9月25日(金)
はいだしょうこさんの童謡コンサートのために高知旅行に行きました。
コンサートでも遠いところにはなかなか行けないんだけど、
「しょうこクラシック」を聴ける機会はめったにないので今回は無理をしました。
高知龍馬空港に着陸。プロペラの飛行機だったよ。
空港からタクシー、黒潮鉄道に乗って安芸駅に到着。
安芸は弘田龍太郎の出身地であることから「童謡の里」をうたった町づくりをしています。
2年前に行った兵庫県の龍野も三木露風「赤とんぼ」の誕生地で「童謡の里」でしたね。
安芸と龍野は「童謡の里」つながりで姉妹都市なんだって。
時間も3時を回ってるから、あちこち行くことはできません。
観光はしないよ。何のために来たって、そりゃコンサートに決まってるやん。あきらめな。
めしを食おう。ちりめん丼ってのが名物なんだよ。ちゃんと調べとるんや。
しかし、お店はことごとく準備中の札。ホテルのレストランも同様。めしどきしか開けてないんだよな。
安芸市には大きなホテルはひとつしかない。しょうこちゃんのホテルはここやね(前泊と今夜)。
ホテルで翌朝に遭遇する可能性もあるから同じホテルに宿泊するってプランもあったんやけどね。
私はただのファンであって、いわゆる追っ掛けではないから。そこまではしないよ。
町をぷらぷらして、開場1時間前に安芸市民会館へ。あらら、もう十数組が並んじゃってるよ。あ~あ、常に行列の先頭に立ち、最前列に座っているというしょうゆびのプライドが。。。おとなしくスタッフが持つ「最後尾」と書いた看板のところへ。ここはファンの意地として先頭に立ちたかった。でも、前に並んでいる客層を見たかぎりでは目標のセンター最前列は確保できそうです。子連れは最前列に行きたがりますが、年配者はあまり前のほうに座りません。それに、客席に入ったら余裕で追い抜ける。失礼ながら、ここは冷徹に行こう。
NHKの公開収録の観覧には整理券が必要です。600席のホールだから、整理券は最大で300取れるけど、市長など関係者席や使用しない席もあるから実際の整理券の枚数はもっと少ないはずです。並んでいるときに、スタッフの話をちらっと聞いたんですけどね。倍率は公表できないが、全国から大変多くの申し込みがあったそうです。最初は抽選に至らないのではと思っていたのですが、やっぱり当たりだったんだ。しょうゆびのぐんまは遠いから来ないけど、あいさんは絶対に来ると思ってたんだけどね。はずれたんですかね。
開場。なんなくセンター最前列のしょうこちゃんの譜面台の真正面に座れました。大きなホールではないですが、埋まりましたねえ。しょうこちゃん出演ということで子連れも多いです。ステージにはピアノと古いオルガンがおいてあります。ピアノは演奏用ですが、オルガンにも譜面が置いてあるので、これも使うのでしょう。ステージ下の私の真ん前にはステージ向けてモニターがあります。これはしょうこちゃんのために歌詞を映すんですね。
配布されたプログラム。公開収録では演奏曲目が書かれたプログラムがたいていの場合配られます。メモしなくてもいいから便利なんだ。表紙のイラストは昔風で、「赤い鳥」を意識したものなのかな。洋服の少女に和傘ですか。
知らない曲もあるね。しょうこちゃんは有名な「浜千鳥」と「叱られて」は歌うと思うけど、ピアノだけで演奏される曲もあるでしょう。先日、紹介したCDの「六月しとしと涙雨」もあります。何曲歌ってくれるのでしょうか。小原孝ホームページには2週間前に一度リハーサルと打ち合わせをしたと出てました。しょうこちゃんは何曲も歌えるほどの準備はできないのでは。4、5曲歌ってくれればええかなあ。
開演の前にディレクターが出てきて拍手の練習など前説。ラジオ番組の収録なんだけど、テレビカメラも入ってます。カメラは開場待ちの光景も撮影してたので今回のイベントを局として記録するためのものですかね。もしかしたら、地元のニュースで流れるのかもしれません。ブログには終演後にインタビューってあります。新聞か市の広報ですかね。
開演。小原孝が登場して、オープニング曲はこれ。
1. 靴が鳴る(ピアノソロ)
