夏、「戦争」が話題になるたび、私は30年前に亡くなった父親のことを思い出す。
大正15年生まれの彼は、10代で先の大戦時「志願」して軍隊に入った(らしい)。
3人兄弟の末弟だったが、次兄はおそらく将校として、長兄は軍医として、やはり「戦争に行って」いる。
次兄はおそらく戦地で「終戦」を迎え、自殺して「だれのものかもわからない」僅かの遺骨となって帰ってきたという。
その知らせをそれぞれの場所で聞いた兄と弟は「先を越された。自分も同じことを考えていた」と。
けれど2人とも、「同じ知らせを受けたはずの母親のことが心配で、とりあえず一度帰ろう」
故郷では「まだ若かった母親の髪は真白で、兄貴も俺も目を疑った」と、後に父からは何度も聞いた。
当時中高生だった私や姉に、父はよく戦争の話をした。
「戦争後の自分の人生は余生だ」と、ほとんど口癖のように言っていた時期もある。
思春期の娘たちに、なぜそんな話を「日常的に」したのか…
当時の私たちは、意味もよくわからないまま、父の言葉をそのまま吸収した。話だけでなく、戦争関係の本も身近に多かった。姉も私もそれらを当たり前のように読んで育った…と思う。
父は明るくオープンな性格の人に見えた。話好きでもあったので、ただ単に過去の「四方山話」のつもりで、口から自然に出ただけなのかもしれない。
戦争を知らない娘たちへの、教育的な意味もあったのだろう。「戦争を知らない」ことを危ぶむ気持ちが、とても強かったのかもしれない。
それでも私は、戦争の話をするときの父の目の真剣さが怖かった。そういう話をいやだと思ってはいけないと思い込んでいたので、「こういうの、嫌だ」とはっきり認められない気持ちが、心の底にたまっていくことに気づかなかった。
大人になってから、父と同じく映画好きだった私は、戦争を背景にした作品を観るたび、目を閉じ耳を塞ぎたくなるのを我慢しながら、じっとスクリーンを見つめるようになる。
気分が悪くなることもあった。でも見続けなければいけないような気がした。
「これは(私のような者でも)知っていなければいけないことなのだ」
戦争体験なんて全くないのに、どうしてPTSDのようなコトが起きるのか、長年、不思議に思うこともなかった。今となると…曰く言い難い気持ちになるけれど。
最近、『帰還兵はなぜ自殺するのか』(著者:デイヴィッド・フィンケル アメリカ 2013発行)というノンフィクションを読んだ。
本の内容の説明をネットから引用すると…
「イラクとアフガニスタンに派遣された米兵は200万人。そのうち50万人が帰還後も心の病を抱えているという。目の前で仲間を失い、敵を殺すという生々しい戦闘経験が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症させる例が後を絶たない。悪夢、アルコール依存、鬱病。そして毎年約250人の帰還兵が自殺している。ベテランの米紙記者が米国内に持ち込まれた戦争の「見えない傷」を5人の兵士とその家族の物語で描き出した」
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO86144440V20C15A4MZC001/
戦闘体験後のPTSDは、今では「誰にでも起きる」とされている。戦場に居合わせなくても、様々な場合に起き得ることとして、認められているという。
けれど実際は、「自分が弱いから耐えられなかった」「自分のミスで仲間を死なせた」等々、本人は罪悪感に苛まれ、そのこと自体を「不名誉なこと」と捉えていると、本は語っていた。
今でもそうなのだ。本人や家族を支援する制度があっても、質量ともに不十分で、家族は「戦争に行く前の彼と、帰ってきた彼とは別人」と知り、本人共々苦しむことになるのだと。
まして、70年以上も昔は、どう思われていたか。
「戦争体験は人間に深い疵を負わせる」ということを、感じていても、認めてはいけない。口にしてもいけない。みんな知ってるのに「それはないこと」にされている…
そんな時代に私の父は育った。
実際の戦地に彼が行ったのか、戦闘を体験したかどうかさえ、私は知らない。
ただ、生真面目で、「精神が肉体に負ける」なんて「許せない!」と思い込んでいたような所が彼にはあった。
精神的な弱さを絶対に認めたくない人だったと思う。
だからこそ、あれほど快活闊達に、戦争の話をしたのかもしれない。たとえ眼の光がそれを裏切っていたとしても。
今回、本を読んでから、私は長い間気持ちの整理がつかなかった。
それでも、今こうして書いてみて思うこと。
「お父ちゃんは普通の人だったんだよ。だから軍隊体験は傷になったし、『もう陛下のお役に立つことはなくなった』なんて理由で、兄弟3人とも自殺を考えたりしたんだ」
以前、イラク(現在は戦闘状態にないと認められている?地域)への派遣から戻った自衛隊の人たちにも、自殺された方は多数いると初めて知ったとき…
戦闘地域じゃなくても、さまざまな体験、緊張、苦痛から、人は精神的なダメージを被るんだという当たり前のことに気づかされ、私は自分の不明を恥じた。
でも、それは驚きでもあった。そういうことを認めない?父の影響は、それくらい長く私に染みついていたのだ。
周り中が「戦争遂行に耐えている」時、空襲にも合ってない、戦場にもまだ行ってない?先天的な強度近視のかつての虚弱児(父のこと)は、「辛い」なんて絶対に言えなかったと思う。
「でもね、そこまで思いつめなくても良かったんじゃないかなあ」
そこまで優等生の「陛下の赤子」じゃなくても… そう思いかけて、分かりの悪い私もようやく気がついた。
それこそ「戦時教育」「洗脳」ってものだったんだ。
真面目で純粋な人であるほど、アタマがいい優等生であるほど、その教育、その思想に「きれいに染まった」んだと。
父の死後30年も、こんなことを考え続けた(ということになる)私も、父親譲りの所がある娘だったのかもしれない。
父が生きている間に、こんな話をする機会はなかった。私は父の影響、その存在から、ずっと必死で逃げたのだから。
それでも… この本を父に見せたかった。そのときなら、同じ地平に立って「戦争の話」が出来たんじゃないかと思うから。
「戦争だけは、しちゃだめだ」
父はあの真剣な目で、きっとそう言ったと思う。そして、それまでは触れようとしなかったことについても、語ってくれる気になったかもしれない。
(2022年7月9日 父30回目の命日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます