MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯735 ポピュリズム台頭の時代をどう読むか(2)

2017年02月23日 | 社会・経済


 引き続き、作家の橘玲氏による、世界的な兆候として懸念されている「ポピュリズムの台頭」に関する1月5日の自身のブログ(『欧米で台頭した「右派ポピュリズム」が2017年に影響力を増していく理由』)における指摘を追っていきます。

 欧米諸国における最近の右派ポピュリズムの特徴的な動きに、橘氏は(彼の国々における)中流以下のクラスの分断と対立関係の創出を見ています。

 氏は、右派ポピュリズムは、政治や経済から疎外された(あやうい)中流層の耳元で、「“弱者”を装い働きもせずに福祉で暮らしている奴らに善良な市民が搾取されている」という物語を囁き続けているとしています。彼らの(ぼんやりした)不満に火をつけ、怒りと不寛容の世界に誘っているということです。

 格差社会は、一般に思われているように、「1%」の富裕層と「99%」の貧困層が対立しているのではないと橘氏は言います。日本の「ナマポ(生活保護受給者)」批判を見てもわかるように、最近では中流以下の層が二分され、「負担者(福祉の受給額より納税額が多い人たち)」が、「受益者(納税せずに生活保護などを受給しているひとたち)」を激しくバッシングする形をとるのが普通だということです。

 さらにやっかいなことに、「負担者」と「受益者」の関係が固定化している欧米においては、右派ポピュリズムのこの物語は一定の説得力を持っていると橘氏は説明しています。

 分かりやすく言えば、福祉の対象になるのはいつまでたってもアメリカでは黒人、ヨーロッパではムスリム移民であり、文化的な違いもあって、ポピュリストにとってはその(レッテル貼りと)分断が極めて容易だということです。

 彼らが福祉の対象となっているのは、もちろん彼らの「自己責任」(ばかり)ということではないでしょう。リベラル派の主張するように、明示的な、あるいは暗黙の差別や偏見があって、特定のマイノリティが成功できない理由が(恐らくは)社会の中に幾つも存在していると考えるのがこれまでの常識です。

 しかし、橘氏によれば、それに対して右派ポピュリズムは、こうした「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」を、まやかしだと正面から批判しているということです。 

 彼らの理屈では、「社会的弱者」が貧困から抜け出せないのは福祉によって働かなくても生きていけるから。とすれば、麻薬中毒と同じように、彼らを福祉依存症から立ち直らせるには福祉を止めるしかない。働かなくては生きていけない状況に置かれれば、(怠け者の彼らもきっと)働きはじめるという論理です。

 当然のことながら、現実はそう単純にいくはずもありません。しかしその一方で、右派ポピュリズムの主張がすべて間違っているとも言い切れないことが、また問題を複雑化していると橘氏はこの論評で説明しています。

 どちらが正しいか判然としないのであれば、自分にとって気分のいい方を選ぶのは当たり前。このようにして、「安全」と同様に「経済」の物語でも、既存のリベラルは右派ポピュリズムの前に敗れ去っていくほかないという指摘です。

 しかしまた一方で、こうした論理を声高に叫ぶ右派ポピュリズムによって、これから先の政治が支配されることも(恐らく)ないのではないかと橘氏は考えています。

 これまで述べてきたように、ポピュリズムは複雑な現実を単純化して感情に訴える「物語」なので、実際に政権の座に着いたり与党の一角を占めたりするようになれば、そのフィクションは現実政治の前に破綻せざるを得ないだろうということです。

 氏によれば、日本における「維新」の運動でも見られたように、(ヨーロッパなどにおいても)ポピュリスト政党が政権に近づくと原理主義と現実主義に分裂して内紛を起こしたり、連立相手の大政党の右傾化によって吸収されていくという流れが一般的だということです。

 イギリスのEU離脱でも、立役者となったイギリス独立党が国政に関与できるようになったわけではなく、逆に党の存在意義を失いつつあると橘氏はしています。

 しかしそれでも、「移民・治安・失業」という物語の核が変わらない以上、右派ポピュリズムが人々に大きな影響力を行使しつづける状況を避けて通ることはできない。なので(少なくともしばらくの間)、これからの世界が、彼らのフィクションに振り回されることになるのではないかと予測する橘氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。




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