話して~♪

私の話も、あなたの話も

入院して

2007-05-14 21:54:36 | 心の世界
3本目のボトルをつけ始めてから、なぜかとても感情が不安定になった。

解決がついたと思った母がまたなんとなく遠く感じたり、子供のころの

悲しいことを思い出したりして。

いろんなことに向き合えないなと思っていたら、熱が出はじめた。

熱が出て、朝下がって、会社に行って、夜また熱が出て、翌日友達とあって、

そんなことを一週間繰り返していたら、熱は38度台から下がらなくなった。

ちょっと声が出にくいなぁと思いながら、友達の子供が問題を起こしたために

母のフォローに5時間ほど話をした夜、ついにダウンした。



全く声が出なくなり、食事も飲み込めなくなった。3日目、ついに水も飲めず

尿量がほとんどなくなったのでこれはまずいと、診察を受けると即入院となる。

伝染性のウイルス感染症性咽頭炎だった。

熱にうなされながら、なぜ病気になったかを考えていた。



私は何か高熱になることによって昇華したいものがあり、何かを作り変えたいと

思っているのかもしれない。

そして、妹の死以来走り続けていた私は、どこかで休みたい、家を離れたいと思っていた。その望みがかなえられのだろう。



そして入院後半になって、肝臓の数値がまだ良くないからと退院が延期になった夜、携帯に1通のメールが入っていた。

妹のように仲良くしている友達が、妊娠している子供の心音が消えてしまったと言う内容だった。私の入院している病院に行くように担当の先生に言われているのだけれど、どうしても西洋医学で治療はされたくないという。

私は彼女のために話をしなければいけないと思ったら、その瞬間から声が出るようになった。



とにかく私が待っているから検査を受けにおいでと話した。外来に彼女を迎えに行こうとすると、点滴が漏れて針を抜いてくれることになり、身軽な体で会いに行くことが出来た。

数日後、やはり処置することになった彼女の部屋に、点滴をしながらたずねていったり、携帯メールで話し合ったりした。

ついに処置が始まった夜、ぎりぎりまで彼女の病室で話をする。

「抗生物質や点滴や、色んな薬を使いたくないなぁ。自然に出てきてくれるといいなぁ。」と言う彼女に、

「赤ちゃんによく話して頼んでごらんよ。するっと出てきてママを助けてね。一緒におうちに帰ろうねって。必ず聞いてくれるから。」

「どうしてダメだったんだろう。」

「うん、そうだね。でもこれで妊娠できることがわかったんだから、また来てもらおうよ。」

寝る前に、彼女が望むとおりになりますように。つらさが少しでも軽くなりますようにと祈った。



朝早く、メールが来た。

「一晩中痛かったけど、さっきね、お願いを聞き届けて何もしないでするっと自然に出てきてくれたの。いい子でしょう?」

ああ、本当に良かった。いい子だね。

私は心底うれしかった。どうしても欲しかった3人目。やっとの妊娠でそれはそれは喜んでいた彼女と家族。

つらいつわりばかりで楽になった途端の死産だった。せめても彼女の望みがかなえられて欲しかった。

寂しがり屋で、両親の手助けを持たない彼女のために私は入院していたんだろうか?私たちは翌日そろって退院したのだった。

「私のために入院しててくれてありがとう。あなたがいなかったらいつまでも決心がつかなかったし、自然に生んであげられなかったかもしれないものね。」



子供もちゃんと荼毘にふすことが出来て、お墓に埋葬できた。もう少し小さかったらそれもかなわなかったのだけれど。

何もかもが、いい方向に向かった。



私は家に帰ったと単に別の試練があったのだけれど・・・^^;