近年、メディアなどで(それまであまり聞いたことがなかった)「フリーライダー(free rider)という言葉をよく耳にするようになりました。
フリーライダーは、公共財のような非排除性があるサービスについて、対価(供給に要する費用)を支払わないで便益を享受する者を指す経済用語で、日本語にわかりやすく訳せば(いわゆる)「タダ乗り」のこと。自分は何のコストもリスクも負担することなく、その他大勢の努力の成果にちゃっかりと乗っかり、メリットだけを享受する不届き者(?)を指す言葉とされています。
外国人労働者・その子女に対する(教育や福祉などの)コストは負担せず安い労働力だけを求める企業、タックスヘイブンに本社を置き課税を免れながら各国のインフラを使って利益を上げるグローバル企業などがしばしば引き合いに出されますが、もっと身近なところにもフリーライドの問題は存在しています。
福祉の制度づくりに当たっては、いかにフリーライダーを排除するかが重要な課題になりますし、NHKの受信料の不払い問題などもよく引き合いに出されます。また、米国のトランプ大統領が、日本が国土の防衛を米国に任せその余力で経済を発展させてきたことを、「フリーライド」だとして非難したのも記憶に新しいところです。
一方、地球温暖化や公害などの環境問題、交通渋滞や労働災害等の社会問題をもたらす企業を(経済の負の外部性に対して対価を負担していないため)フリーライダーに例えることがありますが、(皆が負担しているものを負担しないという定義に従えば)これらは厳密にはフリーライダーとは言えないようです。
いずれにしても、社会の合意のもとに提供された公共財を無償で利用することが許されれば、公共財はその提供に要した費用を回収できなくなります。公共政策の最大の敵がモラルハザードにあることを鑑みれば、フリーライダーを排除することが、社会を(真っ当に)動かす力となることは想像に難くありません。
さて、最近の新型コロナ感染症対策に当たっても、マスクの着用や行動制限、PCR検査などの実施に際し、(自らは協力しないにもかかわらず感染防止の恩恵にあずかる)フリーライダーの存在が世界中で課題になりました。
そして始まったワクチン接種。ワクチン接種による(免疫反応などの)身体のリスクは受け入れず、一方で集団免疫のメリットのみを享受するフリーライダーの存在を、社会はどのように受け止めていけば良いのか。
徹底したリアリストとしての言説で知られる作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、『週刊プレイボーイ』誌(7月5日発売号)のコラムに「新型コロナ・ワクチン接種のフリーライダー問題の解決法とは?」と題する一文を掲載しています。
このコラムで氏はまず、「負の外部性」について説明しています。
工場が汚れた空気や水を排出し、それを浄化する費用を払わないことを経済学では「負の外部性」と呼ぶ。「外部性」はある者(企業)の行為が他者(社会)に影響を及ぼすことで、それがよいことだと「正」、悪いことなら「負」として扱うということです。
公害が負の外部性の典型だとすると、正の外部性の好例がワクチン接種ということになる。免疫をもつ人が増えれば細菌やウイルスの感染は抑えられるので、ワクチンを打つことは自分が病気にならないだけでなく、社会全体を感染症から守ることになると氏は言います。
ところが正の外部性は、しばしば「フリーライダー(ただ乗り)」というやっかいな問題を引き起こすというのが氏の指摘するところです。
ワクチンは副反応を起こすことがあり、(ほとんどは発熱などで数日で快癒するが)まれに重篤な症状を呈することがある。このため、ワクチンを接種する人は、(きわめてわずかではあっても)それぞれリスクを負って、社会に正の外部性を提供していると氏はしています。
しかしそうなると、(大勢の中には)副反応のリスクを負わずに(ワクチンを接種せずに)正の外部性の利益だけを享受しようとする人が出てくる。これがフリーライダーで、経済学では、正の外部性があるところでは常に「ただ乗り」の誘惑が生じると考えるということです。
勿論、フリーライダーがいても、それが少数であれば最終的に感染が収まって社会が正常化するので問題は起こらない。しかし、やっかいなのは、フリーライダーの数が増えてきた時だと氏は言います。
集団免疫を獲得するためには、人口の7割のワクチン接種が必要とされる。副反応が不安だとして半分が接種を控えたとすると、集団免疫はできずに感染が広まり、ロックダウンや緊急事態宣言で飲食店などが多大な損害を被るということです。
こうした事態を避けるため(日本でも以前は)ワクチン接種は義務化されていたが、現在は強制が好まれなくなったため、ほとんどの国で新型コロナのワクチンは自由接種とされていると氏は話しています。
ワクチンの効果だって絶対ではないし、人によっては激しい副反応が生じる場合もある。それにもかかわらず個人に対して国家(権力)がワクチン接種を強制するとすれば、そこには人権上の問題が生じるということでしょう。
しかしそうなると、私たちは別の方法でフリーライダー問題を解決しなくてはならなくなると氏は指摘しています。
ここで経済学が提案するのが「インセンティブ」で、これは正の外部性を提供する者には報酬を与え、フリーライダーにペナルティを科す手法だということです。
アメリカでは多くの州や市が「ワクチン宝くじ」を発行し、中には1億円を当てた当せん者も出ている。一方、ワクチン接種証明がないとコンサートや大リーグなどの大規模イベントに参加できず、飛行機などにも乗れないことから、(これなどは)ワクチンを打たない人への一種のペナルティとして機能しているというのが氏の認識です。
さて、それでは日本ではどうなのか。わが国では、医療専門家が「すこしでも不安があれば無理して打つ必要はない」と述べ、人権派は「接種者に商品券を配るなどのインセンティブは(打たない人への)差別を助長する」と強く批判していると氏は言います。
そうした声を受け、実際、メディアは「ワクチンを打とう」という啓発活動にすら尻込みしており、接種を拡大する立場の政府や自治体も(もちろん)ワクチン接種のインセンティブの確保には及び腰となっている。しかしこの論理は、ワクチン接種を忌避する人が少数にとどまる時しか成り立たないというのが氏の指摘するところです。
こうした「リベラル」な主張は耳ざわりがいいかもしれないが、「不安だから打ちたくない」という人が半数を超えるような事態になっても同じことが言えるのか、一度はしっかり考えてみるべきだと氏はしています。
そもそも、何のためのワクチン接種なのか。ワクチンの効果を十分に発揮させるためには、社会が集団免疫の獲得できる規模まで接種が広がる必要があるのは自明です。
ワクチンの機能や効果、影響などをきちんと説明、理解させることなく、ただやみくもに接種・非接種の判断を個人に委ねるばかりが(まっとうな)リベラルのとるべき立場ではないでしょう。
もとより同調圧力の強さが日本の社会の特徴であるとすれば、露骨なインセンティブは必要ないかもしれませんが、ワクチンへの理解と信頼を高めるために、政府もメディアもさらに力を尽くすべきではないかと、私も改めて感じたところです。
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