何か少しハードな事をやると次の日は、疲れて何も出来ないと言う状態になる。
これは今日の夕食だ。
これは年のせいだろう。
朝は8時近くに起きた。
外は快晴の天気だが何処かに出かけると言う気持ちにはなれない。
起きて頭をバリカンで刈って丸坊主にする。
退職して以来一貫して坊主スタイルになってしまった。
旅の際も頭を洗うのが簡単で良い。
元々が天然パーマだから伸びたらひどい状況になる。
昨日採ったフキの処理をする。
塩をふって板もみをする。
その後一煮だちさせてから冷水に入れて皮剥きをする。
油揚を買ってきてフキと一緒に煮付ける。
これは今日の夕食だ。
昨日の汗をかいた衣類も洗濯する。
これで午前中も終わり、午後からBBQコーナーの目隠しをする。
道路からコーナー部を通して中が見えるので塞ぎたい。
廃材を探したらガラスが有った。
少し大きいがまあ良いだろう。
これで外から見えなくなる。
昨日箱館戦争のガイドをしたが、途中で思い出の地があり、寄らせて貰った。
もう10年以上にはなるだろう。
箱館戦争で土方歳三が進行した道250kmを歩いて踏破していた。
吉岡に来たときメモリアルパークと言うのがあってそこで休んでいた。
下の否には金子鴎亭の書が書かれている。
黒い石なので文字が読みにくい。
青函トンネルの記念モニュメントもある。
休んでいた時に犬連れの女性が来た。
犬も可愛いし遊んでいた。
その後、女性も帰って、今日の宿を探して歩いていたらゲートボール場があった。
もう使って居ないようで、ここにテントを張ろうと決めた。
高台なので下から見えない好位置だ。
テントを張り終えてバッグが無いのに気がついた。
犬と遊んだ時、バッグを外していたがそのまま忘れて移動したのだった。
メモリアルパークに戻ったがバッグは無かった。
仕方がないので歩いて国道にある吉岡交番派出所に行った。
恐る恐る入って若いお巡りさんに話したら、バッグが届いていた。
お巡りさんが届けた人に連絡したら来てくれた。
届けてくれたのは男性が漁師でまだ20代くらい。
勿論彼女も若い。
経緯を聞いたら、公園に有ったバッグを見つけて直ぐに後を追ったが捕まらなくて、交番に届けたそうだ。
丁度私がゲートボール場に上がっていて見つけられ無かったたようだ。
お礼をしたいのと名前を聞きたかったが、お礼も要らないし名前を名乗ってくれなかった。
お巡りさんは本人を知っているようだが、本人がそう言うのだから良いでしょうとなった。
お礼を言ったら、彼女と一緒に爽やかに帰って行った。
そこのお巡りさんが土方歳三ファンでその後、暫く話をした。
最後に泊まる場所まで送っていくよと言ってくれたが、ゲートボール場とは言えずお断りした。
お巡りさんも野宿だと察したようだ。
勿論その後の旅は順調で無事江差に着いた。
そんな過去が甦った。
ゲートボール場は草が生え行くことも出来なくなっていた。
良い思い出が甦った。
今日の新聞で毛無山から下山中の78歳の女性が滑落して、最初は意識が有ったものの、救急車で運ばれている途中に意識が失くなり死亡したとの記事があった。
昨日の箱館戦争ガイドの帰り道に、消防車やパトカーが7から8台居て
ストレッチャーも出ていたので毛無山で遭難だと思っていた。
どうやら滑落したらしい。
恐らく檜沢滝の滝周辺で滑落したのだろう。
下りはかなり危険で、登りには使うが下りは安全な迂回ルートを行くのが一般的だが。
10人のパーティで一番後部を歩いていたようだ。
知り合いの山岳グループに連絡しても何処のグループか
分からない。