MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯439 救急車の有料化を考える

2015年11月23日 | 社会・経済


 医療コストの増大に関する資料探しをしていたところ、10月27日の朝日新聞(埼玉地方版)に掲載されていた、川越救急クリニック院長の上原淳氏による「救急車の有料化」に関する寄稿記事が目に留まりました。

 上原氏は、埼玉県の川越市において救急診療に特化した診療所をほぼ単身で運営しているお医者さんで、診療時間として設定された金・土・日・月曜日と祝日の16~22時であれば、どんな患者でも受け入れるという診療方針を貫いていることで知られています。

 また、夜の22時以降も時間外診療として翌朝9時までは基本的に全ての急患に対応しており、月に100件以上、年間約1800件という救急車搬送の受け入れ率は、埼玉県内でもトップを維持しているということです。

 さて、このような形で救急医療の現場を支える上原氏に対し、最近、様々なメディアから、「救急車の有料化についてどう思うか?」という意見照会が来るようになったと、氏はこの記事に記しています。

 その原因はと言えば、財務省の諮問機関である財政制度審議会から先日提出された「財政健全化計画」の建議において、軽症の場合の有料化を検討すべきとの意見が示されたからだということです。

 2014年版消防白書によれば、全国における救急車の出動件数は、昨年598万件と過去最多を記録しており、10年前に比べて約2割増加しているということです。また、救急車で運ばれた人のうち「重症」の割合は8.9%にとどまる一方で、初診医師が入院の必要なしと判断した軽症者が49.9%と全体のほぼ半数を占め、中には虫歯の治療に救急車を呼んだり、いわゆる「タクシー代わり」に使ったりといったケースが後を絶たないということです。

 救急出動が限界に近付く中、救急搬送の有料化については、安直な搬送要請を抑制するための「決め手」として、これまでも様々な場面で議論がなされてきています。

 海外の事例を見ても、例えば米国(ニューヨーク)では約5万円、ドイツ(ミュンヘン)では基本料金として約6万7千円、シンガポールでは非緊急の場合約5千円~1万円など、特に軽症の場合の有料化を選択している国も決して少なくはないようです。

 しかしその一方で、日本では国民の間に「救急車は無料」というセーフティーネットとしての感覚が強く根付いていることもまた事実であり、重症か軽症かの判断が難しいこと前提に、有料化によって低所得者が救急車の利用を避け生命の危機に陥ったり、重症化さたりすることへの懸念も強く指摘されています。

 そうした状況の中、上原氏は、救急医療に当たる医師の中に有料化に反対する人はほとんどいないだろうとしています。ただし、問題はいつ、誰がどのようにそのお金を集めるのかというところにあり、医療費さえ支払わない人が多い中、医療機関が集めることは実態として困難だろうと考えられているようです。

 さらに氏によれば、現場を支える救急隊員は、有料化には挙って反対だということです。

 ただでさえ、「早くしろ」とか、「何を(グズグズ)しているんだ」とか罵倒された経験を持つ救急隊員が少なくない状況の下で、一旦料金を徴収するようになれば、「金を払っているのだから早く運べ」といった無理を言う人が増えることは目に見えているということです。

 この記事を読んで思い出したのが、ハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏の著書「それをお金で買いますか」(ハヤカワ・ノンフクション文庫)に示されていた、イスラエルの保育所の事例です。

 その保育所では、親が子供のお迎えの時間に遅れることがしばしばあったということです。そこでこれを減らすため、遅れたら罰金をとるようにしよう、と保育所の関係者は考え実行に移してみた。すると何が起こったかと言えば、なんと罰金をとる前よりも、親が遅れることが増えてしまったというのです。

 どうしてそのようなことになったのか?サンデル氏はその理由をこう分析しています。

 罰金制度が導入される以前、「時間に遅れる」ということは親たちにとって「道徳的」な問題として捉えられていた。しかし、罰金制度が始まったことで、親たちは時間に遅れても保育士に対して「申し訳なく」思う必要はなくなり、さらに「お金を払いさえすれば済む問題」に変質してしまったというものです。

 新たにそこに生まれたのは「保育士の時間をお金で買う」という取引の関係であり、それは親たちの心理的な負担を無くす「都合のよいもの」として受け入れられた。道徳的な問題がこのように単純な「有料サービス」に変わってしまうこと、つまり社会の規範がお金によって蹂躙され書き換えられてしまうことについて、この著書においてサンデル氏は大きな懸念を示しています。

 最終的に「お金で解決する」という手法を採用することは、(公平・平等を建前とする)社会的な規範を、痛みの意伴わない「契約」に変質させることになる。そう考えれば、社会システムを(目的に沿って)有効に機能させるためには、受益者の間に一定の規範と共通理解が必要なことは論を待ちません。救急車の有料化を検討するに当たっては、確かにそういった「規範を維持する」という視点からも十分に検討する必要があるかもしれません。

 さて、話は戻りますが、記事によれば救急車の出動回数は年々増加しており、2013年には埼玉県内だけでも1日当たり千件近い31万件を超える出動があったということです。1回の出動に必要とされる費用が平均4万円程度ということなのでその経費は130億円にも及んでおり、このままでは救急搬送の有料化が具体的に検討されるのも時間の問題だろうと上原氏は考えています。

 しかしその一方で、有料化による利用者の意識の変化が救急システムの不安定化をもたらしたり、住民の信頼を損なったりするような事態は、当然できるだけ避けていかねばなりません。

 軽症者の搬送について一定のニーズがあるのであれば、その部分は(ビジネスチャンスとして)マーケットに委ねることも一つの方法かもしれません。しかし、無料の救急搬送サービスが行政により保障されていることが、いかに生活者の(イレギュラーな)リスクをヘッジし住民の安心に貢献しているかは、ここであらためて述べるまでもないでしょう。

 住民の独りひとりが少しだけ、不要不急な救急車の利用を控えるよう心に留め置くことで現在の恵まれたセーフティーネットを維持することができることを、私たちはきちんと理解しておく必要があるとする専門家としての上原氏の思いを、私もこの記事から重く受け止めたところです。



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