MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1285 中国異質論

2019年01月28日 | 社会・経済


 昨年2018年の世界経済のトピックは、何といっても米トランプ大統領が引き金を引いた米中の貿易戦争の勃発と言えるでしょう。

 トランプ大統領としては、当初、単に米国の貿易赤字を解消するためのディールのひとつとして、中国からの輸入品に高率の制裁関税をかけることを思いついたに過ぎないかもしれません。

 しかし、米中間におけるその後の展開は世論の圧力を受けて大きく変質し、世界を巻き込む地政学的な(そして文明論的な)覇権闘争の幕開けとして受け取られるようになっています。

 そうした問題が顕在化したのが、10月4日に米ペンス副大統領がワシントンの保守系シンクタンクで行った演説にあることは間違いありません。

 演説が世界に衝撃とともに受け止められたのは、その内容が貿易の不公正さや知的財産の侵害の状況を厳しく非難するものだったからだというだけではありません。

 中国の政治・軍事のありかたや、監視社会化、ウイグルの人権問題に至るまで、そこに指摘された問題のひとつひとつが、中国が他の先進国といかに異なるかという「中国異質論」に染められていたからだと言うことができるでしょう。

 果たして、ペンス氏が指摘するように、中国は(これまで欧米諸国が作り上げてきた)民主主義や資本主義を脅かす、国際社会と相容れない存在なのか。

 「米中新冷戦」とよばれる昨今の欧米を中心とした先進各国の中国への視線に関し、12月13日の日経新聞(コラム「経済教室」)に神戸大学教授の梶谷 懐(かじたに・かい)氏が『「異質論」超え独自性議論を』と題する論考を寄せています。

 この論考において梶谷氏は、1978年に鄧小平体制の下で中国の改革開放政策が始まって以来40年間、米国の歴代政権は、中国の経済発展がいずれ中間層を育て「法の支配」や「民主化」を成し遂げると期待して「関与(エンゲージメント)政策」を推進してきたと説明しています。

 しかし、いよいよここに来て、米国の対中政策は「関与」から「抑止」へと180度の転換を遂げたように見えます。

 おそらくそこには、「一帯一路」と名付けられた世界規模の経済・外交圏構想を掲げ、「中国製造25」と呼ばれる産業政策などにより世界の政治・経済の主導権を握ろうという中国の野心に対する米国の諦念と反感があるのでしょう。

 梶谷氏はこうした状況に、そもそも欧米諸国には、現在欧米に存在する政治経済体制が唯一無二の普遍的なあり方だという(ある種の)信憑があると説明しています。

 そしてそれは、それ以外の体制はそこに向かって「収れん」している限りは存在を認めるが、そうではない「異質な体制」は存在してはならないという二項対立的なものだということです。

 しかし、これに対して日本では、中国は欧米型の「普遍的モデル」に収れんするのかどうかという問いが、よりソフトな(つまり二項対立的な見方を回避する)形で提起されてきたというのが梶谷氏の認識です。

 日本の研究者の間には、中国経済が制度的インフラの欠如やリスクや不安定性、そしてそこから生じる「散砂のような自由」などの、単線的な発展段階論では捉えられない「独自性」を積極的に評価しようとする立場も存在する。

 中国社会の持つ「緩さ」や「曖昧さ」を許容する伝統が、グローバル経済の変動がもたらすリスクに対して(欧米にはない)柔軟性と意外な強じんさをもたらすという捉え方も根強いということです。

 そしてもうひとつ、資本主義経済の特徴として忘れてはならないのが、(現在の中国に見られるような)権威主義的な政治体制と極めて相性がよい点にあるというのがこの論考における梶谷氏の認識です。

 その一例として挙げられているのは、短期的かつ不安定な取引関係をベースにした経済活動が、政治権力から独立した労働組合や業界団体などの中間団体の形成を妨げていること。

 中国におけるこのような団体の不在は、市場経済への零細業者の旺盛な参入などある種の「自由さ」をもたらすと同時に、市場への政治介入を跳ね返すだけの「自治」の弱さと裏返しになっているということです。

 一方、中国には、短期的な取引について回る「囚人のジレンマ」的な相互不信の状況を、(法と裁判制度で規制するのではなく)有力な「仲介者」が間に入ることで解消するという伝統的な商慣習があると氏は指摘しています。

 伝統的な中国社会では、高い信頼と独自の情報ネットワークを持つ有力な「仲介者」が、公権力との間に常に深い関係を維持し経済秩序を支えてきた。法制度に頼らなくても、仲介によって取引に伴うトラブルが回避される手法が高度に発達してきたということです。

 しかし、このことは逆に、社会における法制度への信頼度が低いままとどまり、「法の支配」がなかなか確立されないことと表裏一体と考えられるというのが梶谷氏の指摘するところです。

 総じて言えば、権力が定めたルールの「裏をかく」ようにして生じてきた極めて分散的かつ自由闊達な民間経済の活動と、法の支配が及ばない権威主義的な政治体制が微妙なバランスの上に共存しているのが現在の中国の政治経済体制だと氏は説明しています。そして、(氏によれば)この両者の組み合わせは今後も簡単には揺らがないだろうということです。

 欧米的な「法」と「契約」を基盤とした視点からはなかなか理解できない「情報」と「信頼」に基づく中国経済の秩序を、国際社会は(単純に)「異質」なものとして切り捨てていくことが可能なのか。

 米国の二項対立的な中国論に追随するのでもなく、(かと言って)権威主義的な中国の現政権に同調するのでもなく、(日本が中心となって)世界貿易機関(WTO)や東アジア地域包括的経済連携(RCEP)などの多国間の枠組みを通じ経済的な相互利益を追求していく道を探るべきだとする梶谷氏の指摘を、私も大変興味深く受け止めたところです。




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