MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯377 息子がヘビを殺したら

2015年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム


 読売新聞に100年以上続けて連載されている名物コラムに、『人生案内』があります。読者の投稿によるいわゆる「人生相談」のコーナーとして、ここには様々な世代の人々から、時代・時代の世相を反映した興味深い相談が毎日寄せられています。

 6月27日の相談は、ヘビを殺した小学生の息子の将来に不安を覚える50代の母親からの投稿でした。家族の団らんの中で、小学3年生の息子から、川で友達と遊んでいてヘビを見つけ、友達から「おまえもやれ」と言われて一緒に殺した…という話を聞いたというものです。

 「そのヘビはもう家族のところには帰れないんだよ。」彼女は息子の眼を見つめこう諭したということです。

 息子は友達も多く明るく思いやりのある性格だと彼女は言います。彼は神妙な顔つきで母親の言うこと聞いていた。しかし、小さな生き物をこのように殺すようでは親として心配だ。これから先難しい年頃を迎えるこの子に対し、私はどんな心構えで接していったらよいのか…という相談です。

 (余りにパターン化していて、最近流行りの「やらせ」のような内容だとも思ったのですが、)子供の生活にぴったりと寄り添う社会経験の少ない現代の母親にとって、こういうシチューエーションへの対応は案外自らの経験と理解を超える難しい作業なのかもしれません。

 少し思い浮かべてみます。少年たちが川原で遊んでいてヘビを見つけたらどうするか?

 (ヘビの大きさにもよるでしょうが)普通に考えれば、その時少年が一人で居たのであれば、すぐにその場から立ち去る(10歳の子供であれば走って逃げる)のではないでしょうか。しかし、同じ世代の友達と何人かで居たのであれば、彼らの選択肢はもう少し増えそうです。

 「へびだ!」(皆、少しひるむ)。しかし、案外大丈夫そうだと見ると、リーダー格の1人が棒でつついたりしてみる。「青大勝だぜ、毒ないし…。」などと、判らないなりに偉そうに言ったりするかもしれません。

 ヘビは子供たちからスルスルと逃げようとする。「待てぇ」などと追いかける。弱虫などとは思われたくない。勢い、棒などでばんばん叩き、哀れそのヘビは昇天する。ヘビの亡骸を前にした少年たちの心にはなぜか少し罪悪感が残る。「家には内緒な…」などと言いながら、彼等は夕暮れの家路をたどることでしょう。

 こうしたありがちな夕暮れの光景が、何となく目に浮かびます。

 さらに言えば、家に帰って家族と食卓を囲んだ子供たちは、それぞれ母親から「今日は何があったの?」などとしつこく聞かれるかもしれません。子供らは、今日の最大のトピックとして、ワル者のヘビを懲らしめた話をしたくて仕方ありません。しかし、ヒューマニストで、最近少しうっとおしいお母さんに「まぁ~!」などと怒られるのは嫌だし、さらには「殺してしまった」という罪悪感もあるので、率先してやったのは○○ちゃんで自分は仕方なくやったのだという部分を少し強調したりするかもしれません。

 相談者であるこの子の母親は、「わが家にはペットもおり、命の尊さは折に触れて聞かせてきたつもりです。」と訴えています。自分は間違った教育はしてこなかった。もともとは心の優しい子なんです。それなのに、悪い友達にそそのかされて優しいあの子がヘビを殺すようなひどいことをするなんて。このまま、自分の手の届かない所に行ってしまったらどうしよう。

 こうした母親としての心配は、ある意味判らないではありません。しかし、経験が少なく他者との関係が掴めない「子供」が持つ残酷さは、今に始まったことではありません。

 さて、そこで考えてみます。もしも家の中にヘビが迷い込んでいたとしたら、お母さんを守るため果敢にヘビに挑む息子の姿を彼女はどのように受け止めるでしょうか。また、普段は「生き物は皆、命があるのよ」などと言いながら、ゴキブリが一匹出ただけでキャーキャー言いながら逃げまどい殺虫剤を振りかける母親の姿を、息子は普段からどのように見ているのでしょうか。

 精神科医の野村総一郎氏は、この相談者への回答として、息子さんが「神妙な顔つき」をしていたのであれば、「この子の将来に何の将来に何の心配も感じられない」というのが正直な感想だと述べています。

 人が一人で生きていける大人になるためには、自然や社会の「摂理」を理解するための一定の経験が必要となります。罪悪感や諦念や自己否定をひとつひとつ受け入れることで、子供たちは母親の手を離れ大人への階段を上っていく。

 人生、いつでも正義の味方でいられるわけではありません。これから先も子供たちは、ある時には人には決して自慢できないような様々な(後ろめたい)経験を積みながら、周囲の環境との接し方を学んでいくことでしょう。

 少年たちが自分たちの手を離れ彼らの世界に行ってしまうことは、多くの母親にとってはきっととても寂しいことなのだと思います。しかしそれは、何百世代にもわたって繰り返されてきた、母親と言う存在の、ある種の「宿命」と言えるのかもしれません。




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