眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『ラビング 愛という名前のふたり』

2018-04-03 16:15:49 | 映画・本

ちょっとだけ長くなった「ひとこと感想」その7。

『MUD マッド』の監督さん(ジェフ・ニコルズ)と聞いて、楽しみに観にいった。(『たかが世界の終わり』と同時上映されたけれど、予想通り、観た直後はこちらの方がずっと好きだった)

「アメリカで初めて、黒人と白人の結婚が正式に認められたときの話」としか知らなかったので、50年代末になっても、まだそういう結婚が違法として訴追される州があるとは、思ってもいなかった。日本にだって戦前(戦後だって)ヘンな法律はいくらもあったけれど、知識としての「人種差別」「黒人差別」の中に、こういうことまで含まれているのを、私は想像出来てなかったのだと思う。

幼なじみでごく自然に好意を抱き、愛し合うようになった二人は、ワシントンD.C.でなら結婚できると聞き、そこまで出かけて無事結婚する。が、地元バージニアに戻って一緒に暮らすようになると、なんと二人とも「逮捕」され、事実上の州外追放という判決が出るのだ。

映画は、口の重いレンガ職人の夫リチャードが、たおやかで芯の強い妻ミルドレッドと二人の間の子どもたちを、どれほど誠実に守ろうとしたかを、丁寧に描いていく。

私は元々リチャードを演じた俳優さん(ジョエル・エドガートン)が好きなのに、映画を観ている間は彼だと気づかなかった。(彼がどれほど真剣に役作りをしたかを、後になって想像した) ミルドレッドを演じた女優さん(ルース・ネッガ)共々、本物のラビング夫妻を見ているようで、映画の中で起きている事態の「その場」に、自分が実際に居合わせているような気持ちになって、ずっとドキドキしながら見ていたと思う。当時のあまりに酷い人種差別の現実に、日本人(で無知)の私は眼を白黒させながら。

二人がTVの前で寛いでいる場面。その楽しそうな様子をカメラマンが撮影して、その写真はライフ誌に掲載される。「結婚という犯罪」という見出しを付けられたその記事は物議をかもし、夫妻は裏切られ傷つくのだけれど・・・

映画のエンディング・ロールで、本物の夫妻の写真の1枚としてスクリーンに映し出されたそれは、映画の一場面と全く変わらず、本当に幸せそうな夫婦として写っていた。この映画が言いたかった、描きたかったことが凝縮されている気がして、19年に及ぶ迫害に辛抱強く耐えたこの素朴なカップルと、彼らの力になった家族、友人たちのことを、忘れないでいたいと思った。


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