めなければならず、
それが原因で倒産に追い込まれる恐れも出てくる。

前述のとおり、繰越欠損金の制度には合理性があるが、
法人税については一部の黒字企業がその大部分を負担しているという現状も知っておきたい。
税率だけでなく、課税ベースの問題についても、
議論していく必要があるような気がする。

(公認会計士・税理士 柴山政行 構成=高橋晴美 図版作成=ライヴ・アート)

このニュースの関連情報
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http://news.goo.ne.jp/article/president/bizskills/president_11820.html

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自由な経済が恐慌を引き起こす!?

2014年02月14日 00時43分13秒 | 学習支援・研究
じつは、自由な経済が恐慌を引き起こす!?
――マルクス経済学からの反論


麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、
上司や所長に叱咤激励されながらも、
経済の現状や経済学について解き明かしていく連載小説。
嶋野と末席からケンジへの熱いレクチャー。
前回に引き続き自由市場経済理論の限界、
そして話は計画経済の台頭へ…
(佐々木一寿)

「だって、自由な取引はみんなを豊かにハッピーにするんだって、
比較優位理論はちゃんと説明しているんですよね…*1
そんな、自由主義経済が恐慌を引き起こすなんて…」

大学生のケンジは、経済学の思いがけないドラマチックさに翻弄されながらも反論を試みる。

*1 第15回「じつは、利益を貯めこんでも、経済は大変なことになる?」を参照
比較優位(comparative advantage)理論とは、
分業のメリットを数理的に表現したもので、
デビッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミルらによって定式化された。
口語的に結論を言うならば、
他者(他国)に劣ることであっても、
自国内で得意なものを生産したほうが、
世界のためにも自国のためにもなる、
という考え方で、自由貿易のメリットを論理的に肯定する
(ミクロ)経済学の根幹をなす理論


おっと、すでに学部レベルの学生のアベレージを超えてしまっているじゃないか。
感心しながら末席研究員は答える。

「比較優位論はそれ自体では正しいんですよ! 
ただそれ、現実で機能しますか、という問いなんですね」

甥の理解力に顔がほころびそうになるのを必死に我慢しているせいで、
目尻が不自然になってしまっている嶋野主任も答える。

「セイの法則*2が現実的に成り立っていれば、
比較優位理論もきれいに効果を発揮する」

*2 第16回「じつは、経済が自由でいいなんて、
そうは問屋が卸さない!?――自由主義経済の理論の限界」参照

ジャン=バティスト・セイの著書の記述をきっかけに発展した概念で、
「供給したものは、かならず需要される(作ったものは必ず売れる)」という前提のこと


「うーん、それはなぜなんですか?」

なんとなくはわかる気がするが、
でもいまいちわかりきってもいないケンジは、
モヤモヤした気持ちで説明を求める。

「セイの法則が成り立てば、必ず取引が完了するからだよ、
しかも最適なレートで。そうであればこそ、
比較優位理論が示唆するところの、(不得意なことをしなくて済み)得意なものを
生産したことによるプレミアムを、取引に関わる全員が享受できるんだ*3

主任は研究者らしくまじめに答える。

*3 比較優位における「比較的」とは、
他者(比較対象)との関係と、その人のなかでの得意不得意の比較、両方を含む。
「周りと比べて比較的よい」ということ、
「自身のなかで比較的に得意なもの」という意味合いが重要で、
その優位性が自由な交換によって量的なメリットに繋がる


末席もフォローする。

「もし、取引がされないところが残ると、
そこで自分が得意で作ったけれども売れなかったものを持っている人は、
大変なことになりますよね」

ミスマッチの連鎖が不景気の発生につながる

「たしかに、その人は不得意で作ってなかったけど
その人にとって必要なものが手に入れられなくなってしまう…*4

ケンジは在庫を抱える人に共感して、呆然として言った。

*4 第16回参照。マルクスは、自由主義経済の理論が前提とする「セイの法則」に関して、現実的には成立しにくい前提だという反論を先駆けて主張した

「そうなんですよ。その取引の不成立(ミスマッチ)がどこかに発生して、
その解消にちょっと時間がかかったりすると、
こんどは成立するはずだった違う取引に影響してしまうんです」

末席はケンジの理解力に感心しながら小まとめをしつつ引き取った。

「たしかに、あてにしていたおカネが入らないとなると、
その人は、その次にしたかった買い物ができなくなってしまう…」

ケンジは腕組みをしながら唸っている。

「そうすると、その先の人の入金も滞ってしまう。
そのようなミスマッチが連鎖してくると、広範囲で取引の不成立が起こり、
最終的には不景気が発生してくる、ということなんだよ」

嶋野も説明がうまくいったことを喜んでいる。

「でも、価格が適切なら、みんな取引をしたいわけですよね、
だったら、そのミスマッチはそう長引かないのでは*5

ケンジはやはり、みんながハッピーになってほしいと思っているようだ。

*5 経済学でいう、いわゆる「長期的」と「短期的」という考え方。この文脈で言えば、多少のミスマッチはあっても、
というのが「短期的」で、でもいずれそれは解消される(均衡する)というのが「長期的」となる。
経済学の議論では頻繁に出てくる概念


