MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2367 部活動の地域移行を巡る雑感

2023年02月20日 | 教育

 少子化によって学校単位での活動の維持が困難になっていることに加え、働き過ぎと言われる教員の負担軽減などを背景に、学校における部活動の「地域移行」が本年度から段階的にスタートすることとされています。

 国の検討会議は2023年度から2025年度末をめどに、公立中学校の(まずは)休日の運動部の活動を、民間のスポーツクラブなどに委ねる方針を示しています。文部科学省では、平日は学校で顧問の指導で行っている運動部の活動を、(休日は)外部指導者の元で行うよう自治体の教育委員会に求めていくということです。

 文部科学省の方針転換をふまえ、日本教職員組合(日教組)は昨年の12月22日に記者会見を行い、「2022年学校現場の働き方改革に関する意識調査」に基づく(学校現場における)地域移行の課題を指摘しています。

 これによれば、部活動のある中学校教員2300人に(地域移行の課題を)複数回答で尋ねたところ、「指導者を確保できない」が72.5%で突出。次いで「移行のイメージや将来がわからない」(39.9%)、「指導者・施設など地域間格差がある」(36.3%)と続いていたというということです。

 この話を聞いて私などは、部活動の運営などは地域や学校の実情に沿って、それぞれ柔軟に対応できるようにすれば良いのではないか、ましてやそもそも土・日・休日まで、子どもたちに部活動をさせる必要などあるのか…と単純に思います。

 しかし、何事も(平等に)統一しなければ気が済まない文科省のこと。学校に独自性を発揮させるのはお嫌いのようで、また、現場の教員たちも、国や教育委員会の「指示待ち」が身についてしまっている観があります。

 子どもたちが本当に休日も部活をやりたがっているかどうかは別にして、一方の「運動部」の現場には、(教員の負担軽減以外にも)様々な課題が残されているようです。

 昨年12月20日のAERAdot.(『部活顧問の「暴力・暴言」に苦しんだ娘 「子どもの未来を預けられない」親が訴えを決意』)は、学校のスポーツ指導の現場にはびこる暴力や暴言、ハラスメントの存在を指摘しています。

 2012年に大阪市立高校のバスケットボール部でおきた、顧問からの暴力やパワハラに苦しむ生徒の自死。その年度の文部科学省による全国調査によれば、小中高など国公私立学校における体罰発生件数は6721件におよび、翌13年に全国高等学校体育連盟などが「暴力行為根絶宣言」を採択したということです。

 以来、体罰の文科省への報告件数は年々減少し、2020年度は485件にまで減っている。一見すると大幅な改善に映るが、その実態はどうなのか。

 日本スポーツ協会の「暴力行為等相談窓口」に寄せられた相談件数は2014年度の23件から、コロナ前の19年度は251件と、5年で10倍に増えていると記事は指摘しています。窓口の存在が知られるようになり、(子どもを人質にとられている)学校には訴え出られない声が、徐々に漏れ出してきている可能性があるというのが記事の認識です。

 思えば、「スポ根」という(日本独特の)言葉があるように、スポーツの世界において、①結果が出ないのは努力が足りないせい→②努力が足りないのは根性がないから→だから③「根性を叩きなおす」…と称して暴力やパワハラが横行するのは、日本スポーツ界の悪弊と言ってよいでしょう。

 実際、中・高学校の運動部などでは、今でも「1年生は球拾い」「下級生は声を出せ」「上級生には直立不動で挨拶」などの慣例が続いているところも多く、話を聞く限り「ここは昭和の暴走族か?」とおどろかされるばかりです。

 また、こうした状況は大学生になってもあまり変わらず、体育会系の運動部などでは先輩やコーチ、監督の言うことには絶対服従。「4年神様、1年奴隷」などという言葉も、未だに死語にはなっていないと聞きいています。

 一時は大きな話題となった日大アメフト部における暴力事件、相撲の世界での様々な「かわいがり」、プロ野球選手による賭博問題などに加え、例えば東京オリンピック開催にかかる贈収賄事件なども、(広い目で見れば)人間関係は「力が全て」と錯覚させ、(かけひきによって)「親分子分の関係」を生み出す日本スポーツ界の悪弊に起因するものではないかと感じないではありません。

 競技や競技団体という狭い世界の中での全能感。ボーイズクラブのヒエラルキーが全てと考え、弱い立場の者を虐げる日本スポーツ界の(伝統的な)子供っぽさをどうしたら変えていけるのか。

 「スポ根アニメ」などを斜に見てきた私などは、まずは(子どもが初めて競技スポーツに出会う)学校の部活動から、根本的にその在り方を見直す必要があるのではないかと感じるのですが、果たしていかがでしょうか。

 



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