いいですねえ。曲の出だしの2小節をモチーフにして終わりにもってきたのが印象的でした。
今日は司会がいるんですよ。メーメーに出てますね。小原孝のプロフィールを紹介。弘田龍太郎は日本の音楽を発展させた作曲家であり、その影響力は大きなものがあった。その故郷で演奏できることは楽しみだと話していました。
今年は放送開始90年という節目で、今日のステージはラジオ放送が始まった大正時代をイメージしたものになってるということです。なるほど、それでいろんなものが置いてあるんですな。当時のマイク、大きなラジオ。蓄音機もあるね。これらは東京のNHK放送博物館から持ってきた本物で大変貴重なものと紹介がありました。へえ、けっこう大掛かりですね。今日はラジオの収録だから実際の放送では見えないんだけどな。1925年3月にNHKの前身であるJOAKラジオ放送所から最初のラジオ放送が行われました。まもなく弘田龍太郎が作曲した童謡が放送されたとのこと。その記念すべき作品が「昔ばなし」という曲。でも、NHKの「放送90年」サイトを見たけど出てないね。はいだしょうこさん登場。
2. 昔ばなし
聞いたことがあるようなないような。桃太郎から浦島太郎まで六つのお話しが出てきます。しょうこちゃん、6番までよく憶えましたね。目がモニターを見てる感じがしなかったんで、やっぱり憶えたんでしょうね。しょうこちゃんの衣装はピンクのコンサートドレス。よく見る感じのやつですよ。メーメーに写真が出てるけど、小原孝ツイッターの写真のほうが大きいです。この画像は保存しておくこと。歌詞確認をしたいんだけど、この曲は検索をかけても出てこないんですよ。岩波文庫の唱歌集か童謡集には載ってると思うけど、書庫(押し入れ)に入ってる本の中から一冊を探し出すのは困難やな。
はいだしょうこさんの紹介。いつもどおりのほんわかなしゃべりです。安芸市に来るのは2回目(09年にファミリーコンサートで行ってます)。今日は自分が小学生の頃からコンサートをさせてもらっていた小原孝さんと一緒なので楽しみと話されました。小原さんのコンサートにゲスト出演したのがきっかけでしたね。このあたりことはSTBライブでお話しされています。「あの頃は小さかったのに、成長されましたね」。
弘田龍太郎はその生涯で二千曲を超える作品を生み出しました。その中には今もなお歌い継がれている童謡がいくつもあります。今日は弘田龍太郎の足跡を演奏とともにたどるという進め方です。司会が聞き手となって、小原さんが曲の解説などをするかたち。
以下、駅に置いてあったガイド「童謡の里・安芸」を参考にします。
弘田龍太郎は明治25年(1892年)に高知県安芸市に生まれました。父は教育者、母は一絃琴の名手でした。龍太郎の音楽的才能はこの母から生まれたものといわれています。一絃琴というのは高知ではよく知られた楽器なんだそうです。高知の文学館で宮尾登美子の一絃琴の展示を見たよ。龍太郎は四国山地にいだかれ、雄大な太平洋に面した温暖な町、ここ安芸市で幼少時を過ごしました。しょうこ「のどかな町で自分のペースにあってるなと思いました」。うんうん、のんびりだもんね。
3. 浜千鳥
作詞鹿島鳴秋、大正9年、龍太郎が28歳のときの作品。安芸市では5時の時報チャイムのメロディが「浜千鳥」なんですよ。防災行政無線のスピーカーから音楽を流すのがあるでしょ。あれです。ちょうど開場待ちで並んでるときに流れました。しょうこちゃん、控室でそのチャイムに合わせて歌ってたんだって。曲によって歌い方を変えます。クラシックの歌い方で。
高知で幼少期を過ごした龍太郎は父の転任に従い安芸を離れ、千葉、そして三重へと転居します。龍太郎は中学時代を過ごした三重県津市で本格的に音楽への道を志すようになります。明治43年、東京音楽学校ピアノ科に入学。在学中から多くの曲を生み出します。
4. 鯉のぼり(♪甍の波と雲の波)
