12・9・17
折り紙切り紙500日
観察する、看察する
切り紙と天風師の誦句集を書き写すことを毎日続けている。
誦句集を書き写していると普段使わない言葉に度々出会う。
普段使う言葉でも字が違う。
例えば通常観察、と書くところを看察とある。
観察する、ではなく、敢えて看察の字を使ったところに
天風師の思いが込めれれているような気がする。
観察を辞書で調べると、
事物の現象を自然の状態のまま客観的に見ること。
看察を辞書で調べてもない。
もしかすると天風師の造語かも知れない。
観と看と察を個別に辞書で調べた。
観はぐるっと見回す、念を入れてみる。
看は目の上に手をかざして遠くをみる。
ぐるっと遠くを見渡す。
観はそのものだけを念入りに見る。
看はあたりの様子を含めてそのものの存在をみる、と云える。
察は明らかにする、よく見る、調べてみる。
一念不動の誦句から
看察が使われた部分を引用すると
「丁度 客観的に看察するが如くに……」
自分の思い、連想を客観的に看察せよ、と仰っている。
落描き絵地図も身の回りにあるチラシ、新聞紙を使って…
私にとっては両方とも今迄に無い視点で街の様子を見る、
チラシ広告、新聞を切り紙の紙とみる視点、
脳のメカニズムに変化を及ぼし、
変化に対応しようと、
脳のメカニズムを始めとして生命活動が活性化する。