毛津有人の世界

毛津有人です。日々雑感、詩、小説、絵画など始めたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

マラッカの騒音

2025-02-14 06:47:07 | マラッカ紀行

今日は中国暦で大晦日に当たり終日花火が炸裂し、その喧騒なこと言語を絶する。ほとんど一週間も前から花火は続いてい、夜どうし打ち上げる人間もあり、夜中の静寂も何もあったものではない。僕は昼間うるさいので夜中に集中して勉強するのだが、時に耳元で炸裂する轟音に驚き、ペンがあらぬ方向に走ったりすることがある。

 彼らは住宅街の真ん中でも平気で花火を楽しむ。時々非常に不愉快になり、「この野蛮人どもめ」と心の中で叫ぶのだが、周囲の住人は一向気にかけない。夜中の花火は法律で禁じられているにもかかわらず、誰一人苦情を述べるものはない。日本でなら腹に据えかねた短気な男が包丁を持ち出し刃傷沙汰にもなりかねないすさまじさなのだが、国が変われば人心もかく異なるものか。こちらは騒音に対し実に寛容である。

 つい先だっても2ヶ月前にイスラム暦の新年があり夜通しの花火に腹を立てていたのだが、ともかくもこの国では、静寂を尊ぶという観念が微塵も存在しないようだ。今のアパートの階下には二軒もバイクショップがあり、日中けたたましいエンジン音を発てているのが、これもやはりほかの住人は無関心のようである。

 夜中に若者がたむろするのはどこの国も同じだが、これがまた日中と変わらない大声で話し、車のエンジン音もさることながらカーステレオの音量を落とさないのだからたまらない。一日中机に向かって勉強している人間など、マラッカ中探しても自分以外に見つかるまいと思える国情だから、これでもやってゆけるのだろう。

 騒音に無関心なことはこちらのテレビ受像機にイヤホンの差込口がないことでもわかる。どの家でも夜遅くまで大きな音を外部に撒き散らして平気で暮らしている。何百Wという出力のあるスピーカを通してビデオやカラオケを楽しんでいる家もある。まるで暴走族の車のように家全体が巨大なスピーカと化すのだが、それで本人たちも周囲も平気な様子をしている。これはきっとイスラム教の悪影響ではないかと思えるほどだ。例によって早朝から日暮れまで一日5回も聞かされる彼らの祈りは、自分のような人間には暴走族のエンジン音とさしたる違いがない。以前はゲストハウスに住んでい、その地域には住宅がなかったので割合に静かだったのだが、今度住民に混じって生活してみるとこの騒ぎである。繁華街よりも住宅街のほうがうるさいなんて日本人にとっては想像外のことだろう。日本からはるばる勉強をするためにやってきた人間としてはこの点が最も困るところである。


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