変な夢を見た。
自分はどこかの学校にいて、授業開始3分前に急に本を借りに出かける。
図書館で本を探すのだが、なかなか見つからず、気づけば5分遅刻。
そのままダラダラと居続け、いつの間にか授業開始から30分も経ってしまった。
それでも図書館のおじさんは、なぜか「いいね、君」みたいな顔をしている。
やばいな~と思っていると、今度は出身高校のグラウンドに。
山の中にある高校で、一番低い位置にあるグラウンドから一番高い位置にある校舎までは、歩いて15分ぐらいかかる。
授業に行っても、残り時間があまりないので、行こうかどうか逡巡するのだが、結局最短ルートを走って行くことに。
坂を登り終えると、なぜか高校にはなかったエレベーターがあり、それを待っていると、アフリカかどこかのサッカー選手がぞろぞろとやってきた。
エレベーターの中で軽く談笑し、案外自分も喋れるじゃないかと思いながら、同じ階で降りたのだが、しばらくしてから逃げるように、どこかの入口に飛び込んだ。
中に入ると、そこは大きなドーム型のサッカー場で、アルゼンチンとどこかの国が試合をしている。
席はスタンド最上階のガラス張りの特等席だったのだが、なぜか椅子は普通席の横並びのものと同じ。
スタンドは大勢の観客で賑わっていたが、その部屋の人影はまばらで、とても静かだ。
部屋の中を見渡すと、その場所には似つかわしくない綺麗な婦人が座っている。
じっと見ていると、目が合って、にっこりと微笑みかけてくれた。
嬉しくなって、近くまで行って話しかけようとすると、彼女はいつの間にか消えていた。
この後、夜の街に繰り出して酒を飲む、みたいなくだりがあったような気もするが、あまりはっきりと覚えていない。
「夢」についてあまり詳しいことは知らないが、少なくとも自分自身が作り出しているストーリーであることは間違いない。
そしてそれが自分の欲望とか後悔とか、その他色んな感情に基づいているのも、おそらく。
たいていは夢を見てもすぐ忘れてしまうのだが、時々こうやって記憶に残すことがあって、その後じっくり考えるのが結構面白い。
登場人物とか場所とか、その時の行動とか感情とかが、自分が本当に生きている世界と微妙にシンクロしてくる。
今回も全てではないが、「あ、これは多分こういう経緯で出てきているんだな」と思いあたる節がたくさんあった。
あの時考えたこと、その時の景色、食べたもの、聞いた話etc…
そうやって一つ一つ細部を見ていく前に、そもそも何でこういうストーリーになったのかという、一歩引いた視点で考えてみるのも面白い。
その時の自分の状態というか生き方みたいなものが反映されているからだ。
今回のストーリーで言うと、「居場所がなかなか定まらず、ふらふらしている」という点が象徴的だと思う。
クラスから離れ、図書館に落ち着いたかと思えば、やっぱり戻らないと、と思いダッシュする。外人と話し、でもそれが少し煩わしくなって、逃げる。婦人と仲良くなれそうだと思ったら、今度は逃げられる。
ここじゃない、ここじゃないんだと思いながら、色んなコミュニティーと付きつ離れつやっていて、ようやく落ち着けそうな場所を見つけたと思ったら、その人にはもう居場所があった。
言い換えるとそんな感じだ。ドキッとする。
なんでこんな夢になったのかなーと朝から考えていたのだが、昨日の夜すすきのをフラフラ歩いた挙句、結局どこにも入らずに帰ったのが、原因の一つだと思う。
一人で静かに一杯と思っていたのだが、あまりにも店がありすぎて、人が思った以上に多くて、何だか疲れてしまったようだ。
今日からニューヨークに行くのに、全く何も考えていないのも原因かもしれない。
あえて新たな環境に行くのは、やっぱりちょっと尻込みする。
後は昨日、椎名誠の “世界は「使われなかった人生」であふれている” という本を買ったのも影響しているのかも。読んでないけど。
いずれにせよ、旅そのものが「居場所が定まらず、ふらふらしている」状態であり、メタファーになっているんじゃないだろうか。
自分でも何を書いているのか分からなくなってきたので、ここら辺で(笑)
冬の北海道縦断は無事終了です。
また、ニューヨークで会いましょう。
Q.E.D.
最終日は近くもなんともない余市のウイスキー工場へ。
結局5日で室蘭→襟裳→帯広→知床→然別→余市→室蘭と移動し、1500km走った。
天気と除雪車とスタッドレスタイヤに感謝。
普段あまり飲まないけど、北海道に来てウイスキーにはまってしまった