モデリオンのモデのブログ

モデの独り言(寝言・妄想とか)。更新するときはドドッと。しないときはまったくしませんがよろしく。

ひとのいのちはつきるとも

2022年12月13日 | Weblog
訃報に触れて


ひとのいのちはつきるとも
不滅の力 
マジンガーZ
(Zのテーマより)

その昔とある番組(アニパラ音楽館だったような)のインタビューで

余命少ないファンの方との思い出の曲として
『Zのテーマ』のエピソードを話していました。
そのエピソードをふと思い出した。


我らがアニキ・水木一郎さんが亡くなられました。


https://news.yahoo.co.jp/articles/2c2350f3641a639d9dcb403f39e38f9d25f41c4c

世代的には
時空戦士スピルバン
プロゴルファー猿
ゲッターロボ號
などを聞いて育ちました。

後年になってスピルバンにも顔出し(主人公スピルバンの父役)していたのには驚きました。

さらに大人になってもアニキの歌を聞いてました。

スパロボから入って名曲はもちろんですが
『STORM』(真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ)
『道』(ゲキレンジャー)
『オーブの祈り』(ウルトラマンオーブ)
『時空戦士スピルバン』
『夢を勝ち取ろう』(プロゴルファー猿)
『グレートマジンガー』
『仮面ライダーX』
『男はひとり道を行く』(怪傑ズバット) 
は好きな曲です。

聴いているとその時の思い出が甦ります。(昔の番組はCSとかで観たり)
40年間どこかしらで水木一郎さんの歌うアニソン・特ソン共に歩んできたんだと気づきました。


フリーターのころ友達と行ったJAMprojectのライブにゲスト(当時はすでに常駐メンバーではなかった)で来て、『STORM』にしびれ、
地元山梨に堀江美都子さん、影山ヒロノブさんのBIG3で来てそこでも『STORM』を披露して歓喜しました。



ありがとうアニキ!
アニキの魂の歌声は不滅だゼェーット!

合掌。

ずっと冒険少年少女

2022年12月02日 | Weblog
その昔周りがスーパーファミコンを手にしているも、
一周遅れてファミコンを触り始めていたモデです。

そんなモデ少年がスーパーファミコンの憧れを焦がしながら観ていたテレビ番組
『スーパーマリオクラブ』の司会を務めていた渡辺徹さんが亡くなられました。
https://news.goo.ne.jp/article/dailysports/entertainment/20221202088.html

当時テレビ東京ではゲーム情報番組がよくやっていました。
カルチャーブレーンのゲーム紹介が多いライオネス飛鳥さんと江戸家子猫さんの番組
Pcエンジン系が多いそのまんま東さんの番組
千葉繁さんと田中真弓さんの掛け合いとVジャンプの番組
深夜にラッキー池田さん司会の番組

そんな中長く続いたのがスーパーマリオクラブ(途中でタイトルをリニューアルはしていたけど)
ポケモン一色になる手前ぐらいまでは観ていたんですが。


一番好きだったのは番組後半に腕自慢の子供が対戦するコーナー。
何周か勝ち抜くとスーパーファミコン貰える(はず?)
そりゃモデ少年も出たいなーなんて思ってましたが
『ドクターマリオ』が対戦ゲームとして選ばれていて。
ファミコンソフトだけど当時持っていないし。


しかしそんなモデ少年に希望が!

持っていたファミコンソフト『ヨッシーのたまご』が対戦ゲームに変更されたのです。

テレビで見ていて
『あれ、俺の方が上手くねぇ?』と思ってました。

そう、当時ファミコンソフトはあまり所持しておらず。
ひたすらやり込んでいた為、少年時代対戦はほぼ負けたことなかったです。

そんな無敵な自分(身内で)


出たい!

そう思って親に相談しようと思っていましたが、
『ゲームをやると目が悪くなる』という迷信(?)を信じていた親に相談できるはずもなく。

そのまま言い出せないまま対戦ゲームが『ヨッシーのクッキー』になってしまい

『俺、持ってないじゃん・・・・』

と1人で落胆して終わったのは良い思い出です。



少年時代楽しい時間を提供してくれたスーパーマリオクラブ。
番組内で披露した『顔に糸が着いていて引っ張ると頬が上がる』芸は子供のとき練習しました。


渡辺徹さんのご冥福をお祈りします。