12・9・24
避けて通れない苦難
冠婚葬祭から様々な年中行事、生活行事まで
関わり合いが深い神社だが
「信仰」という言葉が相応しくない。
近くの八幡神社も氏子はいる。行事として礼拝はするが
宗教的な信仰心とは程遠いように思われる。
絵馬にはそれぞれ願い事が書かれているが、
大方は真剣に絵馬に願いを託しているようにも思えない。
○○大学に合格しますように!など
絵馬があるから序でに書いたように思われてならない。
「息子が執行猶予を頂けますように、母」の絵馬があった。
上手とは言えない、だがかなり丁寧な字で書いてある。
刑事事件を犯したのであろう息子がせめて
執行猶予付きの刑罰を願っている。
母親の切ない思いが絵馬に託されているようで胸にじ~んと響いた。
「○○ちゃん!お父さんも、お母さんもどうやら生きているよ!」
亡くなった子どもへ呼びかけているのだろう絵馬。
特定の宗教に信仰を持たない人々にとって
神社はその人なりに神を感じられる場所らしい。
多くは年中行事や生活行事として関わっているが
人生には避けて通れない苦難が誰でも1度や2度はある。
神社で一対一で神に関われる、
自分の裁量でどのようにでも神に関われる。
包容力があると云えば云える。
そうとういい加減、と云えばいい加減とも云える。
特定の宗教を信仰している人は別にして、私もその一人だが
特定の宗教はなくても神社へ行けばお賽銭を投げいれて、
二礼二拍手する。
そのつど願い事があるわけではないが、
崇め奉りたい気持ちにはなる。
困った時の神頼み・・・
神様に頼んで神様に任せよう。