MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯318 AERAが報じる食品の放射能汚染問題

2015年03月16日 | 社会・経済


 「食の安全・安心」に関する話題をもう一つ。

 福島第1原発2号機の原子炉建屋から放射性物質を含む雨水が排水路を通じて海に流出していたとの報道に、状況を把握していながら公表を怠っていたとされる東京電力に対し、地元漁業者などから強い批判の声が上がっているということです。

 こうした状況もあって、事故後4年の節目に当たる3月9日に発売された総合情報誌「AERA」では、「放射能は300年消えず-食品汚染の今-」と題し、放射性物質による食品汚染への不安が国民の間でいまだ払拭されていない現状を改めて報じています。

 記者はまず、福島県の知人からもらったというコメを民間の測定所に持ち込んだ、都内に暮らす5歳の子供を持つ母親を取材しています。

 「小さな子供がいるから心配だ…。」記者は彼女に子供の健康への不安を語らせます。そして検査によって放射性セシウムの判定が「限界未満」であったことを確認した母親は、「少なくとも自分の目で確かめたので、納得して子どもに食べさせられます」と、表情を和らげたと記事は記しています。

 普通に考えれば、彼女の心配が徒労に過ぎないことが判ります。これについてはAERAの記事も、「(福島県産米は)全袋検査をすることで基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超えたものは市場に流通していない」と伝えています。

 もっとも、記事を読んだだけでは、出荷されなかった米の中には基準値を超えたものがたくさんあったようもとれますが、誤解のないように言えば検査された米に基準値を超える放射性物質が検出されたものはなく、そのほぼ総数が検査機器の検出限界値を下回っていたということです。

 放射性物質の半減期を踏まえると、この4年間で、空間線量が総体として56%程度減少していることは物理的に明らかです。しかしそれにもかかわらず、いまだに食品からは東日本の広い範囲で基準値を超える値が検出され続け、人々の不安を募らせているとこの記事は指摘しています。

 厚生労働省の集計では、昨年4月から今年1月の10ヶ月の間において、東日本の17都県で約27万件の食品に対し放射性物質の検査が行われています。しかし記者は、この27万件の中に456件の基準値を超える検体があったことをここで強く問題視しています。

 記事の指摘によれば、その中で最も高い値を示したのはキノコの「チャナメツムタケ」であり、そのレベルは基準値の15倍となる1500ベクレルに達していたということです。

 独立行政法人「森林総合研究所」の根田(ねだ)仁氏の「(山林は放射性物質を蓄積しやすいうえ)キノコは(放射性)セシウムを吸収しやすい性質をもっている」という指摘を踏まえ、記事は「いくら安全と言われても(こうした状況から見て検査結果に)納得できないとする人は少なくない。」しています。

 大メディアのこうした指摘に、不安をよぎらす人は決して少なくないでしょう。しかし少し注意してそのリスト見れば、基準値を超える放射性物質が検出されたとされる食品が、実際には普通の家庭の食卓にはめったに上らない耳慣れないものばかりであることに気がつくはずです。

 例えば、「アカモミタケ」や「コシアブラ」などの(名前を言われても判別できない)野生のキノコや山野草を放射性物質の影響が出るほど大量に食べる消費者はまずいないでしょうし、あえて言えば放射性物質よりも野生キノコによる食中毒のリスクの方がはるかに大きいことは明らかです。

 加えて、野生のシカやイノシシ、ツキノワグマの肉を日常的に食べているのは、おそらく極めて変わった環境にある人と言えるでしょう。

 一方、検査料金が1検体1万円として、10か月で27億円という膨大な公費をかけた27万サンプルもの検査結果があるにもかかわらず、記事は、「行政が発信する安心安全の不信感は根強い」と断じています。

 検査の結果、基準値を超えた品目は、その地域において3回連続で基準値を下回らないかぎり出荷停止が続けられ、市場に流通することはありません。事故発生以来、既に4年間にわたって基準値を超えた食品を市場に出回らせないよう黙々と検査を続けている自治体や生産者の努力を目の前にして、記者はそれでは具体的にどうすれば、消費者の信頼が得られると考えているのでしょうか。

 さて、記事は次に、原発事故以後食べ物などに含まれる放射能の測定を継続しているという東京大学大学院助教の小豆川勝見(しょうずがわ・かつみ)氏に取材し、そのコメントを取り上げています。

 記事の中で小豆川氏は、北関東の「道の駅」や自家野菜直売所などで販売されているキノコ類の放射性セシウムの濃度を検査すると、基準値を超えることは珍しくないと明言しています。

 確かに、事実であればこれは大きな問題です。もしも小豆川氏の指摘のとおりであるとすれば、都道府県は基準を超える食品の流通を監視するという法律上の責任を果たしていないことになります。

 「福島以外の自治体は食べ物の放射能検査の測定回数が少なく、基準値超えの食品が出るかもしれないという危機意識も低い」と小豆川氏は行政の対応を非難しています。一方、氏のこうした指摘に対し栃木県は、「月に一度、市町村ごとに食べ物の放射能検査を実施している」とし、検査体制に不備がない旨を説明しているということです。

 そうであれば、問題をこのまま放置すべきでないのは明らかです。研究者としての小豆川氏は、指摘を行った以上行政機関とともに適正な手順のもとで検査を進め、基準値を超えるキノコ類が市場に流通していることを社会に向け明らかにする責任があると考えます。

 人体への影響の程度はともかくとして、食品衛生法上の基準値を超える食品が市場に出回ることは、社会の安定という視点からも適切ではありません。

 また、万がいち氏のこうした発言が誤解に基づくものであれば、道の駅などに農産物を出荷している北関東の全ての生産者がその誤りにより莫大な被害をこうむることになります。それだけでなく、放射性物質を取り除くために行われてきた4年間の努力が風評によって無に帰す結果を呼ぶことにもなりかねません。

