MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯66 やられたらやり返す?

2013年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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 朝日新聞では「いま、子どもたちは」と題して、子供の教育に関するトピックを定期的に連載しています。10月3日の紙面には、「『やり返して良い』と教わった子、いじめ被害・加害招く」というタイトルで、NPOが実施したアンケート調査に基づく署名記事が掲載されていました。

 子供をいじめによる自殺で亡くした遺族らで作る「ジェントルハートプロジェクト」というNPO法人があるそうです。

 記事では、この法人のメンバーが昨年講演で訪れた小中高等学校の生徒8,361人を対象に行ったアンケートに基づき、大人から「やられたらやり返して良い」と教わった子供は、そうでない子供に比べていじめの被害者や加害者になりやすいと結論付けています。

 アンケートによれば、いじめの経験がない(被害者にも加害者にもなったことがない)小学生のグループでは、大人から「やり返して良い」または「やり返すくらいの強さも必要」と教わったことがある子供が28.2%と少数派であるのに対し、被害経験があるグループでは37.3.%、加害経験があるグループでは38.19%と多くなり、いじめたこともいじめられたこともある子供では44.7%と半数近くを占めているとしています。

 また、中学生ではこの傾向がさらに顕著であるとし、同様に「反撃を肯定する」親を持つ中学生の割合は、いじめに関係したことのないグループでは37.5%であるのに対し、いじめられた経験のあるグループでは49.0%、いじめた経験のあるグループでは51.0%と半数を超えており、さらにいじめたこともいじめられたこともあるグループでは54.2%に達しているとしています。

 この数字からNPO法人では、「やられたらやり返せ」という指導はいじめにつながるだけでなく「いじめの連鎖」を生んで問題を大きくするとして、大人にはこうした「間違ったメッセージ」を子供に向けて発信しないよう求めています。

 もちろん、「弱い者いじめをするなんて人間として最低だ」というのは(ほとんど)どこの家でも子供に教育していることと思います。しかしながら、「半沢直樹」ではありませんが「倍返し!」とまではいかなくても、「やられたらやり返す」くらいの強さがなくてどうする…」というのは、子供を持つ世の親たちのひとつの本音と言ってもいいのではないでしょうか。

 さて、NPO法人が行ったこのアンケート結果をどう読むか。理屈としてはわかるような気もするのですが、ざっくり聞いただけでも何かちょっと「違和感」のようなものを感じるのも事実です。参考までに、アンケート結果や標本のバックデータをネット上で探してみたのですが、期待していたようなものは見当たりませんでした。

 記事をよく読むと、大人から「やり返して良い」と教わったと答えた小学生は全体の35.9%、中学生は50.2%ですので、被害経験者もしくは加害経験者のどちらのグループにおける割合とほとんど変わりません。つまり親の考え方と「いじめ経験」、「いじめられ経験」との相関はほぼ見られない、こう考える方が妥当と言えそうです。

 つまりデータを見る限りでは、記事の書きぶりとは違って「被害者にも加害者にもなったことがない」というクループと「被害も加害も経験がある」グループ、この二つのグループについてのみ、親の教育方針の影響を受けている可能性がある…という仮説を読み取ることはできそうです。

 いずれにしても、小学生全体の約半数(48.9%)が「いじめられたことがある」とする現状を考えれば、多くの教室においていじめが行われていた(もしくは「現在も行われている」)と考えるのが妥当でしょう。

 それでは、ここに現れる「自分は人をいじめたことも、いじめられたこともない」と胸を張る小学生のグループは、周囲でクラスメイトによるいじめが行われていたときに一体何をしていたのでしょうか。気がつかなかったのでしょうか。それとも彼らとは一線を画していた(いじめられないように見ていた)ということでしょうか。

 そして、こうした(教室内のいじめから距離を置いてきた)子供たちの実に71.8%が、親から反撃することを教られてこなかった子供たち、ということになります。

 一方、「やられたらやり返す」ことができるだけの強さを子供に期待する親は、(すべてがそうだとは言いませんが)自分も子供の時分に「やられたり」、「やり返したり」してきた親と見ることもできるのではないしょうか。理不尽な攻撃を受けた場合の対処方法を、自らの経験に基づき、子供に示していると捉えることも、あながち根拠のないことではないと思います。

 逆に考えると、やられても「やりかえすな」もしくは「自分で解決する必要はない」とする親にはそうした経験が少ないか、そういう場合は誰かが解決してくれた…いずれにしても、いじめのような人間関係上のリアルな厳しい体験が希薄な大人であると考えることができるかもしれません。

 親が持っている「人対人」の人間関係の距離感というものは、子供の人間関係の作り方にストレートに反映されます。「お前のせいではない。」「自力で救済する必要はない」「このようにした学校に責任がある」と。それでは、今、目の前でいじめられている子供たちは、一体誰が助けてくれるのでしょうか。

 小学校、中学校は、知識だけでなく人間関係を学ぶ場でもあります。育った環境や価値観が異なる人間が集められているわけですから、教室の中にはさまざまな摩擦やトラブルが生まれます。それを乗り越え、円滑な関係の作り方を学びながら子供たちはタフな大人へと成長していくことになります。

 集団というストレスの渦中にあれば、いわゆる「いじめ」と呼ばれるような行為はかなりの確率で発生するのではないかと思います。現在問題となっているのは、その「よくあること」の暴力性と攻撃性が常軌を逸しているということであって、子供たちがここで学ばなければならないのは、そうした問題に立ち向かい関係を改善に導いていくための知恵であると考えられます。

 いじめ問題の改善に向け基本に置かなければいけないのは、まずは常軌を逸したいじめに制裁を与えこれを食い止めること、そして、いじめなどで死なないタフな人間を育てることではないかと思います。虐げられる立場の人間に共感できる感性と理不尽なものに敢然と立ち向かう強い意志を育てることが必要です。

 「やられたらやり返す」。そのやり返し方はいろいろあるのだと思います。しかしただ一つ、いじめの本質に目をつぶり、「やり返す」気持ち自体を否定してやりすごすことからは、いじめ問題の解決策を何も生み出すことはできないのではないかと考えるのですが…いかがでしょうか。



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