愛しのエトワール

うたのおねえさん、はいだしょうこさんを全力でとことん気の済むまで応援する日々を綴るブログです。

京街道

2020-04-27 | 日記
4月某日。京都に行くけど、付いて来てもええで。そのかわり歩きだから、今日中には辿り着けないけどな。

前々から考えていたスノウの「街道をゆく」シリーズである。サプリを飲みはじめて右ひざのぐあいはだいぶ良くなったが、階段の上り下りではまだまだ痛む。しかし、平地を歩くだけならとくに問題はない。今回は大阪府が出してる京街道マップをたよりに大阪から京都まで歩こうと思う。世間では外出自粛ムードとなっているが、人混みの中に出るわけではなし、何らはばかることなどないだろうて。

一人で出発。京街道は秀吉時代に京と大坂を結ぶ最短ルートとして整備された街道で、北浜の高麗橋が大阪側の起点となっている。北浜までは地下鉄で行ったけどガラガラやったな。こんなに空いてる地下鉄に乗ったのは初めてである。

大川に出て天満橋の八軒屋浜。淀川の舟運の荷揚げ場として栄えたところ。今は観光船の船着き場になっている。もちろん観光船も今は運航中止になってるよ。

京橋駅。京橋はJR と京阪の乗り換え駅で普段はいつでも混雑しているところ。今日はさすがに閑散としている。私もマスクはしているよ。私は電車に乗るときだけマスクをすることにしているのだが、今日は徒歩中もマスクを着用している。今日も風がけっこうあるからな。あれよけというよりPMなんたらよけ、埃よけだな。

京橋駅前の古い道標。「右 大和 なら のざき、左 京みち」とある。

JR環状線の高架。街道は高架の向こうの京橋商店街のアーケードになっている。

商店街も人がいない。

大きい通りに出た(都島通)。地下鉄の野江内代駅あたりで、昔の野江村。
(途中省略)

関目、千林、今市を通り、最初の宿場の守口宿に入っている。なんか周りよりも高いところを歩いてるなあと思っていたら、淀川の昔の堤防の上を歩いていたのである。文禄堤の案内板があった。京街道は淀川の堤防を利用して整備されている。秀吉の命で毛利家が作ったんだそうだ。

下におりて堤を眺めたところ。今は市街化され堤も道路で切断され、街道には橋がかけてある。

守口宿。東海道は江戸の日本橋から京の三条大橋までで、東海道五十三次と言われるが、公式には大坂までの五十七次が東海道となっている。その57番目の宿場が守口宿になる。

守口一里塚跡。守口宿はここまで。

守口市八雲あたり。京街道は左。

淀川の堤防に出た。京街道はここからしばらく淀川の堤防を歩く。向こうに見えるのは鳥飼大橋。手前が守口市大日、対岸は摂津市になる。今日は鳥飼大橋までとする。橋から歩いて10分ほどのところに地下鉄の大日駅もあるし、足がだるくなってきたところなんでちょうどいい。本日の歩行距離は12キロ。所要時間3時間半。


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