8月28日のニュースコラムサイト「ダ・ヴィンチニュース」では、話題の新刊『子どものまま中年化する若者たち~根拠なき万能感とあきらめの心理』(幻冬舎)の著者である、精神科医で立教大学教授の鍋田恭孝(なべた・やすたか)へのインタビューをベースに、「いまの若者はいろんな機能が落ちている」と題する興味深い記事を掲載しています。
「いまどきの若い者は…」といった年配者による若年世代への低い評価は、(一説によれば)4000年前のエジプトの書簡からも見つかるという逸話をしばしば耳にします。話の真偽は別にしても、そのような世代間の意識のギャップというものが、有史以来変わらず存在し続けてきたというのは恐らく真実なのでしょう。
最近の例で言えば、2013年の流行語大賞にもノミネートされた「さとり世代」と呼ばれる、ひと括りの世代グループの存在が挙げられます。
「さとり世代」は、概ね1990年代に生まれた現在の20歳代を指す言葉で、何事にもあまりこだわらずスマートな立ち振る舞いを見せる一方で、無駄な努力を嫌い合理性を重視するのがその特徴だと言われています。意欲や熱意を見せることもなく、恋愛にも淡白。しかしその一方で、他人の目を気にする傾向が強く、人間関係に敏感だというような評価もあるようです。
鍋田氏はこの記事の中で、時代の影響を受けて刻々と変化する若者の実態を的確に理解することが簡単でないとしても、「(確かに)1980年以降に生まれたこの世代は、それまでの世代と決定的に違う」と指摘しています。
ここ10~20年ほどの間、思春期外来の患者として訪れる1980年代に子ども時代を過ごした世代に接している多くの精神科医が、彼らの扱いに特別苦労していると鍋田氏は記事のインタビューに答えています。
この世代の若者たちは、それ以前の世代との比較において様々な面で「機能」が落ちていると言わざるを得ない。例えば、体力測定などの調査結果からは身体機能の低下を、そして遠近法に基づいた絵を書けないなどの事例からは、「物事を統合する能力」の低下を認めざるを得ないということです。
そして鍋田氏がここで特に指摘しているのは、彼らの「自分について語る力」、「人の気持ちを読み取る力」の顕著な低下です。
心身に不調があるのははっきりしているのに、何を聞いても「わからない…」「特に…」「別に…」「普通…」といったリアクションしかすることができない若者達。そもそも悩みの「形」ができていないから、何を悩んでいるのかが本人にすらわかっていない。
彼等自身に、自分を語る機能、自分を把握する機能があれば、一緒に原因を突き止め悩みを解消することもできるのだけれど、その世代の彼らにはそうした従来の治療法が通じ難くなっているということです。
鍋田氏はこうした状況に対し、この世代の若者は、自分と相手の相違を認識しながら自分の主張を伝えるという、コミュニケーションの基本的な訓練ができていないのではないかと指摘しています。
少なくとも、1970年代生まれ頃までの日本の子供たちは、「いい大学に入り、一流企業に就職する」という(親世代の)上昇志向に巻き込まれ、それなりのストレスが常に与えられてきたと鍋田氏は考えています。従ってこの時期は、それへの反発から家庭内暴力や荒れる学校も多かった。
しかし今は、家庭も社会もまず「子どもありき」の時代となり、若者は取りあえず言われたことさえやっていれば「それなり」で「そこそこ」の生き方ができるようになっている。無理をしなくてもいい、気楽で、危険もなく、コスパもよく、できることだけを選んでいく人生が可能となる一方で、生きていく上で必要のない(なかった)機能がどんどん落ちていくのは必然だということです。
ところがそんな彼らも、何の準備や心構えもなく生存競争である社会に放り出された途端、がぜん生きづらさに直面することになると鍋田氏は述べています。それまで大人は大抵優しかったのに、無茶をいう上司などの理不尽な大人達の所業にいきなり遭遇することになる。彼らはこれまでの環境とのギャップに大いに戸惑い、場合によっては順応できなくなって、会社を辞めたり引きこもったりしてしまうということです。
それではそんな若者たちに、私たち上の世代はどう対処すればいいのか。
鍋田氏は、彼らに対しては、自分たちの世代が持っている「若者像」を求めない(押し付けない)ことが重要だと強調しています。
こうした現在の若者達はエネルギーを自分の中に溜めない生き方をしているので、「チャンスを与えれば必死についてくる」とか、「負荷を与えれば本領を発揮する」とか、そういったことはまず期待できない。それよりも、与えられた環境で、与えられた物事をそれなりにこなすという彼らの特性に着目し、適切な指示により然るべき方向へと導いてあげること。
彼らは、自分で判断ができないだけで指示されたことは丁寧にこなすので、そのうえで、もしエネルギーが余っている子がいれば鍛えていく。それに尽きるのではないかというのが鍋田氏の見解です。
氏は、こうした彼ら若い世代の生き方を、「静かでやさしいもの」として、ある意味大変好感を持って受け止めています。
社会や大人、親からケアされて成長してきた子供には、ちゃんとした人間力が育まれている。それはハングリー精神のようなものとは少し形が違うけれども、足元にある日常生活をこそ大事にする落ち着いたもので、家庭や周囲の人々を大切にする穏やかで心根の優しいものだということです。
自らの思いや精神状態を俯瞰し、言語化し、系統化して人に伝えるためのトレーニングに決定的に欠けている現代の若者達は、一方で、家庭や人とのつながりを大切にする落ち着いた感性を持っている。いたずらに激しい感情に飲み込まれることなく、争いを嫌い、淡々とした日々の中に幸福を感じ取っていくことができる新しい世代だということでしょうか。
これからの日本は人口も減るし、恐らくはGDPも下がります。そうした環境の変化に合わせ、現在の若者が中年や高齢者になっていく中で、日本も静かな幸せを求める(成熟した)社会へと移行していくと私は見ていると、鍋田氏はこのインタビューを結んでいます。
時代に合った新しい規格(ニュー・タイプ)が、社会の中で育まれている。そう考える鍋田氏の現代の若者への優しい眼差しを、私もこの記事から心温かく読み取ったところです。
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