龍太郎が在学中の作品といわれています。小原さんが曲の解説。鯉のぼりはもともとは端午の節句に揚げられるもの。その頃の鯉のぼりは子ども、つまり男児の立身出世をあらわすものだから、この曲は勇ましく力強く演奏しなくてはいけないんだそうです。(実際にピアノを弾いて見せて)こんなふうに可愛らしくアレンジすることもあるけど、それは本来の鯉のぼりの歌に合わない。そんなことを昔に教わったことがあると話されました。「♪屋根より高い鯉のぼり」って歌もありますよね。この曲も昔の歌ですので、歌詞を見ると「大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子どもたち」になっています。お母さんが出てきませんね。今の子どもの歌なら絶対にお母さんは登場すると思います。昔の歌には、当時の時代背景を物語っているものがたくさんあるのです。
龍太郎は東京音楽学校在学中、23歳のときに結婚。本格的な作曲活動が始まり、講師、助教授へと道を歩みます。そして、その頃、精力的に童謡の作曲に取り組むことになります。在学中にさまざまな音楽を学んできた龍太郎が童謡に向かって行ったのはなぜなのかを小原さんが解説。それには、まず童謡と唱歌の違いを説明しなければなりません。先ほどの「鯉のぼり」は唱歌です。唱歌とは明治時代から始まった学校の音楽教育で歌われる歌で、歌詞も文語体で難しく、教訓的な内容のものが多かったのです。それに対して、芸術家のなかには、口語体で平易でわかりやすく歌っても楽しい、もっと子どもたちのための歌を作りたいという運動が起こり始めました。それが鈴木三重吉の児童書「赤い鳥」に代表されるような活動ですね。龍太郎もそのなかの中心的なメンバーだったわけです。童謡は当時の作曲家が芸術性や溢れる表現力を駆使した革新的な音楽であったのです。それを全国に伝えていったのが雑誌やレコード、そしてラジオでありました。それによって、なかにはヒット曲となるものも出てきます。童謡ブームが始まったのです。
5. 雨
6. 金魚の昼寝
7. 雀の学校
8. 春よ来い
東京音楽学校を卒業した龍太郎がおもに20代に作曲した4曲をメドレーで。しょうこちゃんは曲によって歌い方、そして声も使い分けます。多彩な歌唱技術、表現力の豊かさを見せてくれます。しょうこスペシャルと呼ばれているものです。
代表作「叱られて」について説明がありました。クラシックの歌手がよく歌う曲で、「叱られて」コンクールなんてのもあるほど人気がある作品なんです。この歌は当時の日本が貧しい頃の奉公に出された子どもの辛く悲しい境遇を歌っています。その思いが曲相のなかに溢れている、詞の通りのメロディになっていて名曲だと解説されました。
9. 叱られて(ピアノソロと歌詞朗読で)
作詞は清水かつら。大正9年、龍太郎が28歳の作品。これはしょうこちゃんは歌いませんでした。司会が歌詞を朗読しました。納得いかないなあ。歌の背景にあるものの説明があったのに朗読がうまくないんですよ。ピアノ演奏はそれだけで涙が出るほど感動的な演奏であっただけに残念でありました。
安芸市には龍太郎ゆかりの品々が数々残されています。気になっていたステージの古いオルガンについての紹介がありました。龍太郎の親族から安芸市に寄贈されたもので百年は経っているとのことです。寄贈されたときは音はまったく鳴らなかったそうですが、3年前の龍太郎生誕120年の記念にメーカーに修理してもらったそうです。普段は資料館に展示してるので修理してから一度も音を鳴らしておらず、今日は特別に小原さんが龍太郎のオルガンを演奏します。龍太郎はラジオ番組に出演するようになり、「童謡のおじさん」として親しまれるようになりました。小原さんには当時のラジオ番組で演奏する感じでやってもらいます。
10. 靴が鳴る(オルガンソロ)
そうそう、小学校にあったオルガンって、こんな音だったわ。タイトルは「靴が鳴る」。「おててつないで」ではないですよ。
昭和3年、龍太郎は最先端の音楽を学ぶためにドイツに留学します。帰国後、オペラや仏教音楽など幅広い分野で活動し高く評価されました。また、NHKの子ども音楽番組に長く携わり、その中心的な役割を担いました。晩年には、幼い頃から一流の音楽や芸術に触れることの重要性に基づき私立学校を設立し幼児教育に携わりました。そして、昭和27年、2千を超える作品を生み出した龍太郎は60歳で生涯を終えました。
