親しい友人から「ちょっと質問」メールが来て
「一番哀しいと思った漫画とか映画は何? 絵でもいいですが」
その返事を書きながら、いろんなことを想いました。
私自身にとっては、ハッとすることもあったりして
その場限りの些細なやりとりなのですが
こちらにも残しておきたくなりました。
ダラダラ長~い、お喋りメール文です。
(スルー、読み捨てで構いません)
ー返信その1ー
Nちゃ~ん(^^)
漫画は最近ほとんど読んでなくて。
絵についても、残念ながら
ー返信その2ー
Nちゃ~ん(^^)
パッと思いつかないけど・・・
映画では『息もできない』と『クロッシング』かな~と。
(全くの偶然ですが、どちらも2008年の韓国映画)
『息もできない』は、「暴力の連鎖」がテーマ(だと思う)。
資金をかき集めて、持てるものすべてを注ぎ込んで
監督・製作・脚本・編集・主演をひとりでやったある男優さんの
「自分がずっと取り巻かれてきたこの”暴力”という問題に
自分なりの答えを見つけ出さないことには
自分の人生は、もう一歩も前に進めなくなっている」
という、切羽詰った思いが伝わってきて・・・
まさに「暴力」的な内容なんですが
その「哀しみ」のせいで、今も忘れられません。
『クロッシング』については
脱北者にされてしまった父親と、生き別れた息子(少年)が
北朝鮮を離れて、モンゴルで再会するはずが・・・
といった内容です。
当時の北朝鮮の事情とか、脱北する際のさまざまなことを
当時の北朝鮮の事情とか、脱北する際のさまざまなことを
現実の北朝鮮出身者多数にリサーチして
「あまりに酷くて観た人に信じてもらえそうにない部分は
和らげて表現している」んだとか。
こちらの方がオーソドックスに「悲しい(哀しい?)」内容ですが
観た後、微かに温かいものが残る気も。
・・・って、マイナーな?映画ばっかりでゴメン。
・・・って、マイナーな?映画ばっかりでゴメン。
最近『あゝ、荒野』っていう映画をTVで観て
『息もできない』の男優さんが出てたのが
嬉しかったもんで、つい(^^;
取りあえず、ではでは。
ー返信その2ー
Nちゃ~ん(^^)
昨日メールを返した後で
ちょっと思い出したので。
「一番哀しいと思った映画」というと
Nちゃんの周りの年配の方だと
フェリーニ監督の『道』を揚げる人もおられるかも。
フェリーニ監督の『道』を揚げる人もおられるかも。
私はその監督さんの「生々しさ」が苦手で
取り上げなかったけど・・・あれこそ
「哀しい」としか言いようがない映画だとは思った。
あのね・・・Nちゃんの「哀しい」という言葉は
ある意味、私にとっては新鮮だった。
ある意味、私にとっては新鮮だった。
振り返ってみたら、私は「哀しい」「悲しい」作品って
思い出さないことが多いのね。
どんな映画・漫画(たぶん絵も)でも
ほんのちょっとでも「希望」を感じさせる部分だけ
記憶に残す習慣がついてるんじゃないかと。
昨日書いた2本の映画も、「希望」或いは「詩情」みたいなモノを
残す作品だったから、余計にその「哀しさ」が
記憶に残ったんだ・・・って
Nちゃんに訊かれたお蔭で思い出した。
記憶に残ったんだ・・・って
Nちゃんに訊かれたお蔭で思い出した。
私は、「哀しさ」を痛み?として感じてしまうから
僅かな痛みも避けようとするんだと思う。
その昔、「”可哀想”が苦手なんです」って
ネット上の知人(女性)に言ったら
「私は、映画(現実じゃない)では
人が苦しむほどいい(面白くなる)と思ってます」
って言われて、ビックリしたこともあったっけ(^^;。
そんなコトをつらつら考えてたら
そんなコトをつらつら考えてたら
『哀しみのトリスターナ』っていう映画も
思い出した。(観たのは大昔)
原題は単に「トリスターナ」だったと思う。
(原題の方がいいと思ったの覚えてる)
若くてきれいなカトリーヌ・ドヌーヴが
若くてきれいなカトリーヌ・ドヌーヴが
何も知らない清純な娘から
片足を失った後、ソラオソロシイような女に
変わって(成長して?)いく物語(だったと思う)。
でも、映画のラストで
歩いていくトリスターナの後姿を見ながら
私の方に残ったのは「哀しみ」だけだったの、覚えてる。
・・・・・
というわけで、Nちゃんがくれた質問は
私の方が得たものが多かったと思う。
お蔭で色々考えさせてもらった。
ありがとね~。(また訊いて下さい(^^))
お蔭で色々考えさせてもらった。
ありがとね~。(また訊いて下さい(^^))
ではでは。
ー返信その3ー(友人からの「お礼」メールを貰った後で)
Nちゃ~ん(^^)
Nちゃんとお友達のひとりは
『火垂るの墓』(映画と小説)を挙げたんだね。
そうかあ・・・
『火垂るの墓』は、実は私も
一瞬、アタマをよぎったの。
一瞬、アタマをよぎったの。
ほんとに上手にアニメーションにしてて
原作者が手放しで褒めてた。
でも私、野坂昭如(原作者)が好きだから
どうしても小説の方のイメージに
引きずられるんだろうな・・・
小説の方は、(私から見ると)
まさに「鎮魂歌」だったんだと思う。
「鎮魂」を思った時点で
「哀しく」はない・・・
私はそういう感覚の人間なんだって
これまで気づいたこと無かった。
(哀しみと鎮魂の気持ちとは表裏一体のものだって
沢山の人から言われそうな気がするけど
私にはそういう感覚があるんだから仕方ない・・・)
小説では、亡くなった「妹」だけでなく
当時の「自分」に対しても
同じくらいの優しさを感じた。
もう・・・赦してやろう・・・っていうような。
私はそれを、微かな温かさと感じた。
(だから舞い上がるホタルが美しいんだと)
そういう、「哀しいと思えなかった」自分を
(だから舞い上がるホタルが美しいんだと)
そういう、「哀しいと思えなかった」自分を
今、ちょっと振り返っています。
メールくれて、ほんとにありがとう。
ではでは。今度こそ「またね~」(^^;
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