そんなケンジを好ましく思いながら、末席は答える。

「そうですね、長引かないこともありますし、
長引いてミスマッチの連鎖が起きてしまうこともあります。
連鎖の波及はよく波にたとえられますが、
小波が続くこともあれば、大波が
なかなか退かないこともあるわけです*6

*6 最新の実証系経済学である経済物理学において、その模様とメカニズムが部分的に解明されているcf.『禁断の市場』ベノワ・マンデルブロ、リチャード・ハドソン著

「えーっ、じゃあ少しくらい納得がいかないとしても、
不況が起こってみんなが困るくらいなら、
多少のことは目をつぶって、買ってあげようよ…」

ケンジは悔しがりながら残念そうにつぶやいた。

末席は、わざと意地悪そうにケンジに聞いてみる。

「じゃあ、ケンジくんは、自由な取引が行われなくてもいいってこと? 
みんなが納得して自由に取引するのが自由主義のルールだし、
イヤなら買わない自由もありますよね」

「うーん、それはそうですね…。でも、
ちょっと…。これは悩ましいなぁ…」

悶絶する甥を見捨ててはおけない、
というふうに、嶋野はここぞとばかりにカットインをする。

「そこなんだよ、自由主義経済の難しいところは。
そのあたりが非常にメンドウなので、
『とりあえずセイの法則が成立するとしたら』と仮定して、
いろいろ進化してきたのが主流派の経済学なんだよね。
そこがスッとくれば、あとはだいたい上手くいく、
というのが自由主義経済学のおおまかな主張なんです。
ただ、その仮定はいつも成り立つのかどうか、
なりたたないとどうなるのか。そのような疑問を言い出したのがマルクスです」

「じゃあ、マルクスは、どうすればいいって言ったの?」

ケンジは、幸せの答えを求めるのに必至だ。
末席はそれを受け止める。

「彼が言っているのは、セイの法則が破れるのは、
『自由な取引それ自体のせい』だ、ということです。
つまり自由な取引を標ぼうする自由主義経済は
『格好はいいかもしれないけど、言うほど上手くはいかないし、
そもそも取引が自由だからこそムラも出る。
それが次の取引の不全を引き起こし、不況の原因になり、
最終的には恐慌にもつながる』といった批判です。
それをうけて、後の人が『だったら、じゃあね、全員が作ったものをね、
全部みんなで買っちゃえばいいんじゃないか?』というアイデアがでてきて、
共産圏ができるわけです*7

*7 いわゆる共産主義者(communist)たち

何が何でもそれはデフォルメし過ぎなんじゃないか、
少なくとも僕の旧共産圏のイメージはそんなに軽いもんじゃないし…。
そうケンジは訝しがりながら質問をする。

「でも、だれも買いたくない、
いらないものだってあるかもしれないわけですよね*8
それも全部買うっていうのはちょっと…」

*8 自由主義経済下であれば、だれも欲しくないものは淘汰され、作られなくなる自由主義経済の限界、そして計画経済の登場へ

末席はケンジの素朴な疑問に答える。
「そうですね、ですので、ちゃんと計画してムダなものは作らない、
ということが必要になります。
これがいわゆる『計画経済』の発想に繋がっていくわけです」

嶋野もそれを受けて答える。
「そう、『5カ年計画』などは有名だね。
ソ連はそれで、宇宙開発分野で世界一になったんだよ、すごいよね」

ケンジは驚いていった。
「じゃあ、ボクの自由主義は負けちゃったってこと…。
でもまあ、うまくいってみんながハッピーになれるなら、
それでもいいけど…」

みんなの幸せのためなら、ケンジは
主義主張にはこだわらないのか変わり身もはやいな、
現代っ子とはこんなものなのだろうか…。
末席はさらにフォローを入れる。

「でも、そのかわり、共産主義の実現のためには、
私有財産所持が原則禁止になります。
みんなのために労働した成果物はみんなのおカネで買い上げるからです!」

ケンジは自身の洋服を見ながら驚いて言った。
「えーっ、それはちょっと、ボクはイヤだな…。
まあでも、いつも計画通り上手くいって、
みんながハッピーなら、それはそれで
いいって言う人もいるかもしれませんけど…」

「その問題が本質的に残って、
共産主義経済は結局、頓挫するわけですが*9、
それは置いておいても、当時のソ連は不況(の波)を防ぐことができ、
世界大恐慌で混乱する自由主義経済の国々を尻目に、
失業もなく着々と経済成長していったのです」

*9 経済計画が立てやすいか立てにくいかは、その時の経済環境によるが、
より不確実性が高く環境変化が激しい場合は、
計画は絵に描いた餅になりやすく、それが
巨大な負の遺産ともなりやすい。自由主義経済においては、
この種のリスクは自由市場による評価で常時調整され、
乗り越えられる


成り行きでやってみたものの、
まったく政治思想的論点が語られないマルクス論というのも逆に新鮮だな*10、
でも若い人たちへの説明は案外このほうがいいのかも、
と思いながら末席は経済学の懐の深さを再確認した。

*10 マルクスとマルクス経済学に関しては、
歴史的に様々な背景、文脈があるが、本稿では
あくまで自由主義経済の理論に対するマルクスの疑問として、
シンプルにモデル化して提示している
cf.『資本論』マルクス、エンゲルス著、
『論理の方法 社会科学のためのモデル』小室直樹著


このコラムはGLOBIS.JPの提供によるものです。

http://diamond.jp/articles/-/48374

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