長くなった「ひとこと感想」その4。
上映会の直前、新聞に大小さまざまの「ドローン兵器」が載ったのを見た記憶がある。そのときの私は、この手のモノはまだまだ実用化に時間がかかるような気が(勝手に)していて、「ほんとにこんなの使えるの?」といった気分だった(いや~無知というのはオソロシイ)。
実際は「使えるの?」どころじゃない、とっくに実戦(というか何というか)に使用されていて、その数、年間数十~数百件?(もっと多いかも)だとか。この映画のように、テロが疑われるケニア上空の「アイ・イン・ザ・スカイ」(無人偵察機ドローン)からの情報をロンドンで討議(英軍諜報機関・国防相etc.)し、そのパイロットはネヴァダの米軍基地に居て操縦・攻撃の実行を担当する・・・といったことが、ごく日常的に行われているのだ。私が知らなかっただけだ。
攻撃する側は「世界一安全な場所」に居て、される側は(テロ実行犯のみならず)その周辺に居合わせたという、ただそれだけの理由で被害を蒙ってしまう。
映画はここではある種の寓話めいていて、一人の幼い少女が殺傷圏内にいることが判明した後、かなりの時間と手間隙をかけて少女の被害を食い止めようと努力する関係者の姿を描く。
実際はこんなに時間かけてくれないだろな~と私でさえ思ったけれど、映画が描こうとしているのは殺傷される人間の数の比較ではないのだと思う。言うならば「第三次世界大戦は既に起こってしまって」いて、その戦い方というのが(ある部分では)先進国側から見ればこうだ・・・ということ。
先進国側は惨状をネットに投稿されることを嫌がっている・・・なんてことも、私は初めて知ったし、その言い訳が立つようにと「被害想定」の数字を操作するようなことも行われている?らしい。
世界のあちこちで、私などの想像を絶する「戦争」が進行している・・・という重さに、観た後気が滅入った。今後、日本も無関係ではいられなくなるだろうということも含めて。
(個人的には、ヘレン・ミレンは大好きだし、アラン・リックマンの実写での遺作とも聞いていたので、いつものことながら人の顔ばかり見ていた気がする。きちんとエンタテインメントになっていて面白い映画だったのだけれど、そのこと自体が罰当たり?な気がして複雑な気分を味わったのも本当)
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