11. コンサート特別編曲「龍太郎組曲」(ピアノソロ演奏)
小原さんの選曲で「お家忘れて」「キューピーさん」「秋」「あした」の4曲を組曲にアレンジ。
今回の公開収録の観覧の申し込み葉書に自由欄として、「あなたの心に残る童謡」ということで1曲あげてもらうアンケートがあったんです。ここからはリクエストコーナーで、回答のなかから弘田龍太郎以外の童謡を歌ってもらいます。
12. 十五夜お月さん
大正9年。作詞は野口雨情、作曲が龍太郎の師匠でもある本居長世の作品。しょうこちゃんが大好きな作品と紹介がありました。童謡アルバムにも収録されていますね。お祖母さんは昔の歌をよく知っていて、いろんな歌を教えてもらったとお話しされてました。かわりに老人会のカラオケをしょうこちゃんが教えてあげたとの思い出も。
13. みかんの花咲く丘
14. 故郷
アンケートで一番多かったのは「浜千鳥」。2番目が「故郷」でした。大正3年、高野辰之作詞、岡野貞一作曲。しょうこちゃんもファミリーコンサートでもよく歌っています。
小原孝さんが作った童謡を披露します。幅広い世代に歌ってもらえるような歌を作りたいというのがあって童謡を作り始めたと話されました。先日、紹介した小原さんのCDデビュー25周年記念アルバムに収録されている曲です。
15. 六月しとしと涙雨
実は私はこのCDを買ってないので、初めて聴くんですよ。土居裕子さんの歌でもCDになっていますが、しょうこちゃんの新曲といってもいいんじゃないかな。
プログラムの最後になりました。
16. 靴が鳴る
清水かつら作詞、大正8年の作品。本日3回目の「靴が鳴る」です。私はね、さっきの「故郷」あたりからうるうるの状態だったんだけど、このしょうこちゃんの歌を聴いたら我慢できませんでしたわ。なんて素晴らしい歌なんだろう。震えました。私は前々から言っています。歌が上手い歌手はいくらでもいるけど、童謡唱歌のジャンルにおいて、はいだしょうこさんの歌は唯一無二であると。これほどまでに優しい歌を歌える歌手がほかにいるでしょうか。そして、その表現力の豊かさはほかの誰にもどんな歌手にも真似ができないものですよ。
小原さんの今日のコンサートの感想。「あんなに小さかったしょうこちゃんがこんなに素敵な歌を歌うレディになったというのが嬉しかったです」。うんうん、私も同じ気持ちですな。ファンというよりも、しょうこちゃんが頑張ってる姿を見るのが楽しみなんだわ。
上は私のお気に入りのソプラノですが、声楽歌手が歌うとだいたいこんなふうになります。
では、はいだしょうこさんが歌うとどこがどう違うのかは、ラジオ放送をお楽しみに。
公開収録のコンサートでも、普通のコンサートと同じようにアンコールがあります。
17. 春よ来い
18. 逢えてよかったね
小原孝作詞作曲の東日本大震災復興支援曲。私はSTBの小原孝ライブでも聴いてるので2回目になりますね。客席にも一緒に歌ってもらおうという趣向で楽譜が配られていました。
19. 故郷
最後は客席も一緒にこの歌でフィナーレ。今日のコンサートは本当に良かったですよ。しょうこちゃんはブログで「ピアノだけの童謡・唱歌のコンサートをもっと出来たら」と書いておられます。いや、やろうと思えば簡単に出来るんじゃないですか。すぐ近くにしょうこちゃんのことをよくわかってるピアニストがいるじゃないですか。
これで収録は終了なんですけど、番組ディレクターが出てきて、2曲ほど再録音したいとの申し出がありました。
20. 浜千鳥
本放送では必ず流す曲だから、万全を期すためですな。「叱られて」をしょうこちゃんでやってもらいたかったのですが、再録は1曲だけに。
NHK-FMの放送は10月25日(日)11:00-11:50になります。四国4県のみの放送というのが残念ですね。
本放送も私は聴きたいので四国に渡るつもりです。みんなも聴きたいでしょ。なんとかします。
終了は20時10分くらいだったかな。駅のコインロッカーの出し入れが20時半までだったので焦って駅へ。
高知市までは黒潮鉄道で1時間。到着が夜遅くなるので、1泊目は高知駅前のホテルにしました。
