モジリア

74歳のブロガー。ギネスを目指す!(^^)!
おじさんが読む「赤毛のアン」

観察する?看察する?

2012年09月17日 | 折り紙切り紙

12・9・17 

折り紙切り紙500日

 

観察する、看察する

切り紙と天風師の誦句集を書き写すことを毎日続けている。

 

誦句集を書き写していると普段使わない言葉に度々出会う。

普段使う言葉でも字が違う。

例えば通常観察、と書くところを看察とある。

観察する、ではなく、敢えて看察の字を使ったところに

天風師の思いが込めれれているような気がする。

 

観察を辞書で調べると、

事物の現象を自然の状態のまま客観的に見ること。

看察を辞書で調べてもない。

もしかすると天風師の造語かも知れない。

 

観と看と察を個別に辞書で調べた。

観はぐるっと見回す、念を入れてみる。

 

看は目の上に手をかざして遠くをみる。

ぐるっと遠くを見渡す。

 

観はそのものだけを念入りに見る。

看はあたりの様子を含めてそのものの存在をみる、と云える。

察は明らかにする、よく見る、調べてみる。

一念不動の誦句から

看察が使われた部分を引用すると

「丁度 客観的に看察するが如くに……」

自分の思い、連想を客観的に看察せよ、と仰っている。

 

落描き絵地図も身の回りにあるチラシ、新聞紙を使って…

私にとっては両方とも今迄に無い視点で街の様子を見る、

チラシ広告、新聞を切り紙の紙とみる視点、

脳のメカニズムに変化を及ぼし、

変化に対応しようと、

脳のメカニズムを始めとして生命活動が活性化する。