MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯403 方法は二つある(二つしかない)

2015年09月05日 | 社会・経済


 7月に厚生労働省が発表した2014年の日本の平均寿命は、男性が80.50歳でシンガポールやスイスと並び世界第3位(タイ)、女性は86.83歳で3年連続の第1位で、男女ともに前年より0.2~0.3歳の伸びを見せています。

 平均寿命自体はその年に生まれた新生児の平均余命の期待値ですので、現在の高齢者の平均的な寿命を指すものではありません。しかしそれにしても、戦後70年にわたって続いた平和と社会や経済の安定が与えてくれた恩恵を日本人が十分に享受してきたことを、この数字は如実に物語っていると言えるでしょう。

 中でも、国民皆保険を前提とした日本の健康保険制度は、戦後の日本人のこうした長寿命化の立役者として改めて評価されていいのではないでしょうか。

 OECD諸国が医療費にかけているコストを対GDP比(2013年)で比べてみると、日本は10.2%で、G7の国々の中でも米国、ドイツ、フランスに次ぐ4位に過ぎません。超高齢化社会の到来により見直しに向けた指摘も多い国民皆保険制度ですが、こうして見てみると、(少なくとも今のところは)先進国の中では中位に当たる低いコスト(医療費)で、最も高いパフォーマンス上げていることが判ります。

 参考までに、日本の社会保障制度全般を見ると、公的年金や医療・介護などの社会保障関係支出の総額から本人の負担額を除いた純粋な給付費は、年間で約116兆円となっています。一方その財源は、国と地方自治体による公的支出により約4割が賄われており、残りの約6割が個人や企業が負担する社会保険料ということになります。

 日本全体で年間100兆円を超える社会保障費が費やされ、さらにこれが毎年2兆円ずつ増えていると聞くと、とんでもなく巨額な費用が無駄に社会保障に流れているように感じる向きもあるでしょう。

 しかし、実際のところ、社会保障費の国民負担率(税+社会保険料)はOECD諸国の平均よりも随分低く抑えられており、その一方で、社会保障関係の給付額がOECD諸国の平均よりも高い状況にあることを考えれば、わが国が「低負担・中福祉」をバランスよく実現させていることを日本人はもっと世界に誇ってよいのかもしれません。

 さて、こうした社会保障制度のもと世界に類を見ないスピードで伸びてきた日本人の平均寿命ですが、それを手放しで喜んでばかりはいられない状況が目前に迫っているのもまた事実です。

 わが国の社会保障がいかに優れたものであったとしても、人口構成の少子高齢化により高齢者の医療や介護に要する経費が著しく増えれば、その影響は制度の運営にとどまらず社会全体の中に様々な歪みとなって現れることもまた現実に予想されるところです。

 さて、日本における今後20~30年の最大の懸案ともいえるこのような医療、介護の問題を合理的に解決するための手段は、シンプルに考えれば大きく二つある(二つしかない)と考えられます。

 一つは、増大する高齢者の下でも(一人あたりのサービスの質を落とさずに)医療や介護に要する費用を抑制していくこと。そしてもう一つが(個人の負担感を伴わない形で)保険料収入や公的負担を増やすことです。

 サービスの質を落とさず費用を抑制することなんて本当に可能なのかと思われるかもしれません。しかしよく考えてみると、高齢化したからといってこれに(きちんと)比例して医療費や介護費用が増えていくとばかりも言えなさそうです。

 厚生労働省の調査によれば、介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」は、2013年現在で男性が71.19歳、女性が74.21歳となっています。同年の平均寿命は男性が80.21歳、女性が86.61歳ですので、それと比較すると、そこには男性で約9年、女性で12.4年のギャップが認められます。

 従って、このギャップを限りなく小さくしていけば、(いわゆる「ピンピン・コロリ」ではありませんが)当然、社会における医療や介護のコストは大幅に抑制されることは自明です。 そう考えれば、超高齢者を目前に医療費の高騰や介護人材の不足が社会問題となる中、わが国にとって最も急を要する政策課題の一つがこの「健康寿命の延伸」にあることは論を待ちません。

 さて、人口構成の高齢化に対応した社会を作るためのもう一つの方法論である、保険料収入などの増大策についても考えていかなければなりません。

 とはいえ、社会や経済に与える影響を考えれば、現役世代の保険料をこれ以上増やしていくこともなかなか理解が得られないでしょう。個人の負担を大きくすることが叶わないとすれば、できることは一つだけ。つまり、保険料を払う人を増やすための努力が必要だということです。

 社会の中で、いわゆる「支えられる」側の人をできるだけ減らし、その一方で「支える側」の人を増やすこと。人口は一定の訳ですから、当然ながら増えていく高齢者に労働に参加して(稼いで)もらい、日本の経済を活性化させるとともにそこから収入を得て自ら保険料を支払ってもらうことが重要となります。

 難しいことのように聞こえるかもしれませんが、それを実現するための最も単純な手段のひとつに、「定年制の廃止」があるのではないかと考えられます。実際、労働慣行としての定年制が一般化しているのは日本や韓国などの限られた国だけで、欧米も含め、世界的には雇用と年齢は直接関係してきません。

 人口ピラミッドがいびつなとなった日本では、年齢が60歳なり65歳なりに達したということだけを理由に「解雇」するというこの制度の合理性を説明することは、かなり難しくなってきているのではないでしょうか。

 人生80年時代を迎え、例えば身の回りの65歳の様子も実に様々です。元気な人もいればそうでない人もいる。仕事は「もういい」というお金持ちもいれば、働かなくては暮らしていけない人もいる。一億総中流と言われた同質的な日本の社会は過去のものとなり、人生を年齢で輪切りにして扱う意味は既に失われていると言っても過言ではありません。

 「現役」と「引退」の境目を一律に設けることなく、(高齢者も)プライドを持って生き生きと働ける仕事と場所をきちんと用意できれば、社会はもっと柔軟に人口構成の高齢化を受け入れることができるでしょう。さらに(無理のない)「労働」は高齢者に意欲と責任(生きる意味)と規則正しい生活をもたらし、健康寿命の向上にもきっと良い影響を与えてくれることと思います。

 今後の日本は少子高齢化による人口減少の伸展が予想されており、中でも生産年齢人口の減少幅は人口の減少をさらにしのぐスピードで進んでいくとされています。

 労働需給がひっ迫し空前の人手不足の雇用環境が訪れようとしている現在、政府をはじめ経済界や労働界が連携して十分に研究と議論を重ね、社会の構造転換を図っていく必要があると考えられる所以です。



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