 続けてこの記事は、小豆川氏の指摘のもと、市街地における土壌の汚染にも言及しています。

 小豆川氏よれば、例え環境省のガイドラインにのっとって空間線量率が基準値以下であると行政側が発表したとしても、公園の端の吹きだまりなどには基準値を超える場所がいまだに存在しているということです。

 昨年8月に、東京23区内のマンションの排水溝にたまった汚泥などを測定したところ、2万ベクレルを超える場所が現実に存在していた。しかも、関係する役所にそのことを知らせても、一切対応はなかったと、インタビューに対し小豆川氏は答えています。

 いくらオフィシャルで「ちゃんとやっている」と言っても、現実には抜け穴だらけだと、氏はこの記事において行政の対応を手厳しく批判しています。

 しかし、見方を変えれば、行政機関にととって問題となるのは「放射性物質があるか、ないか」ということではなく、その存在により「住民の健康に危険があるか、ないか」にあることは明らかです。
 
 誤解を恐れずに言えば、排水溝に溜まった汚泥を人間や家畜が食べるわけではありません。人体に影響があるのはあくまでその地域で暮らす人々が日常的に浴びる放射線の空間線量(や、水や食物などによる内部被ばく)であり、これまでの知見から見て日常生活においてこうした条件が問題のないレベルであれば、優先順位(とコスト)を勘案のうえ、行政サイドが緊急の対応を行ない場合も十分あり得ると考えられます。

 記事はさらに、東京湾に流れ込む土壌についても言及しています。

 水産庁が平成24年度に行った水産物への放射性物質の検査データによると、東京湾内で採れた魚介類はほとんどが「検出限界未満」であり、最高値となった旧江戸川河口部で採れたウナギも、基準値を大幅に下回る11ベクレルであったということです。

 この結果を見る限り、現状では特に心配のない水準にあると考えられますが、記事はこうした検査結果に対しても、「一見すると安全にも思えるが、水産物の汚染で本当に怖いのは、底土などの汚染が時間の経過によって魚や貝の体内に蓄積することだ」としています。

 獨協医科大学准教授の木村真三氏の調査によれば、東京湾に流れ込む主要河川の河口で最も汚染レベルが高かったのは、千葉県内を流れる花見川の1キロ当たり1189ベクレル。次いで荒川河口(398ベクレル)、木更津港内(162ベクレル)だったということです。

 放射性物質の一つであるセシウム137の半減期は30年にわたる。そのセシウムが海水中に溶け出すことで、(例え今は問題がなくとも)生物の中に放射性物質が蓄積する生物濃縮が起きていく可能性があると記事は指摘しています。

 危険なものに変わる可能性がある以上、今は海水の濃度が薄まっているからといって安心と言えるのかどうか。セシウム137の放射能が1千分の1になるのは約300年後のことであり、引き続き「監視が必要」と木村氏は話しているということです。

 さて、食品の放射性物質による汚染とそれによって人体への影響が生じる「可能性」を、根拠の薄いまま(ある意味不安を煽るような形で)報じるこのAERAの記事の指摘を追いながら、この記事が一体何を意図して書かれているのかについて改めて考えさせられました。

 例えば、東京湾の底土に関して言えば、東京湾に沈む(現在、人体に影響のないレベルの)放射性物質を一体どうするべきだとしているのか。何兆円もの費用をかけて全てを浚渫し、何億トンもの底砂を集め「どこか」へ保管するべきだというのでしょうか。

 4年前の原発事故により、(その濃度が一定以上になれば)人体に悪影響を与える放射性物質が漏出し、東日本一円に拡散したのは紛れもない事実です。しかしそれを全て取り払い、以前と同じ状態に持っていこうというのは所詮無理な話だということについては、改めて国民の間でひとつの合意が必要なのかもしれません。

 いずれにしても、事故により、環境のあちこちに残された放射性物質に対して、住民の健康に影響が出ないよう私たち自身が常に環境をチェックし、必要な措置をとるべきなのは言うまでもありません。

 今回のAERAの記事の根底に、そうした「メディアの使命」のようなものがあるのはある程度理解できます。しかし、最終的に人々の判断基準となるのは、「感情論」でも「正義」でも、ましてや根拠のない「不安」などもなく、科学的な知見に基づくリスクマネジメントであり、適切なコンプライアンスにあることは言うまでもありません。

 記事によれば、前出の小豆川氏は、住民が「安心」を得るためには何よりも「教育が必要」だと説いているということです。

 いくら基準値が100ベクレルと規定されていても、仮にスーパーで売っている食品に放射能測定結果として「1ベクレル」と表示されていれば、都内の消費者はまず買わないだろう。それは「ベクレル」の正確な意味がわからないからだと氏は指摘しています。

 記者は、だからこそ教育によってその1ベクレルがどういう意味なのかをきちんと判断できるようにすることが必要であり、小中学校の段階から放射線について基本的なところから教えることが大切だとこの記事を結んでいます。(←これについては、AERAのようなメディアこそ、率先してその責務の一旦を担うべきだと思うのですが、その話はまた別の機会にしたいと思います。)

 今回のAERAの記事の狙いはともかくとして、(確かに記事も指摘するとおり)私たちを不安に陥れるのは、「目に見えないもの」「よくわからないもの」を必要以上に恐れる、私たち自身の弱さにあるのかもしれません。

 で、あればこそ、漠然とした不安やそれに伴う過剰な反応から自分を守る武器として、物事を科学的に捉え判断する能力を身につけることの大切さを、この記事の指摘を受けて私も改めて感じたところです。




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