はいだしょうこさんの童謡コンサートのために高知旅行に行きました。
コンサートでも遠いところにはなかなか行けないんだけど、
「しょうこクラシック」を聴ける機会はめったにないので今回は無理をしました。
高知龍馬空港に着陸。プロペラの飛行機だったよ。
空港からタクシー、黒潮鉄道に乗って安芸駅に到着。
安芸は弘田龍太郎の出身地であることから「童謡の里」をうたった町づくりをしています。
2年前に行った兵庫県の龍野も三木露風「赤とんぼ」の誕生地で「童謡の里」でしたね。
安芸と龍野は「童謡の里」つながりで姉妹都市なんだって。
時間も3時を回ってるから、あちこち行くことはできません。
観光はしないよ。何のために来たって、そりゃコンサートに決まってるやん。あきらめな。
めしを食おう。ちりめん丼ってのが名物なんだよ。ちゃんと調べとるんや。
しかし、お店はことごとく準備中の札。ホテルのレストランも同様。めしどきしか開けてないんだよな。
安芸市には大きなホテルはひとつしかない。しょうこちゃんのホテルはここやね(前泊と今夜)。
ホテルで翌朝に遭遇する可能性もあるから同じホテルに宿泊するってプランもあったんやけどね。
私はただのファンであって、いわゆる追っ掛けではないから。そこまではしないよ。
町をぷらぷらして、開場1時間前に安芸市民会館へ。あらら、もう十数組が並んじゃってるよ。あ~あ、常に行列の先頭に立ち、最前列に座っているというしょうゆびのプライドが。。。おとなしくスタッフが持つ「最後尾」と書いた看板のところへ。ここはファンの意地として先頭に立ちたかった。でも、前に並んでいる客層を見たかぎりでは目標のセンター最前列は確保できそうです。子連れは最前列に行きたがりますが、年配者はあまり前のほうに座りません。それに、客席に入ったら余裕で追い抜ける。失礼ながら、ここは冷徹に行こう。
NHKの公開収録の観覧には整理券が必要です。600席のホールだから、整理券は最大で300取れるけど、市長など関係者席や使用しない席もあるから実際の整理券の枚数はもっと少ないはずです。並んでいるときに、スタッフの話をちらっと聞いたんですけどね。倍率は公表できないが、全国から大変多くの申し込みがあったそうです。最初は抽選に至らないのではと思っていたのですが、やっぱり当たりだったんだ。しょうゆびのぐんまは遠いから来ないけど、あいさんは絶対に来ると思ってたんだけどね。はずれたんですかね。
開場。なんなくセンター最前列のしょうこちゃんの譜面台の真正面に座れました。大きなホールではないですが、埋まりましたねえ。しょうこちゃん出演ということで子連れも多いです。ステージにはピアノと古いオルガンがおいてあります。ピアノは演奏用ですが、オルガンにも譜面が置いてあるので、これも使うのでしょう。ステージ下の私の真ん前にはステージ向けてモニターがあります。これはしょうこちゃんのために歌詞を映すんですね。
配布されたプログラム。公開収録では演奏曲目が書かれたプログラムがたいていの場合配られます。メモしなくてもいいから便利なんだ。表紙のイラストは昔風で、「赤い鳥」を意識したものなのかな。洋服の少女に和傘ですか。
知らない曲もあるね。しょうこちゃんは有名な「浜千鳥」と「叱られて」は歌うと思うけど、ピアノだけで演奏される曲もあるでしょう。先日、紹介したCDの「六月しとしと涙雨」もあります。何曲歌ってくれるのでしょうか。小原孝ホームページには2週間前に一度リハーサルと打ち合わせをしたと出てました。しょうこちゃんは何曲も歌えるほどの準備はできないのでは。4、5曲歌ってくれればええかなあ。
開演の前にディレクターが出てきて拍手の練習など前説。ラジオ番組の収録なんだけど、テレビカメラも入ってます。カメラは開場待ちの光景も撮影してたので今回のイベントを局として記録するためのものですかね。もしかしたら、地元のニュースで流れるのかもしれません。ブログには終演後にインタビューってあります。新聞か市の広報ですかね。
開演。小原孝が登場して、オープニング曲はこれ。
1. 靴が鳴る(ピアノソロ)
いいですねえ。曲の出だしの2小節をモチーフにして終わりにもってきたのが印象的でした。
今日は司会がいるんですよ。メーメーに出てますね。小原孝のプロフィールを紹介。弘田龍太郎は日本の音楽を発展させた作曲家であり、その影響力は大きなものがあった。その故郷で演奏できることは楽しみだと話していました。
今年は放送開始90年という節目で、今日のステージはラジオ放送が始まった大正時代をイメージしたものになってるということです。なるほど、それでいろんなものが置いてあるんですな。当時のマイク、大きなラジオ。蓄音機もあるね。これらは東京のNHK放送博物館から持ってきた本物で大変貴重なものと紹介がありました。へえ、けっこう大掛かりですね。今日はラジオの収録だから実際の放送では見えないんだけどな。1925年3月にNHKの前身であるJOAKラジオ放送所から最初のラジオ放送が行われました。まもなく弘田龍太郎が作曲した童謡が放送されたとのこと。その記念すべき作品が「昔ばなし」という曲。でも、NHKの「放送90年」サイトを見たけど出てないね。はいだしょうこさん登場。
2. 昔ばなし
聞いたことがあるようなないような。桃太郎から浦島太郎まで六つのお話しが出てきます。しょうこちゃん、6番までよく憶えましたね。目がモニターを見てる感じがしなかったんで、やっぱり憶えたんでしょうね。しょうこちゃんの衣装はピンクのコンサートドレス。よく見る感じのやつですよ。メーメーに写真が出てるけど、小原孝ツイッターの写真のほうが大きいです。この画像は保存しておくこと。歌詞確認をしたいんだけど、この曲は検索をかけても出てこないんですよ。岩波文庫の唱歌集か童謡集には載ってると思うけど、書庫(押し入れ)に入ってる本の中から一冊を探し出すのは困難やな。
はいだしょうこさんの紹介。いつもどおりのほんわかなしゃべりです。安芸市に来るのは2回目(09年にファミリーコンサートで行ってます)。今日は自分が小学生の頃からコンサートをさせてもらっていた小原孝さんと一緒なので楽しみと話されました。小原さんのコンサートにゲスト出演したのがきっかけでしたね。このあたりことはSTBライブでお話しされています。「あの頃は小さかったのに、成長されましたね」。
弘田龍太郎はその生涯で二千曲を超える作品を生み出しました。その中には今もなお歌い継がれている童謡がいくつもあります。今日は弘田龍太郎の足跡を演奏とともにたどるという進め方です。司会が聞き手となって、小原さんが曲の解説などをするかたち。
以下、駅に置いてあったガイド「童謡の里・安芸」を参考にします。
弘田龍太郎は明治25年(1892年)に高知県安芸市に生まれました。父は教育者、母は一絃琴の名手でした。龍太郎の音楽的才能はこの母から生まれたものといわれています。一絃琴というのは高知ではよく知られた楽器なんだそうです。高知の文学館で宮尾登美子の一絃琴の展示を見たよ。龍太郎は四国山地にいだかれ、雄大な太平洋に面した温暖な町、ここ安芸市で幼少時を過ごしました。しょうこ「のどかな町で自分のペースにあってるなと思いました」。うんうん、のんびりだもんね。
3. 浜千鳥
作詞鹿島鳴秋、大正9年、龍太郎が28歳のときの作品。安芸市では5時の時報チャイムのメロディが「浜千鳥」なんですよ。防災行政無線のスピーカーから音楽を流すのがあるでしょ。あれです。ちょうど開場待ちで並んでるときに流れました。しょうこちゃん、控室でそのチャイムに合わせて歌ってたんだって。曲によって歌い方を変えます。クラシックの歌い方で。
高知で幼少期を過ごした龍太郎は父の転任に従い安芸を離れ、千葉、そして三重へと転居します。龍太郎は中学時代を過ごした三重県津市で本格的に音楽への道を志すようになります。明治43年、東京音楽学校ピアノ科に入学。在学中から多くの曲を生み出します。
4. 鯉のぼり(♪甍の波と雲の波)
龍太郎が在学中の作品といわれています。小原さんが曲の解説。鯉のぼりはもともとは端午の節句に揚げられるもの。その頃の鯉のぼりは子ども、つまり男児の立身出世をあらわすものだから、この曲は勇ましく力強く演奏しなくてはいけないんだそうです。(実際にピアノを弾いて見せて)こんなふうに可愛らしくアレンジすることもあるけど、それは本来の鯉のぼりの歌に合わない。そんなことを昔に教わったことがあると話されました。「♪屋根より高い鯉のぼり」って歌もありますよね。この曲も昔の歌ですので、歌詞を見ると「大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子どもたち」になっています。お母さんが出てきませんね。今の子どもの歌なら絶対にお母さんは登場すると思います。昔の歌には、当時の時代背景を物語っているものがたくさんあるのです。
龍太郎は東京音楽学校在学中、23歳のときに結婚。本格的な作曲活動が始まり、講師、助教授へと道を歩みます。そして、その頃、精力的に童謡の作曲に取り組むことになります。在学中にさまざまな音楽を学んできた龍太郎が童謡に向かって行ったのはなぜなのかを小原さんが解説。それには、まず童謡と唱歌の違いを説明しなければなりません。先ほどの「鯉のぼり」は唱歌です。唱歌とは明治時代から始まった学校の音楽教育で歌われる歌で、歌詞も文語体で難しく、教訓的な内容のものが多かったのです。それに対して、芸術家のなかには、口語体で平易でわかりやすく歌っても楽しい、もっと子どもたちのための歌を作りたいという運動が起こり始めました。それが鈴木三重吉の児童書「赤い鳥」に代表されるような活動ですね。龍太郎もそのなかの中心的なメンバーだったわけです。童謡は当時の作曲家が芸術性や溢れる表現力を駆使した革新的な音楽であったのです。それを全国に伝えていったのが雑誌やレコード、そしてラジオでありました。それによって、なかにはヒット曲となるものも出てきます。童謡ブームが始まったのです。
5. 雨
6. 金魚の昼寝
7. 雀の学校
8. 春よ来い
東京音楽学校を卒業した龍太郎がおもに20代に作曲した4曲をメドレーで。しょうこちゃんは曲によって歌い方、そして声も使い分けます。多彩な歌唱技術、表現力の豊かさを見せてくれます。しょうこスペシャルと呼ばれているものです。
代表作「叱られて」について説明がありました。クラシックの歌手がよく歌う曲で、「叱られて」コンクールなんてのもあるほど人気がある作品なんです。この歌は当時の日本が貧しい頃の奉公に出された子どもの辛く悲しい境遇を歌っています。その思いが曲相のなかに溢れている、詞の通りのメロディになっていて名曲だと解説されました。
9. 叱られて(ピアノソロと歌詞朗読で)
作詞は清水かつら。大正9年、龍太郎が28歳の作品。これはしょうこちゃんは歌いませんでした。司会が歌詞を朗読しました。納得いかないなあ。歌の背景にあるものの説明があったのに朗読がうまくないんですよ。ピアノ演奏はそれだけで涙が出るほど感動的な演奏であっただけに残念でありました。
安芸市には龍太郎ゆかりの品々が数々残されています。気になっていたステージの古いオルガンについての紹介がありました。龍太郎の親族から安芸市に寄贈されたもので百年は経っているとのことです。寄贈されたときは音はまったく鳴らなかったそうですが、3年前の龍太郎生誕120年の記念にメーカーに修理してもらったそうです。普段は資料館に展示してるので修理してから一度も音を鳴らしておらず、今日は特別に小原さんが龍太郎のオルガンを演奏します。龍太郎はラジオ番組に出演するようになり、「童謡のおじさん」として親しまれるようになりました。小原さんには当時のラジオ番組で演奏する感じでやってもらいます。
10. 靴が鳴る(オルガンソロ)
そうそう、小学校にあったオルガンって、こんな音だったわ。タイトルは「靴が鳴る」。「おててつないで」ではないですよ。
昭和3年、龍太郎は最先端の音楽を学ぶためにドイツに留学します。帰国後、オペラや仏教音楽など幅広い分野で活動し高く評価されました。また、NHKの子ども音楽番組に長く携わり、その中心的な役割を担いました。晩年には、幼い頃から一流の音楽や芸術に触れることの重要性に基づき私立学校を設立し幼児教育に携わりました。そして、昭和27年、2千を超える作品を生み出した龍太郎は60歳で生涯を終えました。
11. コンサート特別編曲「龍太郎組曲」(ピアノソロ演奏)
小原さんの選曲で「お家忘れて」「キューピーさん」「秋」「あした」の4曲を組曲にアレンジ。
今回の公開収録の観覧の申し込み葉書に自由欄として、「あなたの心に残る童謡」ということで1曲あげてもらうアンケートがあったんです。ここからはリクエストコーナーで、回答のなかから弘田龍太郎以外の童謡を歌ってもらいます。
12. 十五夜お月さん
大正9年。作詞は野口雨情、作曲が龍太郎の師匠でもある本居長世の作品。しょうこちゃんが大好きな作品と紹介がありました。童謡アルバムにも収録されていますね。お祖母さんは昔の歌をよく知っていて、いろんな歌を教えてもらったとお話しされてました。かわりに老人会のカラオケをしょうこちゃんが教えてあげたとの思い出も。
13. みかんの花咲く丘
14. 故郷
アンケートで一番多かったのは「浜千鳥」。2番目が「故郷」でした。大正3年、高野辰之作詞、岡野貞一作曲。しょうこちゃんもファミリーコンサートでもよく歌っています。
小原孝さんが作った童謡を披露します。幅広い世代に歌ってもらえるような歌を作りたいというのがあって童謡を作り始めたと話されました。先日、紹介した小原さんのCDデビュー25周年記念アルバムに収録されている曲です。
15. 六月しとしと涙雨
実は私はこのCDを買ってないので、初めて聴くんですよ。土居裕子さんの歌でもCDになっていますが、しょうこちゃんの新曲といってもいいんじゃないかな。
プログラムの最後になりました。
16. 靴が鳴る
清水かつら作詞、大正8年の作品。本日3回目の「靴が鳴る」です。私はね、さっきの「故郷」あたりからうるうるの状態だったんだけど、このしょうこちゃんの歌を聴いたら我慢できませんでしたわ。なんて素晴らしい歌なんだろう。震えました。私は前々から言っています。歌が上手い歌手はいくらでもいるけど、童謡唱歌のジャンルにおいて、はいだしょうこさんの歌は唯一無二であると。これほどまでに優しい歌を歌える歌手がほかにいるでしょうか。そして、その表現力の豊かさはほかの誰にもどんな歌手にも真似ができないものですよ。
小原さんの今日のコンサートの感想。「あんなに小さかったしょうこちゃんがこんなに素敵な歌を歌うレディになったというのが嬉しかったです」。うんうん、私も同じ気持ちですな。ファンというよりも、しょうこちゃんが頑張ってる姿を見るのが楽しみなんだわ。
上は私のお気に入りのソプラノですが、声楽歌手が歌うとだいたいこんなふうになります。
では、はいだしょうこさんが歌うとどこがどう違うのかは、ラジオ放送をお楽しみに。
公開収録のコンサートでも、普通のコンサートと同じようにアンコールがあります。
17. 春よ来い
18. 逢えてよかったね
小原孝作詞作曲の東日本大震災復興支援曲。私はSTBの小原孝ライブでも聴いてるので2回目になりますね。客席にも一緒に歌ってもらおうという趣向で楽譜が配られていました。
19. 故郷
最後は客席も一緒にこの歌でフィナーレ。今日のコンサートは本当に良かったですよ。しょうこちゃんはブログで「ピアノだけの童謡・唱歌のコンサートをもっと出来たら」と書いておられます。いや、やろうと思えば簡単に出来るんじゃないですか。すぐ近くにしょうこちゃんのことをよくわかってるピアニストがいるじゃないですか。
これで収録は終了なんですけど、番組ディレクターが出てきて、2曲ほど再録音したいとの申し出がありました。
20. 浜千鳥
本放送では必ず流す曲だから、万全を期すためですな。「叱られて」をしょうこちゃんでやってもらいたかったのですが、再録は1曲だけに。
NHK-FMの放送は10月25日(日)11:00-11:50になります。四国4県のみの放送というのが残念ですね。
本放送も私は聴きたいので四国に渡るつもりです。みんなも聴きたいでしょ。なんとかします。
終了は20時10分くらいだったかな。駅のコインロッカーの出し入れが20時半までだったので焦って駅へ。
高知市までは黒潮鉄道で1時間。到着が夜遅くなるので、1泊目は高知駅前のホテルにしました。