朝のうちに雨も上がって、富士山が頭だけ見えとるのう。
富士山と言えば、昨日唐突に出てきた富士講じゃけど、わし自身ようわかっとらんけん。
簡単に言うと、富士山そのものをご神体とする信仰かのうというのが、わしの認識じゃけん。
具体的に何やっとるかわからんけど、修行のひとつで登山をやる訳じゃけん。
富士山の信仰と言えば、コノハナサクヤ姫を奉る富士浅間神社が知られとるけどのう、この富士講は江戸の世に流行したそうじゃけん。
東京の各地に残る富士塚は、富士山に登るのと同じご利益があるそうじゃけん。
これらが江戸中期以降に作られたのなら、富士講の流行は比較的新しいという事になるけん。
とは言っても、それ以前から信仰の対象だった事は間違いないけん。
みんなもよう知っとる「竹取物語」の最後は、帝が不老不死の薬を富士山の頂上で焼いて、その煙が今も立ち上っとるというのじゃけん。
富士山も中世までは、度々噴火を繰り返しとった活動的な火山じゃけん。
富士山に限らんでも、昔から山という山には朝廷が位をつけとったけん。
富士山のような特別大きく存在感のある山なら、元々高い位がついとったはずじゃけん。
大きな噴火があると、位を上げて鎮めたそうじゃけん。
こんな山そのものを神として信仰するんは、自然への畏怖と畏敬のあらわれじゃけん。
それがあれば、神域を冒すようなマネはせんけん。
遠回しな理屈になったけどのう、わしが思う日本人の気質にあったエコツアーとは、こういう事ですけん。
エコツアー問題で、ちょっと疲れたけん。
明日は「いぬちくしょう」でも書いてラクするけん。
富士山と言えば、昨日唐突に出てきた富士講じゃけど、わし自身ようわかっとらんけん。
簡単に言うと、富士山そのものをご神体とする信仰かのうというのが、わしの認識じゃけん。
具体的に何やっとるかわからんけど、修行のひとつで登山をやる訳じゃけん。
富士山の信仰と言えば、コノハナサクヤ姫を奉る富士浅間神社が知られとるけどのう、この富士講は江戸の世に流行したそうじゃけん。
東京の各地に残る富士塚は、富士山に登るのと同じご利益があるそうじゃけん。
これらが江戸中期以降に作られたのなら、富士講の流行は比較的新しいという事になるけん。
とは言っても、それ以前から信仰の対象だった事は間違いないけん。
みんなもよう知っとる「竹取物語」の最後は、帝が不老不死の薬を富士山の頂上で焼いて、その煙が今も立ち上っとるというのじゃけん。
富士山も中世までは、度々噴火を繰り返しとった活動的な火山じゃけん。
富士山に限らんでも、昔から山という山には朝廷が位をつけとったけん。
富士山のような特別大きく存在感のある山なら、元々高い位がついとったはずじゃけん。
大きな噴火があると、位を上げて鎮めたそうじゃけん。
こんな山そのものを神として信仰するんは、自然への畏怖と畏敬のあらわれじゃけん。
それがあれば、神域を冒すようなマネはせんけん。
遠回しな理屈になったけどのう、わしが思う日本人の気質にあったエコツアーとは、こういう事ですけん。
エコツアー問題で、ちょっと疲れたけん。
明日は「いぬちくしょう」でも書いてラクするけん。