(監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ リュック・ダルデンヌ 2022 ベルギー=フランス)
この監督さんたちの作る映画は、フィクションなのに、いつもドキュメンタリーを観ているような気持になる。
この作品もベルギーでの「難民問題」を扱っているのだけれど、実際にこういう少年と少女が目の前にいるような気になってしまう。映画全体が緊張感のあるシーンの連続なので、見ている方は息つくひまがない。
彼らの社会からの扱われ方は、あまりに冷酷、粗雑、或いは規則一辺倒で、表社会ですら人間味も温かみも感じられず、裏社会は当然「弱みを握って搾り取る」「安く使う」しか考えていない。(そういう描かれ方をしているし、現実もそうだろうとわたしなどは思う)
映画の演出だとわかっていても、これほど主人公二人(少年と年長の少女)だけに焦点を絞って、他の人たちについては(親切な人がいても)エピソードもないくらいだと、二人の友情、結びつきの強さだけが際立って見えて、その分彼らの孤独が強調される。
この世で大切な人は、お互いに相手ただひとり。
少女の母親は本国にいるけれど、十分な仕送りを少女がしないのは自分で使ってるからだろうと、少女がいくら無理なのだと言っても信じてくれない。
少年は「呪われた子」として迫害される身で、命の危険があって出国したとして「難民」認定され、ビザが与えられている。一方「働いて仕送りできるようビザが欲しい」少女には、少年の家族(姉)という証拠がなければならず、姉弟どころか出身国が違う彼女は、想定される質問に答える準備をしていても、結局認められない。(彼女はパニック発作のための薬剤を処方されている身だ) … などなどなど。
映画の内容を詳しく書くつもりはなかったのに、書き始めたら止まらない。ここまでに書いたのも物語が始まる前の話で、以後止めようのない急展開が続く。
この作り手たちのこれまでの作品のなかでも、主人公たちを取り巻く「状況の厳しさ」という意味では、この映画は刃の上をはだしで歩くような危険、痛みを強く感じると思った。
主人公たちは危機を掻いくぐって「生き延びる」道を探す。
「状況が厳しい」といっても、ヤクの売人であるイタリアンレストランのコックも、養護施設の職員たち(一緒にしてゴメン)も、彼らにとっての日常、「普通の現実」を生きているだけなのだということも、映画を観ているとわかる。
つまり「普通の現実」が主人公たちにとって理不尽で、全く「優しくない」だけなのだ。
映画を観たのは夜だったけれど、その後気持ちが沈んで、とても眠れそうにない気がした。正直、自分はもう、こういう映画は観ても仕方がないのではないか…とも。
日本でも出入国管理の問題は深刻だと聞いている。ヨーロッパだけの話ではない。
でも、映画でこういう現実があることを知っても、わたしはそれに対して何も出来ない。たとえ出来ることがあったとしても、自分はそれに気がつかない。或いは行動を起こしたりはしないだろうということも、既にわかっている。
ただ事態の深刻さに打ちのめされる…というだけ。(その後眠れなくなっても、何の意味もない)
そういう映画体験だったので、感想を書く気には全くならなかったのに、なぜかゴチャゴチャ書いてしまった。それくらい迫力、作品としての圧力?を感じさせる映画だった。
(ついでにバラすと、その後『ベイビーわるきゅーれ』を観て、アタマの中を塗りつぶして、バタンと寝てしまいました。娯楽作品の「血まみれ」にはそういう効果もあると実感したのは初めてです(^^;)
映画って経験と理想と創造の賜物
本当に感動する映画じゃ泣いちゃう事もあるんだから
ずっと前に観たAIとか私を泣かせてくれたっけな~
タイタニックなんかも泣いたわよ。
可哀想で、わたしも涙出た。
『タイタニック』は「女性がハンマー持って
男性を助けに行く時代が来たんだ」…って
しみじみしたの覚えてる(^^;
そうか… 映画はやっぱり全くのフィクションがいいなあ。
残酷な現実を見るエネルギーが
最近不足してきたのを痛感してる自分(^^;