眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

「一番哀しいと思った映画は?」

2018-08-03 15:29:02 | 映画・本

親しい友人から「ちょっと質問」メールが来て
「一番哀しいと思った漫画とか映画は何?  絵でもいいですが」

その返事を書きながら、いろんなことを想いました。

私自身にとっては、ハッとすることもあったりして
その場限りの些細なやりとりなのですが
こちらにも残しておきたくなりました。

ダラダラ長~い、お喋りメール文です。
(スルー、読み捨てで構いません)



 ー返信その1ー


Nちゃ~ん(^^)

漫画は最近ほとんど読んでなくて。

絵についても、残念ながら
パッと思いつかないけど・・・
 
映画では『息もできない』と『クロッシング』かな~と。
(全くの偶然ですが、どちらも2008年の韓国映画)
 
 
『息もできない』は、「暴力の連鎖」がテーマ(だと思う)。
 
資金をかき集めて、持てるものすべてを注ぎ込んで
監督・製作・脚本・編集・主演をひとりでやったある男優さんの
「自分がずっと取り巻かれてきたこの”暴力”という問題に
自分なりの答えを見つけ出さないことには
自分の人生は、もう一歩も前に進めなくなっている」
という、切羽詰った思いが伝わってきて・・・
 
まさに「暴力」的な内容なんですが
その「哀しみ」のせいで、今も忘れられません。


『クロッシング』については
脱北者にされてしまった父親と、生き別れた息子(少年)が
北朝鮮を離れて、モンゴルで再会するはずが・・・
といった内容です。

当時の北朝鮮の事情とか、脱北する際のさまざまなことを
現実の北朝鮮出身者多数にリサーチして
「あまりに酷くて観た人に信じてもらえそうにない部分は
和らげて表現している」んだとか。
 
こちらの方がオーソドックスに「悲しい(哀しい?)」内容ですが
観た後、微かに温かいものが残る気も。


・・・って、マイナーな?映画ばっかりでゴメン。
 
最近『あゝ、荒野』っていう映画をTVで観て
『息もできない』の男優さんが出てたのが
嬉しかったもんで、つい(^^;
 
取りあえず、ではでは。
 


 ー返信その2ー


Nちゃ~ん(^^)


昨日メールを返した後で
ちょっと思い出したので。
 
 
「一番哀しいと思った映画」というと
Nちゃんの周りの年配の方だと
フェリーニ監督の『道』を揚げる人もおられるかも。
 
私はその監督さんの「生々しさ」が苦手で
取り上げなかったけど・・・あれこそ
「哀しい」としか言いようがない映画だとは思った。
 
 
あのね・・・Nちゃんの「哀しい」という言葉は
ある意味、私にとっては新鮮だった。
 
振り返ってみたら、私は「哀しい」「悲しい」作品って
思い出さないことが多いのね。
 
どんな映画・漫画(たぶん絵も)でも
ほんのちょっとでも「希望」を感じさせる部分だけ
記憶に残す習慣がついてるんじゃないかと。
 
昨日書いた2本の映画も、「希望」或いは「詩情」みたいなモノを
残す作品だったから、余計にその「哀しさ」が
記憶に残ったんだ・・・って
Nちゃんに訊かれたお蔭で思い出した。
 
 
私は、「哀しさ」を痛み?として感じてしまうから
僅かな痛みも避けようとするんだと思う。
 
その昔、「”可哀想”が苦手なんです」って
ネット上の知人(女性)に言ったら
「私は、映画(現実じゃない)では
人が苦しむほどいい(面白くなる)と思ってます」
って言われて、ビックリしたこともあったっけ(^^;。


そんなコトをつらつら考えてたら
『哀しみのトリスターナ』っていう映画も
思い出した。(観たのは大昔)
 
原題は単に「トリスターナ」だったと思う。
(原題の方がいいと思ったの覚えてる)

若くてきれいなカトリーヌ・ドヌーヴが
何も知らない清純な娘から
片足を失った後、ソラオソロシイような女に
変わって(成長して?)いく物語(だったと思う)。
 
でも、映画のラストで
歩いていくトリスターナの後姿を見ながら
私の方に残ったのは「哀しみ」だけだったの、覚えてる。
 
・・・・・
 
というわけで、Nちゃんがくれた質問は
私の方が得たものが多かったと思う。

お蔭で色々考えさせてもらった。
ありがとね~。(また訊いて下さい(^^))
 
ではでは。



 

 ー返信その3ー(友人からの「お礼」メールを貰った後で)


Nちゃ~ん(^^)


Nちゃんとお友達のひとりは
『火垂るの墓』(映画と小説)を挙げたんだね。

そうかあ・・・
 
『火垂るの墓』は、実は私も
一瞬、アタマをよぎったの。
 
ほんとに上手にアニメーションにしてて
原作者が手放しで褒めてた。
でも私、野坂昭如(原作者)が好きだから
どうしても小説の方のイメージに
引きずられるんだろうな・・・
 
小説の方は、(私から見ると)
まさに「鎮魂歌」だったんだと思う。
 

「鎮魂」を思った時点で
「哀しく」はない・・・
 

私はそういう感覚の人間なんだって
これまで気づいたこと無かった。
 
(哀しみと鎮魂の気持ちとは表裏一体のものだって
沢山の人から言われそうな気がするけど
私にはそういう感覚があるんだから仕方ない・・・)
 
小説では、亡くなった「妹」だけでなく
当時の「自分」に対しても
同じくらいの優しさを感じた。
 
もう・・・赦してやろう・・・っていうような。
 
私はそれを、微かな温かさと感じた。
(だから舞い上がるホタルが美しいんだと)

そういう、「哀しいと思えなかった」自分を
今、ちょっと振り返っています。


メールくれて、ほんとにありがとう。

ではでは。今度こそ「またね~」(^^;






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