ひとりを楽しむ

がん、脳梗塞を経験したバツイチ。
残りの人生ひとりを楽しみたいと思っている
おばさんの記録です。

泣きました

2016年11月07日 | 身辺雑記
今年はいろいろツライことが多かった。
と、いうより楽しいことがなかった。
そして、ここ数ヶ月は特に、親がボケてきたり、お金のことを言ってきたり、
親戚にも嫌なことを聞かされた。
仕事も自分の思い通りにならず、
人間関係もなんかしんどかった。
そんなことをいろいろ考えていたら泣けてきた。
家で大泣きに泣いた。
声がわんわん出た。

6年前、がんを宣告されたときも、
1軒目の病院で、抗がん剤治療を半年やる、
毎月3万円はかかるし、副作用で仕事はできないだろうと
言われたとき、
追い詰められた気持ちになり、
家で大泣きに泣いた。
あのときはとにかく生きたい、まだ仕事がしたいと
思ったのだった。

今回も仕事がしたい、なんで私は世の中に必要とされていないのだろう‥、
そしてなんで親のことでこんなにツライ気持ちにならないと
いけないのだろうと考えた。

最近、子どもの貧困について思うことが多い。
正直私も子どもの頃から家が貧乏なことはなんとなくわかっていた。
母がいつもお金がないと言っていた人だったから。
大学に進学したいと言ったとき、母と大ゲンカになった。
あれから何十年経った今でも、そのことは大きな後悔となっている。
奨学金を借りてでも大学に行くべきだった。
私が母を許せないと思っているのは、
お金がないから進学させられない、だから奨学金でも借りて行ってほしいと
言われたら納得できたかもしれないけど、
頭ごなしに女の子が四大など行っても就職できない。
絶対行かせないと言われたことだった。

子どもの頃からなんでも頭ごなしに言う母が怖かった。
小学生の頃は誕生日会が流行っていて、
招待されても母から行くなと言われ絶対行かせてもらえなかった。
それは行ったらこちらも呼ばないといけないから。
母には娘のために友達を招いてごちそうを作るという
考えはなかった。
料理が下手くそだったからだと思う。

過去はどんなに考えても変えられない。
それはわかっている。
けど、今になって、母が機嫌を取るような態度で接してくることが
すごくいやだ。
そして、自分が若い頃言った都合の悪いことはすべて忘れているふりをして
いることが許せない。

娘のために何がいいのかということを考えてくれた
両親だとは思えなくなってきた。

私の友人だった人は中学から短大まで私立の女子校だった。
親が教育不熱心で無理やり入れられたと言っていた。
マンションを買えと言われ、自分は賃貸がいいのに、
無理に買わされたと嘆いていた(親も少しは負担してくれたらしい)。
これなども私から見れば贅沢過ぎるほどの話だ。

別に貧乏が悪いとは思わない。
けど、貧乏だったら子どもをもっと尊重して、
子どもの好きにさせてくれるような親がよかった。
いつも、あれをするな、これをするなという両親は
ちっともかっこいいと思わない。

こんなくだらないことを考えていたら
泣けてくる。
今週、実家に帰らなければならないのも憂鬱だ。

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