ここでの僕の一日は、穏やかな自然の目覚めによって始まる。目覚まし時計の世話にならず、自発的にベットを離れられるのがうれしい。最も時刻はたいてい昼下がりになるのだが、、、そうしてバルコニーの向こうに展開する、眩しいような青空と緑いっぱいの大きな公園に、僕は朝の挨拶をするのである。このとき、海峡から吹き寄せる涼風に全身を愛撫されながら味わう、一杯のコーヒーと煙草の味は格別で、僕はほとんど自分の出身を忘れ、王侯貴族の生まれでもあったかのような錯覚に陥るのである。
午後の2時を過ぎると、公園の中にある市民プールへ泳ぎに行く。たっぷり1時間半水と戯れるのだが、その泳ぎ方が変わっている。初めの一ヶ月は50メートルの往復を繰り返していたのだけど、最近ではターンをするのが煩わしく、ターンをまったくしないで、丁度水槽の中の魚のように、プールサイドに沿ってくるくると回るような泳ぎ方をしている。日によっては1時間半泳ぎっぱなしでいることがあり、こんなことが出来るのも、プールが空いているからで、先ず過密社会日本では体験できない贅沢な時間だ。この時間帯はほとんど自分ひとりの貸切となるのだが、時には美しいブロンドの娘たちが水遊びをしていることがある。その彼女たちの美しい肢体を水中で眺めながら水を切るのは、まさに絶妙である。
人は自分の泳ぎっぷりに感心し、「まったく魚みたいですね」といってくれるが、魚になった気分というよりは、規則正しい息継ぎのリズムが、自分を瞑想の世界に導いてくれるというのが実感である。この毎日の水泳は、「豚みたいなお腹の人とは歩きたくないと、実の娘に罵られた自分の体型を見事に変えてしまった。たった2ヶ月余りではあるが、今の自分の体はきりりとひき締まり、いい男になっている。
さて瞑想と肉体研磨を果たした後は、楽しい楽しい町の散歩ということになる。ポルトガル、オランダ、イギリス等に統治された歴史を持つここの街並みは、どこをどう歩いても、ただただ歩いているというだけで心が弾む。時折立ち止まり、木陰でゆったりと四足を伸ばしてくつろぐ猫たちの姿に見とれる。彼らの優雅さといったらなく、あたかも今の自分の姿を鏡に映すが如しである。
この毎日の散歩をいっそう有意義にしてくれるのが気の向くままに立ち寄るレストランや屋台の味覚だ。マレー、インド、中国、タイ、インドネシア、ポルトガル、何でもござれで価格は驚くほど安い。散歩から帰ると六時、同宿の旅人たちはこの時刻からビデオ鑑賞や談笑に興じる。が、自分は部屋で原稿書きだ。三時間ほどするとChong がやってきてプールバーに誘い出してくれる。しばし遊興の世界に浸る。帰宅後はシャワーを浴び、お気に入りの文庫本を持ってベットに入る。これがこの一週間に確立した生活スタイルである。そして自分はこれからの二年間、この土地に滞在し、誰からも煩わされず読書と執筆三昧の生活を送ろうというのだ。これに勝る喜びが他にあるだろうか。大企業や官庁に働くエリートたちは死ぬまでこういう贅沢な生活をもてまい。哀れなるかな、である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます